好き の理由
不要不急のお出かけはやめておうちにいましょう
これが出てから気付いたことがある。
「みんな仕事帰りや休日にあちこち出掛けるんだ」と言う事実。
籠っていると鬱になるとか、運動不足になるとか…キリがないほど数え上げられる弊害。
確かに状況が状況だけに仕方ないとも思える。
だけど、こちらの生活は以前と何も変わらない。
買い出しはもともと週1か2だし(「生活必需品の買い出しは3日に1回にしましょう」は無事クリア)、道ですれ違ったご近所さんに挨拶するぐらいでほぼ誰にも会わないから(「人との接触を8割減らしましょう」も無事クリア)、減らせる分母がもとからない。
ある程度の情報は欲しいから普段見ないテレビをつけてみるも、負のオーラで全身を包まれてそのまま真っ黒な繭にでもなりそうな気が…。これはやばいぞと思い始めた頃、自粛生活の過ごし方なんて言うものがあちこちで流れ始めた。要するに手に入るもので楽しめってこと。意識を違う方に向けろってことか。「出向く」「人に会う」と言うキーワードを排除した情報ばかり。一人で(もしくは家族単位の少人数で)この期間中に何をしたか、何ができるかなんてことも話題になりだした。
と、ここまで考えてまた気付く。
私はここ数年自ら自粛生活(おかしな表現だけれども)をしていたってことか?みんなが辛いって言ってる生活を。何だか虚しくなった。テレビは早々に封印し、ラジオに移行。で、見事に嵌る。淡々と流れ他愛もない話。毒にも薬にもならず、後に残るのは透明な空気感だけ。(おぉ、生きていくのに空気は必要だ。)そこでまた考える。じゃあ、そもそも有益な情報ってなんなんだ?と。
でも、良いこともあった。
「好き」に理由はいらないってこと。自分の「好き」を他人に認めてもらう必要はないってことを今じゃなかったら、きっと興味は持たなかっただろう親子ほども年の離れた人に教えてもらった。自分は自分でいいんだ。人様に迷惑さえかけなければ。もちろんこの状況下では尚更そこが重要だけれども。
新しい生活様式とかで人々が少しずつ街へ出始めるなか、私はこの機会に好きになって、そして得たものを自分の中に落としこんでいきたい。
外に出ようがうちに居ようが、肝心なのは足の裏が地面についているどうか。(ちょびっと浮いてることもあるかもしれんけど)
好きなものは好きでいい
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?