ノンフィクション「天使がくれた戦う心」と、タイのロックバンド ”LOSO”
最近、「天使がくれた戦う心」という文庫本をバンコクの紀伊国屋書店で見付けて購入した。そして、同じ週にタイのロックバンド「LOSO」のコンサートにも出掛けた。
文庫本とLOSOと、取り留めもないが、今回は番外編として、この「天使がくれた戦う心」にも、偶然出てきたLOSOについて、自身のムエタイに関するエピソードと「天使がくれた戦う心」を絡めて紹介したい。
2000年前後の新宿~心斎橋
「天使がくれた戦う心」は、元福岡放送アナウンサーでノンフィクション作家の会津泰成氏の2003年の作品で、元ムエタイ選手でトレーナーのタイ人ヌンサヤームと、新人キックボクサー・内田との交流を綴ったもの。東京のキックボクシングジム(山木ジム)やバンコク近郊のムエタイジムが舞台となっている。20年の時間が経っていても、古さを感じさせない内容で一気に読み終えた。
値段は246バーツのラベルが貼られており、現在の円バーツのレートでは1000円以上するが、日本での定価は571円のようだ。日本からの輸入ということで、この値段にも納得の上で購入した。
この作品の印象深い場面として、ヌンサヤームが、新宿のタイスナック(タイカラオケ屋)で歌うシーンがある。故郷を思い、メ―(お母さん)というタイの歌を披露すると、スナックに来ていた別のお客のタイ女性も一緒に口ずさみ涙したというもの。
この、メ―こそが、LOSOの曲である。ルークトゥンと呼ばれる演歌やプアチーウィット(人生の為の歌、フォークがベースのジャンル)が庶民の音楽として根付いているが、ロックについては、LO-SOCIETYからそのまま名を取った、ハイソの逆、ローソー(LOSO)がロックをタイの庶民に浸透させたと昔、タイ人の先輩が話していた。
1996年のLOSOのデビューまでは、タイのロックは洋楽を親しむハイソな若者や大学生のものだったそう。LOSO以前のロックバンドは、MICROやNUVOなどがそれに当たるが、どことなく育ちの良さを感じさせた。
LOSOは、当時のLO-SOCIETYに属する地方の若者の心情を歌詞にして、圧倒的な支持を集めた。そしてLOSOと同じレーベル(MORE MUSIC)に所属していたBLACK HEAD、SILLY FOOLSなどがLOSOに続いて人気ロックバンドとなっていった。
ヌンサヤームが歌ったメ―の歌詞の一部は以下の通りで、集団就職やら何やらで都会に出てきた地方出身の若者の心情が綴られている。
最近どうしていますか
長い間離れている遠い故郷を想う
今度はいつ帰れるだろう
心の中では故郷を気にかけていることを
お母さんは知っていますか
母さんが心配している弟や妹たちを残し
僕はいま、故郷から遠く離れたバンコクにいる
母さんを想うと涙が溢れる
故郷に帰り、母さんのもとにひざまずきたい
本当の愛情に包まれ、母さんの胸に抱かれたい
しばらくすれば あなたの息子は帰ってきます
ねじれた心の嘘ばかりの都会に惑わされ
傷つくこともあるけれど
それは僕の心だけにしまっておきます
母さんのもとにひざまずけば
嫌なことも忘れられるから
(メー(แม่)の歌詞の一部(”天使がくれた戦う心”文中の会津氏の訳を掲載)とMV)
「天使がくれた戦う心」の中で、日々の仕事に疲れ、マオ、マオ(酔っぱらった、酔っぱらった)と言いながら生ビールを何杯も飲み干すヌンサヤームが歌った”メ―”、著者も20年以上前の大阪で同じようなシーンを何度も見たことがあり、当時を思い出した。
深夜2時、3時の大阪心斎橋、在日タイ人向けのタイカラオケ屋、スナック風の店内で夜の仕事を終えたタイ人が何グループもイサ―ン料理を食べたり、ビールを飲んでいる。決まって誰かがカラオケに入れて、熱唱されるメーやその他のLOSOの曲は、店内にいるタイ人が手拍子したり、タンバリンを叩いたり、一緒に歌ったりと毎回盛り上がる。
著者は当時、タイ人同僚たちと一緒に夜の心斎橋で働いていた。時々寄るタイカラオケ屋に行くと日本人は圧倒的アウェーで、ホンモノのタイにいるかのような雰囲気だった。店でよく会ったタイ料理店のコックさんは、大阪は3年にもなるが、自分が勤めるタイ料理店以外は、在日タイ人向けのこのタイカラオケ屋しか行ってないと言っていた。
あるコックさんは、この店で飲んで酔っぱらったまま朝方に帰宅中、ゴミ収集車に撥ねられて、タイに帰らぬままに命を落とした。また、この店で店長のような仕事をしてたタイ人男性は不法滞在、不法就労で捕まって、タイに強制送還されたと聞いた。
2024年のムアントンタニ・インパクトアリーナ
「天使がくれた戦う心」を読んだ次の週、LOSOのデビュー28周年記念コンサートを観にバンコク郊外のインパクトアリーナに出掛けた。
LOSOは20年ほど前に一度解散し、以降はボーカルのセークがSEK LOSOとしてソロで活動していたが、3年前に突如復活、以降、SEK LOSOとLOSO、並行して活動している。
毎月小まめに、タイ全国の小さい会場もくまなく回ってライブ活動を行っているSEK LOSOとLOSOだが、今回の記念コンサートは1万2000人が収容できる大会場。つい1か月前には、ONEチャンピオンシップのイベントも行われた。チケットは3階席は2000バーツ(約9000円)、アリーナ前方が5500バーツ(約25000円)となかなか高価だ。
