○○だからしてるんだよ
少年ジャンプの漫画は面白いけど血筋至上主義はキショい。親密に値する関係の存在(仲間、家族、恋人)の心理に嫌悪感を覚えることがたまにある。
自分の母親は看護師で医療従事者に当たる。自分は医療薬を本来と違う、間違った使い方をしていた・る。オーバードーズをして救急車を呼ぶことは医療従事者からしたらとんでもなく迷惑で、正直言って腹立たしいこと、というのは真っ当かつ働く人は大抵心の底に持っていると思う。今までの看護師に関する話を聞く限り、母親もその価値観を持っている。
それでも母親は風邪薬を1瓶飲んで地獄を見ていた自分を、それから山のように空瓶を隠していた自分を、肯定する。そうするのは「家族だから」なのだと思っている。自分の子とは血が繋がっている大切な存在で、今まで共に生きてきたから、いわゆる忖度の感情が働く。だからニュースや話で聞いた「終わってるね」と口をこぼすような他人の行動と同じことをしても、他人に対して思うようなことをぶつけない。
この愛は歪んでる、と違和感を感じる自分がおかしいのか。全く関係・興味の無い他人の言動や行動に対して抱く、"誰が"より"何を"に着眼点を置いた思いこそ「正直かつ正確」な感情であると思う。逆に言えば"誰が"を優先した気持ちの構築は、優先するほど正しさからズレていく。平等じゃない。
教師がお気に入りの生徒には宿題の提出忘れにヘラヘラして、どうでもいい生徒にはそれなりに怒っている状況はとんでもなく気持ち悪い。これは普通の人も思う部分ではあるけど、上のように親密な関係のコミュニケーションに関してもそう思う人は、どちらかと言えば普通じゃないとされる。
まあ忖度には大きな旨みがあるから、そこにネガティブな疑問を持つ方が間違っているのか。もし自分の母親が他人と同じような印象の与え方をしていたら、自分はもう捨てられていたし、否定と罵倒のオンパレードだったと思う。だから「この忖度があって良かった」とありがたがるべきなのだ。なんだけど、なんかモヤモヤする。
「友達・恋人・家族・恩人だから貴方にしてる」
なら相手から見た自分の属する関係が他人だったら、その瞬間そうした優しさや愛は一瞬で消えることになる。その事実がなんか寂しいし苦しいしあっけない。一周まわって冷たい気がする。そう思った時に今までのその手の愛情に嘘っぽさを感じて勝手に虚しくなる。救いの言葉が自分のせいで呪いの言葉に変わる。
その忖度がパッと消えた瞬間の痛みはそれが多ければ多いほど、深く抉って跡になって消えないトラウマとなる。そういうのもあってシラフの状態において人と距離を縮めることに対し、おじけづかない勇気を持つことが絶対にできない。
ちゃんと正しい愛情と環境を用意してもらったはずなのに、どうしてそれができない?と自分を叱るのは正確なはずなのにいくら批判しても治ってくれない。
他人が同じことを嘆いていたら「なんでできないの笑」とは言わないから、自分もその嫌悪感を覚える忖度をしているんだなって
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