愛想よい接客が良いとは限らないんじゃないの?
行きつけのお店に行きつけ過ぎて、月に何度かはヘルプ店員をやっているシリーズ。
接客には一期一会なところがあり、オーナーだろうがお手伝いだろうが、プロ意識を持って臨まねばならない。
「あの店は微妙だ」という判断が下されるのに、接客した人の立場なんて関係ない。接客する誰もが、店の看板を背負っている。
そんな背景から「愛想よく振る舞わなければ」と考えていた。だけど、時が経つにつれて「愛想よく」が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないように思えてきた。
愛層を良くすると困ったおっさんも来る
もし、愛想が悪いと分かっていても訪れたいお店があったとすれば、難点があっても行きたい魅力を認めていることになる。お店の特色に魅力を見出す、すなわちファンだけが集まる。
愛想を良くすることでハードルが下がり、より広く人を集めやすくなる。集客しやすくなると同時に、望まないお客さんも呼び寄せてしまう。「ああいう人が集まる店」というのは、店の印象にも影響してくる。
以下、具体例。氷山の一角ではあるけど、エッジの効いたおっさんが来た話。ありのまま起こったことを話すぜ。
3時間ずっと唇を湿らせ続けた40代のおっさん
立ち飲みは割安に飲めるので、回転率を上げないと商売が成り立たない。愛想を良くすると、居心地がよくなり、なるべくドリンクを頼まず長時間居座ろうとする人が現れる。
「次に何か入れましょうか?」と促すと、「まだあるので」と90mL入れたグラス残量を見せながら断る。一応、飲む動作をするけれど、口に含むとお酒がなくなるので、唇を湿らせる動作をする。グラス往復動作を3時間も続けて席を占有した。
私の感覚だとエエ年したおっさんの飲み方として恥ずかしい。「家で飲みすぎてあんまり飲めない」とか言ってて、「それなら別の日に来い」と思う。
ひたすらマラソンの話をする50代のおっさん
周囲の人と会話するのも立ち飲み屋の楽しさではある。だけど、私の感覚でそれは「オマケ」として付いてくるものである。
周囲を巻き込んで話題の中心になろうとする人はけっこう多い。その中でも特筆に値するのは、マラソンやってるおっさん。どこの大会のトイレはどうだとか、給水はどうだとか、凄ぇ細かい話をする。違う話題になってもマラソンに引き戻して話題を奪う。エエ年して、他に会話の引き出しないんか。
350円の烏龍茶で、なるべく長く話そうとする。他の店で、「お酒は飲めないけどマラソンのメダルを見せに来た!」と言うて何もオーダーせずに帰ったこともあり、スタッフをドン引きさせた話も聞いた。
世の中、マラソンに興味ない人の方が多いんだから話題は選べ。いや、私の方がフル速く走れる程度には精通しているけれど、話題のテーマ選びというよりは、一方的に話し続けるのが良くない。まわりのお客さんが帰ってしまう実害もある。
安上がりガールズバーを求める60代のおっさん
ガールズバーかキャバクラのようなサービスを期待して、「若い娘としゃべりに来てるんや」と言ってしまうおっさんも現れた。たしかに、女性の学生スタッフは多い。
男性店員の日だと「今日は女の子おらんのか」「ハズレやな」と平気で言う。「お前が客としてハズレやで」と思う。
気の利いた会話がないと「お前の仕事は立っとるだけか!」と怒り出すおっさんもいた。ちゃんとドリンク提供しているので、立っているだけではない。構って欲しかったんだろう。
いかんせん、そういうお店じゃない。キャバクラにでも行けと思ったら、キャバクラでさえもお呼びじゃなかった。
子供の「ママ観て」に帰着する
怒鳴って催促してくる人って、子供が数百回は繰り返す「ママ見て!」をこじらせたやつなんじゃないか?という旨のことを書いた。
この記事で紹介したおっさんも、「まなざし」が満たされずこじらせて年を重ねたで説明つくように思う。
愛想をウリにするのは危うい?