7月6日のチケットは販売当日に完売し、7日にも追加公演を行うこととなった。タイもこの20年で豊かになった。LOSOを愛していた世代は、40代、50代となり、それなりのお金も使えるようになったのもあるだろうか。
隣の席のタイ人男性に話しかけられる。40代で、チョンブリー県のアマタナコン工業団地の日系企業の工場で働いていると話してくれた。昔の日本人のボスは社員の慰労パーティの際にLOSOの曲”チャイサンマ―”を歌っていたとのこと。
LOSOのバラードは歌いやすく、またタイ人のスタッフもよく知っていてウケが良いので、ひと昔前はLOSOは日本人駐在員の歌うタイの歌の定番とも言えた。そして、大概歌われるのは、大ヒット曲でテンポもゆっくりな”チャイサンマー”(心のままに)だ。
(チャイサンマ―(ใจสั่งมา)のMV)
そして、28周年コンサートが開始される。満員の観客に向けての一曲目はハードロックのパンティップという曲。かつてコピー製品が大量に売られていたバンコクのプラトゥーナム地域にある商業施設のパンティッププラザ、その存在を揶揄し、「パンティップには行ったらダメだよ」と歌ったこの曲は20年以上前のヒット曲である。
ネット時代になり、かつて賑わっていたパンティッププラザは今はどうなっているだろうか。著者は、バンコクに住みながらも、もう何年も行っていないが、最近は話題にもならないパンティップに時代の移り変わりを感じる。
(パンティップ(พันธ์ทิพย์)のMV)
そして、もちろん、ヌンサヤームが夜の新宿で歌っていたメ―もコンサートで披露された。セークはマイクを観客席に向け、1万2000人が大合唱するメ―。著者が思い起こすのは、メー(母親)ではなく、心斎橋のタイカラオケ屋で歌っていたコックさんたち。今も日本で働くタイの人たちは夜のタイカラオケ屋でLOSOを歌っているだろう。
コンサートでも盛り上がった、SEK LOSOの曲、プーチャナ(勝者)は映画の主題歌にもなりヒットした。前向きな歌詞は、ファイターや、戦う人たちに似つかわしいと思う。
人生は戦いであり
一人で歩いて行かねばならないのです
あなたの行く道を教えてほしい
そして、いつかは目的地に辿り着くことを願います
自分の行動を正しいと確信してください
人の言葉に耳を傾けず、余計なことに注意を払わず、
自分のスタイルを変えないで下さい
堅実なものだけが勝者になります
(プーチャナ(ผู้ชนะ)の歌詞の一部とMV)
2014年のバンコク、ラマ4世通り
著者が通っていたムエタイジムの近くで、路上にテーブルと椅子を置いたタイ料理店があり、練習後に時々トレーナーや練習生仲間と寄っていた。
タイの東北料理(イサ―ン料理)の、焼き鳥やひき肉の和え物が折り畳み式のテーブルに並べられ、もち米と一緒にひき肉の和え物を食べる。ムエタイ練習で充実した日の締めくくり、イサ―ン料理は美味しいが、日本人には辛すぎる。
食べているすぐ脇で、バイクや車が次々と通過する。排気ガスの臭いと暑さと湿気が全身を包む。それでも屋外は開放的で気分は悪くない。ビールの氷割りを飲むと、練習の後ということもあって、酔いがすぐに廻る。
屋外に置かれたコイン式のジュークボックスのようなカラオケマシンに小銭を入れて、陽気にタイの民謡のようなロックのような歌を歌い踊るトレーナー氏、名前も忘れた彼とタイ料理店に行くと、いつも「お前、LOSOの歌うたえるか?歌おうぜ」と誘ってくれた。
トレーナー氏がいつもリクエストしていたのは、ローイイムナクス―(戦士の笑顔の跡)という曲、スローバラードで、静かな立ち上がりだが、サビでは「今より強くなろう、敗北を受け入れない!」と盛り上がる。この歌もファイター向けだろう。
弱い気持ちを心の奥深くにしまって
戦士は笑顔の跡だけ見せるんだ
俺も以前、お前と同じように悲しい思いをした
そして耐えきれない理不尽なことにも何度も遭遇した
でも、その度に、今までより強くなろうと努力して
本当の意味での敗北を受け入れないようにしたんだ
(ローイイムナクス―(รอยยิ้มนักสู้)の歌詞の一部とMV)
日本で試合をした話なども聞かせてくれたトレーナー氏は、いつの間にかジムからいなくなっていたが、今やその顔も思い出せない。そしてそのトレーナー氏が好んでいたLOSOの曲は、もう一曲あった。これはミュージックビデオがボクシングを題材としているから、その「ビデオ見たいから歌わなくてもいいんだよ」といつもビデオを流すだけでトレーナー氏はろくに歌わなかった。ボクサーの入場シーン、ファイトシーンが映し出されるMVを見て、他のトレーナーや店の常連とあーだこーだと盛り上がっていた。
今、しっかりその曲、ムーナイウワイ(器の中の豚~まな板の鯉の意味)を聴いてみると内容はラブソング。LOSOがコンサートで演奏することはないマイナーな曲だが、ボクサーの試合シーンが登場するビデオについつい目が引かれる。ムーナイウワイのような、なすがままにされるもの、立場が弱いLO-SOCIETYの自分だが、あなたに愛を伝えたい、というような歌詞はまさにLOSOらしいと言える。
あなたはとても美しい人
でも、私はハンサムでもお金持ちでもない、器の中の豚肉
それでも遠慮せずあなたに想いを伝えるのです
(ムーナイウワイ(หมูในอวย)の歌詞の一部とMV)
※メー以外のパンティップ、プーチャナ、ローイイムナクス―、ムーナイウワイの歌詞は著者の訳(意訳含む)