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徒然なる想い その十二〜アナログとデジタルの共存〜

 アナログとデジタルの違いは何か。突然問いかけられたら、何と答えるだろう。先日、塾で指導している子供にこの質問を投げかけてみたところ、アナログが紙に鉛筆で絵を描き、デジタルがタブレットなどに(スタイラス)ペンで絵を描くことという答えが返ってきた。絵を描くという具体的な行動で表現してくれているが、デジタルが所謂デジタル機器に依存した事柄である一方、アナログがデジタル機器に依存しない事柄であるということを言わんとしていることが汲み取れる。デジタルとアナログの違いを問われたら、恐らく多くの人がこのような説明をすることと思う。例えば、デジタルに弱いという人がいれば、パソコンやスマートフォンのような最新のデジタル機器が上手く使いこなせない人なんだろうと読み取る。また、デジタルに強いという人がいれば、最新のデジタル機器を使いこなす人のことを想像するだろう。このように、デジタルとアナログと言えば、デジタル機器を使うか、否かといった基準が採用されるのが一般的である。

 しかし、デジタル機器を基準にした定義は非常に曖昧である。と言うのも、デジタル機器をどのように定義づけるのかという問題が生じるからである。一般的な印象論で言えば、最新の電子機器は皆デジタルのものという言える。しかし、最新の電子機器という言い方もまた曖昧さを多分に含んでおり、何を以て最新というのかという問題が生じる。これらのことから、デジタル機器を使うという基準は、デジタルとアナログを論じる上では適切な基準になっていないことが分かる。つまり、デジタルを特徴づけるもっと厳密な定義が必要であると言えるわけである。

 では、デジタルとアナログをどのように定義づけたら良いのだろうか。参考までにデジタル(digital)とアナログ(analog)の語源を辿ってみよう(文献 1 )。デジタルはラテン語の digitus, つまり指という言葉に由来する。指とデジタルに何の関係性があるのか疑問に思われることと思うが、幼い頃に指で数字を数えていたことを思い出してほしい。このような数字の数え方は古代の頃から行われていたことであり、指と自然数(注 1 )は対応づけることが可能である。また、自然数の間には有理数や無理数といった数が隙間なく続いていることを思い出してほしい。このことから、指で自然数を数えるという行為は、連続していない数字(離散した数字とも言える)を数える行為であることが分かる。このことから、デジタルという言葉は離散化したものを扱うことであると定義づけられる。一方、アナログはギリシャ語の αναλογια, つまり比例という言葉に由来する。この語は英語で比喩や類似を意味する analogy へと変化し、この言葉から関連した事柄、連続した事柄を意味する analog が派生した。つまり、アナログという言葉はデジタルと対照的に連続したものを扱うことと定義づけられる。以上のことから、デジタルは離散化したものを扱うこと、アナログは連続したものを扱うことと表現することができる。

 連続したものや離散化したものと言われても、今ひとつどのような状態か想像できない方もいらっしゃるかもしれない。そのような方は、デジタル時計とアナログ時計を思い浮かべてほしい。例えば、デジタル時計で22時10分1秒が22時10分2秒に変化するといった場合、単純に表示が1秒から2秒へと変化するだけの話である。このため、デジタル時計では1秒と2秒の間を記述する時間表記はなく、1秒と2秒の間は連続していない(離散化している)。しかし、アナログ時計では22時10分1秒から2秒に変化する場合、針が1と2の間を連続して進む。つまり、1秒から2秒に変化する際に、1.5秒や1.6秒などの存在を感じることになる。このため、アナログ時計では1秒と2秒の間に連続的な時間変化が起こっている(離散化していない)ことが分かる。この時計の例のように、デジタルの世界では値を離散化して近似的に処理する一方、アナログの世界では連続的に変化する値をそのままの形で処理する。デジタル機器の代名詞とも言えるパソコンやスマートフォンは、まさにこの離散化の作業を行なっており、出力する際に離散化した情報を統合する仕組みになっている。