曜日によっては、抜群に愛想のよい女性スタッフがお店に入る。お目当てに来るファンも多く、勧め上手なので売上も上がる。でも、そちらに重きを置く弊害もあるかもしれない。
私が客として惹かれたのは、日本酒の種類の豊富さだった。日本酒ファンが集まってたくさん飲むので、いろんな銘柄がおろせる好循環に支えられている。愛想よさに舵を切ると、本来の日本酒ファンが離れるんでないかは心配がある。
また、「女性でも入りやすいお店」がアピールポイントだったのに、愛想につられたクセ強めのおっさんが集まると、それ以外の客層が遠ざかる心配もある。
客席側にいる時は、私だって愛想よくされた方がありがたい。だけど、それを意図したお店でない限りは、ド真ん中の価値に集中して、愛想は付加価値に位置付けるのがよさそうに思う。
マナー・ルールで駄目なら課金すればいい?
お店には既にたくさんの出禁項目リストがあるんだけど、上で紹介したおっさんはNG事項をすり抜けた事例となる。
マナー、ルール、課金のどれで対策するのが適切だろうか?ということは一緒に考えている。
マナー:お願いベースで強制力はない、奥ゆかしい対策。クセの強いおっさんにはスルーされがち。
ルール:NGルールに追加して出禁とる。自由主義に反していて、粋じゃないので最低限に留めるべき。やむを得ない場合のみNG項目を追加する。
課金:お店にとって困ることをNGにするかわりに、値段を付けて採算をとる。
お店にとって困ることを禁止するのではなく、課金すりゃいいじゃん!という発想は斬新で画期的に思える。
試しに「最後のオーダーから1時間が過ぎればチャージ料 500円/30分」を提案してやってみると、それなりの効果が得られた。
ただ、先ほどのマラソンおじさんは、時計を見ながら59分目に烏龍茶1杯を追加オーダーした。マラソンで培ったタイムキープ力を発揮していることは賞賛に値する。値付けの設計が甘かったか。
ファールの線引きは難しい
ルール・課金どちらをとるにせよ、客観的な線引きをすることはとても難しい。
境界線の設定が厳し過ぎると、もともと来て欲しかったお客さんにまでプレッシャーを与えてしまう。受け取る印象としては、愛想を悪くするのとほぼ同じ。
特に課金の場合は「お金払ったんだから客だぞ」の意識が強くなる。払わず驕る客より百倍マシだけど、羽振りよくごちそうすれば何しても許されるという訳ではないのも大事。
境界線の設定を甘くし過ぎると、ルールや課金に応じる限り、ギリギリ攻めるのを許可したことになり、それ以上は非難できなくなる。
マナーとしてお願いし続ける道はなかったか?文化や宗教のように浸透させられないか?は考え抜くべきだろう。
線引きしてアウトをとる前の段階で、来てほしいお客さんだけに届くような愛想と空気感を作れたら理想だと思うようになった。
闘争としてのサービス
『「闘争」としてのサービス』という本の中で、高級なお店になるほど愛想が悪くなることが紹介されていた。
例えば、高級な鮨屋ほど大将が不愛想になる。高級なフランス料理の店ほどメニューが分かりにくいなど。
京大の先生が真面目に研究している本で、すごく読むのに苦労するけれど、着眼点は面白い。要約としてはこちらが分かりやすかった。
最近だと(江戸だけど)遊郭の一見さんが花魁から塩対応される描写が大河ドラマにあった。緊張した環境でお客さんの振る舞いを見極めることで、サービス提供後にスタッフを守る意味もあるかもしれない。
現代でも、口コミサイトで「常連だけに愛想よく、一見には塩対応」というレビューを見ると、正直「あんまり行きたくないな」という気持ちになっていた。でもそれには自衛策の側面があったのかもしれない。
サービスの提供は、店→客へと一方通行になされる訳ではない。お客さんに難題がふっかけられ、達成することを通じて、お客さんもサービスの一部として巻き取られる。それが本で言われる「闘争」だとか。
高級店と立ち飲みは話が違うけれど、お客さんがサービスの一部になる要素は普遍的に「あるよね」と感じる。
愛想の調整によって、それでも集う客層だけが来る。客層もまたサービスの一部として、他の人から見たお店の印象を左右するような相互性を持っている。