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仕事で千本ノックを浴びてフレキシブルになった話
フリーランスの野良ライターになって以降、ありがたいことに、複数社とやりとりさせてもらっている。
ケースにもよるんだけど、ぼくのような野良ライターとエンドのお客様のあいだにはマーケティング会社や制作会社が入ることが多くて、原稿の加筆・修正の戻しはそうした代理店のご担当者様からもらう。
戻しをもらうとき、まれにご担当者の人から結果的に二度手間になるような指示をもらうケースがある。それはぜんぜん仕方のないことで、ぼくからはご担当者の先が見えないからエンドのお客様とのやり取りは知る由もない。
察するに、ほとんどがエンドのお客様からの直しがあいまいだったり、まぜっかえしが原因だったりする。あいだに入る人に落ち度はない。なのに「申し訳ありません」と謝られて、こちらも逆に申し訳なくなってしまう。
野良ライターのオッサンに気を遣わなくてもよろしいのに。というか、仕事なんてやり直しが発生したり、うまくいかなかったり、頓挫することもよくあるし。
ただ、ふと思い返してみると、なんだか20代くらいのころ「何度もやり直す(または誰かに何度もやり直させる)」ことに過剰な嫌悪感と恐怖心を抱いていた気がした。そんな感情を思い出した。
あれは何だったんだろう? 若いころは、周りで関わる人が必然的に年上だから、自分の落ち度が原因で怒られるのが怖かっただろうか。そして、いつからあの感情が薄らいだのだろう。
そう考えてみると、サラリーマン時代に仕えてきたお歴々の顔がチラホラと頭をよぎった。そうか、あの方たちの薫陶だったか、と。
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会社員時代の若いころ、お偉い方々の雑務を担当していた。医務室に薬を取りに行ったり、会社近くで有名なアジフライ定食の店に昼前から並んだり、役員フロアの会議室に置いてある冷蔵庫の在庫管理をしていた(主に酒類)
雑務の流れで、30代に入ってからはそうしたお歴々が本来書く"テイ"の文書の草稿を作ったり、資料作成を任されたりした。といっても、あくまでゴーストライティングであってアウトプットの責任は偉い方が負うのだから、そのチェックはとても厳しかった。
原稿を何度も作り直したり、構成を最初から練り直したり、文書に添付する参考資料を集めたり。期日の直前で「もう大丈夫やろ」と油断していると、急に午後いっぱいかけて半分くらい書き直しを命じられることもあった。
ビジネスの世界で「千本ノック」という。似たような作業を繰り返し行うこと。慣れていない時期は、途中から自分がだんだん不機嫌になるのがわかった。「何度も同じ作業をさせんな!」とか思っていた。いざ口に出したらさいご、命が無いので口を噤んでいたのだけれど。
ただ、そうした厳しいチェック、千本ノックを経た文章は美しかった。論理が整然とし、あいまいな単語が明晰なものに置き換わり、不要な接続詞と修飾語が取っ払われた。自分ひとりではこんな読みやすいドキュメントにならない、と。(それは皮肉にも、このnoteが証明している)
そしてしだいにわかってきたのは、そういう千本ノックの修正作業に不機嫌になるのは、「自分の仕事ではないと思うから」、ということだった。他人事だから時間のムダと感じてしまうのだと。
けっきょく偉い人のアウトプットになろうと、それを請け負った以上は自分の仕事であって、そのアウトプットには責任が伴う。成果を享受できなかろうと、提出した品質に対しては義務を負うべきだ、と気持ちを入れ替えた。
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偉い人たちの経営判断というのは不思議なもので、まさに朝令暮改、朝におっしゃっていた意見が夕方になって180度くらい変わった場面をよく見た。その間には社内の有識者と呼ばれる幾人かが役員室に軟禁されて、1人あたり2~3時間くらい情報提供と議論の相手になっていた。皆さん、部屋を出るころには煮尽くされた白菜みたいにくたくたになっていた。
文書一つを取っても、その人の頭の中でモーターが高速に回転し、さまざまな吟味やシミュレーションがなされる。
その文書がさいしょに誰に読まれるのか
どのレベルの会議に開陳されるのか
会議の構成メンバーは誰なのか
その会議で誰が発言し、誰が黙り込むのか……
そういう想像力の検閲を経たのちに、内容が元に戻ることもあったし、そもそも文書自体が使用されずに終わることもしばしばあった。
ゴーストライターは、文書の取り扱いに対して意見する立場ではない。ただ偉い人々の意向に沿うかたちで品質に高めるだけだ。そのために訂正に訂正を重ねてより良くなる機会をいただくのは、喜ばしいことですらある。
いつしかそんな発想になった。サラリーマン生活の果てに思考がクラゲみたいな軟体生物となり果てた。フレキシブルになったと言ってもいいし、芯がなくなったといってもいい。
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小生はそんなライターです。文書のやり直しやご指摘はありがたく受けとめて品質を高めるべく善処します。ご要望とあらば全面的なリライトも辞さない所存です。
つきましては、何卒ご用命のほどお願い申し上げます。