 さて、これで漸くアナログとデジタルの違いを定義することができた。アナログとは物事を連続的に扱うことであり、デジタルとは物事を離散的に扱うことである。これが正式な意味でのデジタルとアナログの違いであると言える。そして、この正式な意味から派生した用語として、離散的な処理を行うパソコンやスマートフォンなどの機器をデジタル、デジタルとは異なる道具をアナログとする定義づけも存在する。これが冒頭で述べた定義になり、日常的な場面では寧ろこちらの方が一般的になっていると言えるだろう。--デジタルとアナログの定義を確認したところで、一つ考えてみたいことがある。それは、アナログとデジタルは結局どちらが良いのかということである。時代の潮流に倣えば、デジタルに対応することが当たり前で、アナログ的なものを使うことは望ましくないこととされる。あらゆるものがデジタルに依存したものになりつつあるため、アナログは古臭くて使い物にならないもので、デジタルは最新の科学技術に裏付けられた素晴らしいものといったイメージが一人歩きをしている。しかし、この評価は本当に的を射ているのだろうか。アナログとデジタルをこのような目で見てしまうことで、何か大事なことを見落としてしまっているのではないだろうか。このような疑問点を踏まえて、今一度アナログとデジタルがどういうものなのかを見直してみたい。

 アナログとデジタルを同じもので比較してみようと思ったとき、アナログレコードとCDの比較は或る一つのことを教えてくれる。全く同じ音楽をアナログレコードとCDで聴き比べてみると、全く異なる印象を抱くことが分かる。私が初めてアナログレコードを聴いたとき、CDでは感じられないその場の雰囲気のようなものを感じ、同じアルバムでありながら全く別なものに仕上がっているということに驚かざるを得なかった。勿論、これは単なる主観的な印象論であり、人によってはアナログレコードのスクラッチノイズの方が嫌だという人もいるかもしれない。しかし、アナログレコードとCDでは或る点で全く別なものなのである。アナログレコードはレコーディングの際の音の振動(音の波)をそのまま音溝に記録する一方、CDでは音の振動をサンプリングして処理する必要がある。サンプリング周波数が 44.1 kHz などという表記を見たことがある方もいらっしゃるだろうが、これが意味するところは本来の音の波を 44100/s の割合で区間分けしているというものである。何のことだと思われるかもしれないが、要は図 1 のように本来のアナログ波形(曲線)を任意の間隔で切り分けて、そのときの値を読み取ってデジタル信号(点)として処理するのがサンプリングである。そのため、CDは離散化したデジタル信号をつなぎ合わせて出力しているわけである。ここで勘の良い方は気が付かれることと思うが、アナログは音楽を本当の意味で連続的に記録しているが、デジタルは音楽を近似的にしか記録していない。つまり、アナログは本物を記録していると言える一方、デジタルは本物っぽいものを記録しているだけなのである。これは音楽を聴く上で非常に重要な違いではないだろうか。このことから、CDが提供してくれるものは本物に限りなく近いものでしかなく、本物を聴きたいというのであれば、どうしてもアナログレコードに頼らざるを得ないことが分かる。従って、近年は当たり前のようになっているストリーミングやダウンロード形式の音楽も利便性という点では優れているかもしれないが、どこまで行っても本物っぽいものでしかないのである。

図 1 アナログ信号とデジタル信号の違い

 先ほどデジタル音楽は利便性が高いと表現したが、利便性が高いということは音楽に限らず多くのデジタル機器に当てはまる特徴である。この利便性の高さには誰もが魅了され、多くの人がデジタル機器のない生活を考えられないという風潮もこのようなことに起因しているだろう。しかし、敢えてここで考えたいのが、利便性が高ければ何でも良いのかということである。今の時代は、インターネット環境さえあれば世界中のあらゆる情報に手軽にアクセスできる。これは確かに非常に便利で、ニュースや論文にアクセスする際にないと困るものであるとさえ思う。しかし、この手軽にあらゆる情報にアクセスできるという便利さ(convenience)には、安易に答えを知ろうとする姿勢を生む可能性が潜んでいると個人的に考えている。手軽に情報にアクセスできない時代には、兎に角先ずは考えてみるということをしたと思う。時には、あらゆる本を読み漁って情報を集めるという手間のかかることをしたかもしれない。これらは確かに手間のかかる作業かもしれないが、能動的に思考する習慣を身に付ける上では役立つことだったのではないだろうか。一方、今は分からないことがあれば、検索エンジンにかけ(ググる)て終わりである。ググれば直ぐに答えが分かる(実際は分からないことも世の中には多くあるが)のだから、先ずは考えてみるという時間がなくなる。困ればググるという習慣は、思考する習慣を奪うという点で人生の質の低下を招くことにも繋がりかねない。つまり、インターネットの利便性には、恰もコンビニ(convenience store)に頼り切ったような人生の質の低下を招く危険性も潜んでいる。従って、利便性に身を預けすぎるということは質の低下を招くという事態も引き起こしかねず、適度に利便性に身を任せる程度に留めておくことが良いと考えられる。

