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花香る春、私たちのまちを震撼させた新長谷寺藝術祭「十一面」について書き留めたい|十一面絵巻-上-

こんにちは…四国中央市にとんでもない衝撃をもたらしたアート・デザインの祭典、新長谷寺藝術祭「十一面」からはや2週間。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

思い起こせば、イマナニの体験レポート記事を
鬼のような勢いで書き上げたあの日。


心躍りながら書いたものの本音はまだまだ言いたいことがたくさん。こりゃ〜〜〜もうnoteにしたためないと
私の中で消化できない!という感情が爆発しnoteにも記録を残そうと決意しました。

予備知識なく一つ一つの作品に出会ったときの素直な感想と、改めてキャプションや作家様のプロフィールを見た上で感じた感情、瞬間の記憶やいろんな思いを織り交ぜながら、徒然なるまま日暮パソコンに向いて情熱ほと走りながら書いてみました。

本当に個人的な感情のままに書いてるので、作者さまとは違ったところにぶっ飛んでいっていたら、大変申し訳なさすぎるのですが。

でも、一つ一つの魂の籠った作品と向き合いながら、書くことは本当に楽しくて面白くて、気がつけば、めちゃくちゃ疲れ果てとりました。

ただの鑑賞者の一人である私自身も全身全霊で、藝術祭を楽しんでいたんだとnoteを書きながら、改めて思った次第です。

故に、新長谷寺藝術祭をリアルタイムで楽しまれた方も
今回は残念ながら行けなかった方も一緒にクレイジー&クリエイティブな未知なる扉を開いちゃいましょう!

では、いざ参らん!

そう、全てはここからはじまった。

森下拓紀「Sight」

ご存知の方もいらっしゃると思いますが「十一面」の由来でもある新長谷寺のご本尊「十一面観音菩薩」が
一番最初に辿り着いた寒川黒岩の地。

今日の全ては、ここから始まったといっても過言ではありません。(厳密にはここではないのですが埋め立ての関係で移転を2度ほど繰り返し現在はこの場所に安置されております。)

それは今より、1200年以上も昔のお話。
奈良の長谷寺の本尊を造刻する際に、試作として造られた6尺2分の十一面観世音菩薩さまがおられました。

非常に素晴らしい観音様だったので行基が、難波の浦から虚舟に乗せて「仏法有縁の地に到りて衆生を済度給へ」と流したところ、この寒川黒岩の浜に漂着。発見した村人の手によって山腹(現在の新長谷寺)に奉祀されました。

そこからもまた色々と奇跡や必然がおこるのですが、続きが気になる方は、歴史の知識も抜群な新長谷寺の副住職さまにお聞きしてみてください!

ぺかーーーっと私たちのまちに灯る灯籠は行先の目標「灯台」のようでもある。

そんな歴史が残る寒川の黒岩の地にそびえ立つ灯籠にまず注目。ここ最近はオブジェクトのようになり、灯りがなかった灯籠に、優しい瞳がぼんやりと浮かび光る。

この作品は「記憶」をテーマにされているそうです。
明かりが灯ることで命が吹き込まれたようにも見える姿は、まさにそこであった記憶を呼び覚ましてくれているよう。

この地で生きている私たちに、ちょっと立ち止まってと
過去を導き伝えてくれているかのような作品でした。
個人的に、黄昏時に染まる海と空に溶け込む様子が美しかったです。

さて、新長谷寺の歴史が詰まった始まりの地「黒岩」を堪能したら、続いて寒川のまちへ向かいます。

さまざまな青春ストーリーが生まれているであろうなつかしの寒川駅周辺。

この近くの民家、倉庫にも作品が展示されていました。

本物の倉庫

人の敷地感バリバリのこの場所。
ええんやろか?という不思議な感覚で進みながら、倉庫に入ると目に飛び込んできたのは、色彩鮮やかカラフルな風神と雷神です。

阿南さざれ「15-1」「15-2」
アップにしたらまた可愛すぎる。

この作品は、風神雷神をモチーフにしたもので、鑑賞に訪れた方々が、自由に色や感性を重ねていった作家さんとの共作だそうです。

訪れる人によって変化していく作品。年齢性別世代を超えて積み重ねられた色は、きっと作者さんでも予測不能。一つの人格、個性のように輝いています。

そしてその光景は、私たちの人生のようでもある。
この作品のように、出会う人や価値観、生き方に触れて、自然と変化し続けながら人間は、生きているのかもしれないとも思いました。

