人の目を気にするタイプなんだね?
大阪梅田やら天王寺やら神戸三宮やら少し大きめな繁華街と比べて、私の地元である筋界隈で飲みにくる人々の方が癖の強い人(クセツヨ)が多いと感じる。
けっこうな頻度でおじさんに絡まれる私の視界から見た世界認識に過ぎないけれど。ここ3週ほど連続で別々のおじさんから絡まれている。
下町だから人懐っこいので距離感が近いとか、わざわざ出かける繁華街でなく、家のようにくつろげる街とかいう要素は理由として挙げられるだろうか。
妻に言わせると「クセツヨ同志は惹かれ合う」らしい。でも確かに、やたら一眼レフで酒や料理を撮っているのでツッコミどころはある。
本人のタガが外れて楽しくなって絡んでくるパターンを除けば、大体はマウントを取りたいおじさんが私に絡んでくる。腰低いので「コイツ相手ならマウントとれそう」といったところか。
私なりにマウントおじさんを分類すると、「俺はすごいんだぞ!」を推してくる能動型マウントおじさんと、「お前のココが駄目だ!」とDISってくる受動型マウントおじさんに大別できる。
デザインリサーチを生業にしている私は、能動型マウントおじさんの話を「師匠と弟子モデル」よろしくフムフム聞くのはけっこう好きだったりする。
それなりに凄い人だと、知らない世界についての学びがある。「それなり」と書いたのは、本当に凄い人はわざわざ自慢はしない。それでも、好きなことを語る人は憎めない。
狭い世界で「お山の大将」であることが多いとしても、「この人はこんな点を誇りに思っているのか」を知ることもまた面白い。
ちょっと面倒なのは、受動型マウントおじさんの方。私自身が土俵に立たされるのが忙しく、メタ視点から観察していられなくなる。こちらは楽しくない。
「どこの大学出たんだ?」「何の仕事をしてるんだ?」「俺に説明してみろ!」「高学歴な割には説明も出来ないのか?」
そちら方面でマウントを阻止すると、今度は「オマエの魚みたいな顔してるな」とか観た目を非難しだす。「解ります?水泳メッチャ得意なんすよ!」と返すと、水泳話には興味ない受動型マウントおじさんは帰っていった。
やっぱり、他人を貶してしか自分の価値を確かめられない受動型マウントおじさんは友達になれない。私も多少は交戦的になって大人気なかった。でも反省はしない。
その中でも自分に対する気付きがあったのは「オマエ、まだマスクしてるのか?いちいち他人の目を気にするタイプか?」という難癖だった。
私は自分のことを「他人の目なんて気にしない」と自己評価しているので、ジョハリの言う「盲目の窓」とのズレが気持ち悪かった。でも本当に気にしないなら、受動型マウントおじさんが何と言おうと放っておけばいいのに、何をムキになっているんだろう私は。
冷静に振り返ると「私がどう見られるか」と「他人を不快にさせて平気か」について、受動型マウントおじさんは同一視していて、私は別物だと捉えていることが分かった。
私は自分自身に対する良し悪しの評価軸は自分で決めたい。重要視している評価軸に対しては、内外の認識を一貫させたい。でも他の評価はどうでも良い(ここだけ見ると人目を気にしないことになる)ことが解った。
受動型マウントおじさんの恩恵として、私自身の理解について解像度が上がったことが挙げられる。でも、酒が不味くなるので、できればもう会いたくない。