 以上、デジタルの近似的性格と利便性について考察してきたが、もう一つ考察したいことがある。それは、デジタルが長期的には不安定であるということである。例えば、DVDを見ようと思ったら、データが飛んでいて見れなかったという経験をした人もいらっしゃるだろう。或いはパソコンが突然壊れて、バックアップを取っていないデータが全て消えてしまったという方もいらっしゃるかもしれない。パソコンのデータが消えて困った経験はないが、DVDのデータが飛んだという経験は何度もしたことがある。そのため、デジタルデータは長期的に保存するには向かないもの、バックアップのないデジタルデータは不安の塊でしかないという考えが私には以前からある。また、パソコンやスマホという機器そのものを例に挙げれば、或る程度の年数は使うことができても、何十年、或いは子・孫の世代に受け継いでいくという芸当は絶対に不可能である。パソコンやスマホは買い替えサイクルというものが存在し、機械式時計などのように何十年も使い続けることはできない。つまり、デジタル機器というものに目を向けてみても、長く使い続けられるものではないことが分かる。このように、デジタル機器、デジタルデータともに長期的なものではないと言える。一方で、アナログ的な道具や紙に残すというアナログ的保存方法は、長期的なものである。例えば、江戸時代の古文書などは今もしっかりと残っているが、パソコンに保存した文書データは何百年も残るであろうか?従って、デジタルは長期的な保存や使用には向いていないと言うことができる。

 これまでの議論をまとめよう。デジタルデータはアナログと異なり近似的なもの(本物っぽいもの)でしかないこと、デジタルの利便性は人生の質の低下を招きかねないこと、そしてデジタル機器やデータは長期的な使用・保存に耐え得るものではないことを見てきた。一方で、アナログ的なものはこのデジタル特有の欠点を補い得る。従って、このような議論から次のような結論が導かれる。デジタルに偏り過ぎるデジタル万能論は問題で、デジタル的なものの発展が著しい現代だからこそ、デジタルとアナログの共存を目指して行くべきである、と。非常に安直な結論であるが、アナログ的なものはその特性に基づいた素晴らしさがあるため、個人的にはアナログ的なものの方が気に入っている。しかし、デジタル的なものの利便性がないと何もできないのもまた事実である。そのような経験から、やはりアナログとデジタルは適当なところで折り合いを付け、共存して行く必要性があるのではないかというのが私の見解である。皆さんは、アナログとデジタル論争にどのような意見をお持ちだろうか。



注釈

1:自然数とは1, 2, 3と続くものを数えるときの数である。これに0と自然数にマイナスの符号をつけた数を加えると整数になる。更に整数に分数で表わせる数を加えたものが有理数、有理数に分数で表わすことのできないπやネイピア数を加えたものが実数となる。このように自然数、整数、有理数、実数と数を拡張していくことができ、実数に更に虚数を加えることで複素数という段階まで数を拡張することが可能である。なお、実数には完備性という性質がある。完備性とは数直線上を隙間なく埋められる性質のこと(厳密には細かい定義がありますが、そちらは数学屋さんにお任せします)を言い、有理数や整数のように不連続な値をとらなくて済むという特徴がある。このことから、自然数はデジタル、実数はアナログという表現もできるわけである。


参考文献

1:岩崎史絵(公開 2018; 更新 2021).今さら聞けない!デジタルとアナログの違いとは?. データの時間 テクノロジー.
https://data.wingarc.com/digital-and-analog-11490

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