だとすれば、それはきっとこの作品のように美しいことなのかもしれません。

なんかこういうところも美しいな。

続いて、お隣にあったこちらの作品。
木のシックな素材感、質感がシンプルに伝わってくる作品です。

tado「Nature or Nurture」

どうやらこの不思議な素材は「流木」だそう!
木は森にあるものというイメージ。でも、流木は海で発見することが多い。
森で育ち、海で過ごした流木。よく考えれば確かに異質な存在です。海のものとも、陸のものともわからないそんな素材。でも刻み込まれた荒々しい傷の数々や、波にぶつかり虫や魚やプランクトンにつつかれて、変化していった形状は唯一無二。

ある意味この素材でしか得られない未知なる魅力です。

マテリアルを考える。

その姿に貫禄も感じる。

これも作品ですか!?

なんか最後の一枚ものすごくエモくて撮影したんですが、作品じゃなかったら、すみません。
さっきの作品を見ながら、こういった感覚を呼び覚ましてくれるのも新長谷寺藝術祭ならではの感覚かもしれないと、撮影しながら、しみじみ思いました。

そして、お次の作品へ。
小さな小部屋の扉をひらけば、そこには別の世界が広がります。

藤井智也「窓のない部屋」

黒い部屋にそれぞれ違う時間軸で撮影された窓があるお部屋が2つ。ぼんやりと眺めながら過ごすと、それぞれ違った変化が加えられ、また不思議な光と影のコントラストを味わうことができます。

ぼんやりと浮かぶ窓の外。

窓から得られる情報に安心したり、そわそわしたり。
窓の役割や存在をこのお部屋に入り込むことで一緒に体感しているかのよう。

私たちの生活の一部でもあり、美術史でもその象徴として描かれることが多い窓。うーーん、なかなかに深い。暗くて最初ビビり散らかしましたが、なんともじっと見てしまう空気感のある作品でした。

そして、倉庫の横にある古き良き和風の民家へ。

民家

民家すぎるので、思わず「お邪魔します」と言ってしまう有様。中から優しいおばぁちゃんが「はぁい?」って出てきそうなほど、そのまんま民家です。

そしてここには、入り口から入って左右のお部屋にそれぞれの作品が展示されています。

そういえば、ハンターハンターで「人は右か左か迷った場合、左を無意識に選ぶケースが多いらしい。だから右が安全。」とクラピカが言っていた。

しかし、私はレオリオの如く単純なので「左」から行ってみました。

CRIE「たまたま今日生きている」

目に飛び込んだのは鮮やかなショッキングピンクのファンキーな棺桶!か、棺桶!?と、思いながら机の上をみるとそこにはポツンとアルバが置いてありました。

恐る恐る覗いてみると、棺桶が過ごしたであろうと思われる日々の軌跡が。そう、この作品のタイトルは「たまたま今日生きている」

キラキラと木漏れ日に寝転ぶ棺桶、海で朗らかに微笑む?棺桶お家で当たり前の日々を過ごしている棺桶…
今過ごしている私たちと同じかもしれないとふ、と脳裏に過ります。

私たちが生きている今は、たまたま生きながらえているのかもしれないし、必然なのかもしれない。とにかくここにある棺桶は明日の私かもしれない。なんてことも考えたりして深く感銘を受けた作品の一つでした。

そして、右のお部屋へもGO!

noisy_eye「再生記憶 / regenerative memory」

入った瞬間包まれる「このなんとも言えない奇妙な感覚」
4歳の息子は「怖い」と言ってはいりません(笑)なんだろう、怖いような?ファンシーな楽しさもあるような?でもやっぱり大分不気味。この違和感は一体なんなんだ!?と、思いながらキャプションを読んだら納得しました。

「作者さん自身の家族とのネガティブな思い出を元に、AIによって生成されたイメージ」それをこの家屋と組み合わせて、思い出を再編集しているとのこと。

chatGPTはポジティブな発想を中心としているそうで、
ネガティブな創作はしてくれないそうです。なので、作者さんの記憶がある種、望んでいても望んでいなくても
変換されていった結果の作品なのかもしれない。

入った瞬間のこの複雑な感情は、そういうことなのだろうか?そして、記憶とは、本来そのように変化するものなのかもしれないとも感じました。

幕をゆっくりとめくって中に入るとこちらの作品も間近にみることができます。水の中に鎮められた文字、この記憶の核なのでしょうか?全て読み取ることができなかったのですが、じんわりと人の体温や記憶を感じる不思議で興味深い作品でした。

さてさて、たくさんの作品を味わったところで
新長谷寺に向かって寒川のまちを上がっていきます。

実は、その途中の民家にも作品が展示されているんです。地元のまちを歩いてゆったり散策するのは、中学生ぶりかもしれない。探訪気分を味わいながら作品を探すのもめちゃくちゃ楽しかったです。

そして到着したH邸。

こういう看板なども演出がしっかりされているのがすごい。

その倉庫にあった作品はなんと霊獣「獏」をモチーフにした大きな切り絵!

