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第二章 親の反対で美容師になった青年時代

美容師から料理人への転身

こんにちは、「オクシ」の山口弘です。今日は、中学卒業後に美容師として歩んだ私の青年時代についてお話ししましょう。

中学を卒業してからの私の生活は、全く新しいものでした。平日は美容学校に、週末は通信制の高校に通いました。学校生活は楽しく、あっという間に1年が過ぎ去りました。その後、美容師としてのキャリアをスタート。最初は接客に苦労しました。まず美容室ということで、お客様がほぼ女性。まだ男性美容師が少ない時代でしたので、お客様の中には男性美容師が苦手な方もいらっしゃいました。なるべく接客中のお客様に負担がないようするにはどうすれば良いか考えました。まずは遠くから鏡の端に映ることで存在を認識してもらい、そこから徐々に近づく。次は視界の端に自分が入ってきたあたりから声をかける。声をかけるのも心臓と逆側の右から声をかけるなどです。上記以外にまず色々試しましたが、果たしてどれくらい効果があったかわかりませんが、徐々に接客にも慣れていき、高校2年生の秋に高校を辞めて仕事に専念するようになりました。当時、美容師はカリスマ美容師ブーム。ドラマ「ビューティフルライフ」の影響もあり大注目の職業でした。東京の人気サロンを訪れたり、ヘアーショーに雑誌の撮影に刺激的な日々でした。

料理への情熱と父の影響

実務では技術を習得する過程で、カットよりもカラーやパーマなどの施術に興味が湧いてきました。薬剤の配合、放置時間、加熱温度など、条件の微妙な違いが仕上がりを変えることに驚きました。これは料理のレシピに似ていて、髪と薬剤の組み合わせの多さに新しい世界を見た気分です。また、ある状態を作る方法が一つではないという経験は、今の料理に対する考え方にも大いに役立っています。

独立計画の変更と新たな道

いくつかのサロンを経験し、友人と3人で独立計画を立てました。エリアのリサーチや、どういうスタイルをやりたいなど仕事終わりから朝になるまで話していました。
私は先に仕事を辞め、待機していたのですがそれが突然無くなります。友人の1人が彼女が妊娠したので結婚しようとおもう、今から冒険できないので、すまないが今回は手を引きたい、そしてもう1人の友人も実は有名サロンからうちに来ないかという話がきてる。
あいつが合流できなくなったなら、俺も抜けていいかと。先に仕事を辞めて待機していた僕は唖然としてしまいました。もちろん、すぐに美容師として仕事を探してもよかったのですが、高校を中退して以来がむしゃらに働いてきたこともあって仕事について立ち止まって考える機会になりました。2年ほどフリーターで色々な仕事をした結果、最終的に料理人としての道を選びました。25歳で料理人として働き始め、父に色々考えたが料理の道に進もうと思うと報告すると温かい言葉をもらいました。

父の過去と私の選択

父もかつて、中学校を卒業してすぐに植木職人になりたかったという過去があったと話してくれました。しかし、祖父の意向で高校、大学へ進学し、結局は夢を諦めました。私が中卒で働きたいと言った時、父は自分の過去を思い出し、自分を重ねて、もし自分があの時進学せず就職したらどうなるか息子を通してみてみたい、料理人を辞めた場合のリスクや、自分のifストーリーを息子で試して良いのかと言う葛藤があった。そして自分はifストーリーの方が見てみたいと思い、君に高校に進学しないと言う進路を許可してしまった。そのことが君にとって良かったのか、自分の選択が正しかったのか長い間悩んでいたと教えてくれました。

私の人生は、父の人生と重なりつつも、最終的に自分の道を見つけました。料理人としての道を歩む中で、多くの挑戦と喜びを経験しました。お客様が私の料理を味わい、笑顔になる瞬間が私にとっては何よりの報酬です。そして今、レストラン「オクシ」で皆さんにお会いできることが、私の最大の喜びです。

私の物語はまだ続きます。これからも、皆さんと共に、味わい深い料理の世界を探求していきます。次回は「再び料理人を志し、一歩踏み出した20代」についてお話しします。私の料理への旅は、これからも続いていきますので、どうぞお楽しみに!

どうしても周りの人を見て、違う道もあったんじゃないかなと思うことは今でもあります。しかし、この時に自分の選択を信じて取り組めたことは、今でも自分の力になっていると感じます。

そういう人に来てほしい、一緒に料理に真剣に取り組んで、前向きな気持ちでやってほしいなと思います。真剣に取り組んで得られた技術は裏切りません。

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ぐっさん@BistroOcci(オクシ)
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