#0043 「心のダム」は満たされているか?
行動や言動は、その時のジブンの状態によって違ってくるなということを思います。疲れていたり、焦っていたり、イライラしていたり、欲しいものがなかったり、そんな満たされていない時にはどうしても行動や言動に影響しています。
私は妻と娘の3人暮らしです。結婚して所帯をもったとき、娘が誕生した時、私は「妻や娘の為にー」と思いました。そこには「夫」「父親」という続柄への固執が隠れています。
老子も言っていましたね。固執するなと執着するなと。自由になれと。最近、仕事やプライベートの生活のなかで、ジブンが疲れていたり、なにか満たされていない状態なのに、なにかを与えるとか施してやるといった姿勢はおこがましいのではと思ったのです。今日は〇〇のためにとか思いがちなんだけど、その前にジブンの状態はどうなんでしたっけ?という問い掛けを考えていきたいと思います。(1801文字)
○ 見返りを期待するGive&Take
Give&Takeという言葉があります。この言葉ではGiveすることを意識しがちです。
その裏には「なにか一つを与えて(Give)、その代わり一つこちらの要望をかなえてもらう」という意図が隠れている気がします。
本来は、持ちつ持たれつも互いに助け合い与えあうことで公平に付き合うことを表した言葉だと思うのですが、本音をオブラートに包んでしまいます。
○見返りを回収しようとする心
とくに子供と接する中でイライラしてしまうのは、ビジネスの世界では、この本音をオブラートに包んでも、中の意図は実現可能なのだけれど、子育てやプライベートの人間関係においては、必ずしも成立しないからだと思います。
Giveしたものがビジネスでは後になって何らかの形で回収できるが、子育てや人間関係においては長期間待ってやっと回収できたり、まったく回収できないことすらあり得ます。とくに子育てにおいて。
○ Giveと思っても本質はTake
子育てにおいて、Give意識があると、金八先生がよく言う「心のダム」の水をGiveできなくなっていきます。しまいには心のダムの水がなくなってしまい、イライラしてしまう。
心のダムが半分の状態で水を与えようとするとどうなるでしょうか。
「水が半分しかないのに、あなたに水を与えました。」といった心が働きやすくなります。こうした俎上でGiveしていては、本質的にはどこかで相手から見返りを期待していてTakeをしているのと同義だったりすると思います。
実際には、相手に何かをGiveしている風でいて、相手からTakeしようとしている行為です。
なので、ジブンが何かに欠乏している状態では、無意識のうちにTakeになっており、なにかで欠乏状態を補おうとしているはず。だからジブンが満たされた状態でないと、本質的なGiveはできないのではないでしょうか。
○心のダムを満たそう
だからこそ、人に与える前にジブンの心のダムの水を満たすことを優先すべきではないかと思います。満たされている時に初めて本質的なGiveができる。そして、そのGiveは見返りを期待しない。ダムから水が溢れそうだから、少し受け取ってください。という姿勢で与える。そうすれば、貰った側は、与えてもらった恩のためにお返しをする必要がなくなり、新たな欠乏を作る必要がなく、追加的に水を補充することになる。その結果、人を満たし、真のGiveが成立するのです。
○「何かの為に」が先にあるのではない
役に立ちたい、貢献したいという目的が先にあるのではなく、自らを満たした結果、溢れた水を貰っていただくことで、結果的に人の役に立つ。だから、頭から人に貢献しようなんて思わない方が良いのかもしれない。ジブンの心のダムが満たされていない状態で人に貢献しようとすると、先程の論理に従えば、相手から水を奪うTake行為をしていることになる。
まずは、ジブンを満たし、本質的なGiveを目指す。
これをメタ認知すると「貢献」と受け取れるのかもしれない。
そうした本質的なGive状態の人の輪の中にいうと、自ずと自分も満たされた状態になる。これは職場や家庭でも同様のことがいえると思う。ジブンに厳しくすることも大事ではあるが、ジブンを満たしてあげることも、人や社会に良い貢献をするための必須条件なのではないだろうか。
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