長谷川隆子「夢食む」

真っ暗な室内で、迷う人々に光を与えてくれるかのような貘。キラキラと美しい模様が輝きながら、お腹の中には人の頭蓋骨や武器のようなものが見える。なんだか不穏でもあり、しかし安心感も与えてくれる、何より美しい。

様々な動物を感じさせてくれる霊獣。

獏が悪夢を食べるように、私たちの世界の負のものを食べてくれているのかもしれない?悪夢とは一体なんだろう?と、頭を悩ませてみたり、優しい希望もそっと与えくれるような作品でした。

作品をじっくり堪能したら、もう少し登ったところにあるT邸へ。

そこに広がった光景はまさにとんでもなくクレイジーなビッグラブです。

Smells good company「LOVERY AKMLJ ROOM」

思わず、立ち止まり固まる4歳児。
目の前に突如現れる大量のめくじルーム。

「ぼ、僕は一体何を見せられているのだ…」実は、うちでもめくじを2匹飼っているのですが、それでも混乱してしまうほどに、めくじ愛が溢れたお部屋でした。

オフトゥンのめくじはおメメがちゅるんちゅるんでかわちい。

一際、存在感を放つでかいオフトゥンめくじから始まり

アンディウォーホルAKMKJ

名画のようなめくじ。

もちろん本物めくじも待機中

なんと厳重に保管されている本物めくじちゃんにも会えちゃいました!!!

個人的に大好きなキラキラめくじ

いろんなめくじちゃん(たまにnot めくじ&よそのめくじ)にも出会えるこの空間。気がつけば、その狂気の虜になっていました。めくじ…お、恐ろしい子!!!

「めくじをのぞく時、めくじもまたこちらをのぞいているのだ」

という言葉があるように(?)最終的にめくじの魅力にどっぷりと浸かってしまうお部屋。狂気と愛の狭間で、心地いいのか悪いのか、この絶妙な感覚を味わい尽くすという貴重な機会をいただきました。

最高の気分を噛み締めつつ、お待ちかねの「新長谷寺」へ向かいます。


十一面アートでレクターのtadoさんが昨年度、展示されていた作品がとても印象的だったお堂前へ到着。

今回はどんな作品なのだろうとワクワクしながら向かうと飛び込んできたのは、それはそれは芸術的な…人の腕!!!???

内海篤彦「星座に見えるホクロ(あるいはタトゥー)」

この腕をよく見ると見えてくるのは、星座のように腕に散らばるホクロ?それともタトゥー?ただの点なのか、規則性を感じる点なのか?何に見えるのかは、見る人によっても感じ方が変わりそうです。

まだまだ考えてます。考えれば考えるほど巡り巡る作品。

私はみた時、なんとなく「北斗七星」のような星座に見えました。そして、思い起こせば星座って、私たちの祖先のそのまた祖先の…遡ること5000年前の紀元前、メソポタミア文明あたりからすでに人類の歴史に大きく
関わってきた存在。日本でも陰陽師とか星座を利用していた気がする(大河ドラマの知識)

はるか昔から私たちの生活を彩り、政治的にも様々な利用をされきた星座。たくさんのものに見立てられてきた星座。そしてタトゥー(作り物)かもしれない星座。

夜のライトアップは、夜桜とあわせて鑑賞しました。

その深く難しいテーマに立ち止まってじっくりと考えに耽ってしまう作品でした。なんならこれ書いている今もずっと考えてます(笑)そう、始まりからすでに深くて濃い!

