100分の1の行動力
僕が考えていることは、10人中1人が考えている
藤原和博さんの「必ず食える1%の人になる方法」を読んでから
僕の行動理念の中に入った言葉。
(本にこの言葉は書いてないです。ただ僕が感じたことです。)
僕は特別なことを考えているわけではないし、ましてや閃きの天才でもない。
僕が考えていることは10人中1人は考えていること。と仮定する。
つまり、「面白いことを思いついた!!」と意気揚々、自信満々にツイートしても、僕のフォロワー390人中39人は同じことを考えている(考えたことがある)と思っています。
ひねくれているわけじゃないです。
100分の1の行動力
10人中1人が同じことを考えて(思いついて)も、決して同じことをするとは限らない。
考えていることが同じであってもそこから行動に移す人は、さらに10人中1人なのではないか。
つまり、100人いれば、10人は同じことを考える(思いつく)が、実際に考えのもと行動に移す人はこの10人中1人ぐらいである。
だから僕は”日本茶の淹れ手”になれた。
お茶の世界は長らく”淹れ手”が不在だった。
正しくは、”淹れ手”と名乗る人がいなかった。
不思議だった。なぜ、茶業の細分化された中に「お店でお茶を淹れること」をメインにした人がいないのか。
バリスタに憧れていたからこその視点だったのかも知れないが、”淹れ手”として茶リスタを名乗りはじめた時に、茶業者から「確かにその役割(ポジション)はない」と言われた。
そこで、僕はお茶屋でもなく、茶農家でもない。カフェやスタンドで日本茶を淹れる”日本茶の淹れ手になろう”と決めた。
ちなみに、日本茶インストラクターに落ちた僕は”日本茶ソムリエ”とは名乗れなかった。笑
(受かって日本茶ソムリエと名乗っていたら今の僕はいなかったかもしれない)
きっと他にも同じことを考えていた人はいたであろう。しかし、行動に移していた人は僕の周りではいなかった。(お茶仲間はたくさんいたよ)
そして、紆余曲折、あぁだこうだ、すったもんだあった末に、UNI STANDで正式に”日本茶の淹れ手”としてデビューする。
SNSをはじめ、メディアでも茶リスタという”日本茶の淹れ手”として紹介された。
さらに、紆余曲折、あぁだこうだ、すったもんだあった末に、Satén japanese teaをOpenした。
この時にはなんだか周りにも”淹れ手”が増えていた。
”日本茶の淹れ手”という100分の1の行動を起こしている人が増えたと感じた。
というより、目に見えるようになっていた。めちゃくちゃ嬉しかった。
淹れ手の先駆けとはおこがましくて言えないし実際にも違うけれど、今では普通に”日本茶の淹れ手”を使っている人がいて、なんだか安心する。
ちなみに、Google先生に『日本茶の淹れ手』を聞くと
なんと中途半端なVol.2の記事がトップにヒットした。
(よければVol.1から見てください)
”一杯のお茶としての価値”
前回の記事で書いた淹れ手として掛け算していく価値をどこまで付けられるか。
次は10人の淹れ手の中で、どのような個の1人となるか。
その10分の1が問われているように感じる。