考えに耽りながらも、なんとか新長谷寺の門へ移動しました。

そこにあったのは異次元の存在感を放つ鮮やかな
ステンドグラスのような作品。

はくいきしろい「stained polymethyl」

光の当たり方によって様々な表情を見せてくれるこの作品。藝術祭を見に来た人たちを次々と惹きつけ、ここからさらなる未知の世界への期待と不安を高めてくれているのかのような作品でした。

まず皆さん立ち止まって「おお〜〜〜」と鑑賞。
あっちからこっちから様々な角度で見入っています。

そして、夜のライトアップでは、また違ったお顔も見せてくれます。入る人を迎えるような?ある種拒むような?アーティスティックで神聖な存在は、多くの人々の興味を誘っていました。

そんな門をくぐると聞こえてきたのは「ガガガ、ドドッドド、ダンタン!ズルズル…」と摩訶不思議な音。電車好きの次男は「ガタンゴトン!」と叫び電車の音だとお気に入り。長男は「なんか怖い…早く行きたい」とビクビク。

春の美しい境内に響く「音」

聞く人によって感じ方が変わるこの音。一体なんでしょうか?そして、その正体はというと…橋の下にありました。

yamahara「field recording no.11」

そう、これは物理的な手法でフィールド・レコーディングされた音。新長谷寺のご本尊が漂流した浜辺から新長谷寺までの道筋を実際に円盤を引きづりながら辿った音を採取して制作されたそうだ。

ご本尊が通って行った道筋がこの音、ノイズとして表現されている。始まりの地、黒岩からここに辿り着いた瞬間の感動を追憶しているかのような体験ができました。

そして面白いことに、この「音」の作品は、聴覚から情報を得ることで様々な想像力を掻き立ててくれます。考えるより原始的それこそ「感じるがまま」に作品の世界に没入できました。

個人的には、昼と夜でもその感じ方が変わったような気もします。

夜の新長谷寺、はくいきしろいさんの作品と音が合わさり異世界のような雰囲気に。

そのまま境内へ進むと、右手と左手に魅力的な作品が展示されています。

まず、右手側には、可愛らしくて美しい和紙の花が咲き誇るお地蔵さまのお堂が!

松本莉央「plant lives」

このお花は、牡丹の花がモチーフ。仏教でよく用いられる牡丹紋様に着想を得て制作されたそうです。広がる空間は、まさに曼荼羅。太陽に照らされて輝く花姿は、かぐや姫にでてきた光る竹のように美しい。そんな気品のあふれる牡丹たちがふんわりと花弁を纏って咲き誇ります。

夜も違った魅力が爆発!

そして、夜になると、真っ暗な暗闇に、ぼんやりと浮かび上がるお堂が印象的。この曼荼羅空間は、まるで蜘蛛の糸のよう。ああ、あそこに行けば極楽なのかもしれない。と、思わず息を呑んでしまうほど、吸い寄せられた神秘的な光景でした。

そんなお花たちを楽しんだら、左手の道へ進みます。そこにあったのは、四方八方に自然を取り込んだ…いや。
むしろ一体化している作品が!

Ryohei kan「Ten Faces」

あまりの一体化具合に、見逃してしまう人がいるかもしれないと思うほど周りの風景と融合していました。写真に撮るのが一番難しかったです(笑)そしてじっと見つめていると、風景になじみながらお顔が浮かび上がる。そう、これはあの有名な「ルビンの壺」です。

闇に溶け込む作品。

このお顔は新長谷寺のご本尊「十一面観音菩薩」にも通じているそうです。

置かれた環境や、出会う人によって私たちも流動的に変化していっている。それを受け入れることによって今まで見えなかったものも見えてくるのかもしれないという、仏教教えの一つ「色即是空 空即是色」の精神のようにも感じます。

また、個人的に、思い出に残っているのは、最終日のアーティストトークで作家であるkanさんが「虫たちもよくここに群がっていたりして、人だけでなく虫にも何か変化をもたらしたのかもしれない」というお話をされていたこと。

虫の扉をも開く力ある藝術祭やばすぎないか!

そして私たち人間も虫のようにこの世界観に迷い込み、
気がつけばどっぷりとその魅力に取り憑かれている。
改めて唯一無二の藝術祭だなと実感しました。

木漏れ日好き人間

さてさて、ここまでですでに7000字近く書いちまいやした。あかん、やっぱり止まりませんね!!新長谷寺藝術祭「十一面」恐るべし。

まだまだ語りたいことは山のようにあります。どうか後編もまた読んでいただければ幸いです。それまで一旦精神力を養って、全力で向きあって記録したいと思います。

新長谷寺は歩くだけでもいろんな作品に出会える。

下に続く!

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