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物が語る物語の場合

 色々あって、引っ越すことになった。
 詳しくはこのnoteの「once again」という記事を読んで欲しい。
 3日ほど、生死の境をさまようことになったが、最近は生きていることのありがたみを日に日に感じ始めている。
 話を戻すと服を処分したり、送られてきた友人たちの論文を捨てたりという日々だ。本や雑誌は何故、電子書籍で買わなかったのか、とかなり後悔した。
 今日は、収納ケースに入っているCDの仕分けをすることにした。
 どれどれと引き出しを引いてみると、大量の「Teacher Teacher」が出てきた。ううむ、そういえば、2018年の総選挙で、大量買いしたなあ。あんなに買ったのは、推しメンだった中西優香が最後に総選挙に出た2013年以来だな、と様々な思い出が甦ってくる。

 それはそうと、どんどん捨てていく。
 ブックオフも最近は、景気が悪いのか、48グループのCDは買い取ってくれないタイトルが増えた。まあ、みんな考えることは同じなんだろう。総選挙山を処分し終わって、SKE48のCDの山を眺める。もう、今はデータとして持っているしなあ、荷物になるし捨てようかと処分を始めた時、ふとある1枚のCDに目が止まった。

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 古畑奈和の「Dear 君とボク。」というタイトルのアルバムだ。
 このCDは、今は流通していない。
 時々、オークションサイトなどで中古品が出てないか観る時があるが、徐々に減り始めている。僕自身もこのCDだけは手放すつもりは無い。このCDに何の価値があるのか?
 すべては、2017年の4月26日から始まった。
 

 新世代のソートマスク「オルフェス」のCMソングにSKE48の古畑奈和が起用された。

 明るいメロディと楽しそうな声が印象的だった。
 歌詞に関しては、秋元康っぽくないな、と思っていたら違う方だった。
 「10クローネとパン」のような世界観が好きな人間としては、少し薄味かなという印象だった(実際、僕の人生が今『10クローネとパン』みたいになっているが…)。
 そして、2017年8月24日に、10月13日に発売が決定した(丁度、美浜海遊祭があった日だ)。また、9月15日から全国CMで彼女の歌が流れることもアナウンスされた。
 そして、翌日にこの曲のシングルの売上を1万枚を達成することが出来たら、showroomレコードから5曲入りのミニアルバムの発売される企画が発表された。



 こちらのnoteは映画や本に関心のある方の方が多いので、「1万枚とか48グループなら楽勝でしょう」と「爽やかサワデイ香るスティック」のフルーツフローラルの香りに包まれて微笑んでいるかもしれないが、簡単な話ではない。
 showroomという配信アプリのサイトから申し込まなければいけないのだ。つまり、梅田のタワーレコードには無いし、僕が生まれた人間よりも真鯛の数の方が多い愛媛県宇和島市の明屋書店にも無いのだ。
 握手券などもないし、特典映像の入ったDVDも無い。
 曲だけである。
 しかも、2017年11月10日までしか買えないという期間限定販売だ。
 あまりにも不利だ。


 いくつかの申し込み情報を入力して、僕は応援の意味を込めて2枚買うことにした。
 2017年の古畑奈和といえば、初めて総選挙で選抜入りを果たしたものの、「意外にマンゴー」で小畑優奈に先に単独センターを譲ってしまっていた。フロントの位置にいるので、後が無い状況ではないものの、次の1手が待たれるところでもあった。
 初のソロ曲を手に入れた彼女は、どんどん夢を広げていく。これまでの夢と新しい夢。
 シングルという一つの実感を伴う結果を得たからでもあるだろう。
 「いつか、叶ったらいいよね」ではなく、「これはひょっとすると、現実になるのでは?」と奈和ちゃん推しではない僕は感じていた。
 そして、彼女の生誕祭がやってくる。



 彼女の「夢」に対する考え方は、非常に自由でもあるし、諦めなければ夢が叶うというのは、約2年後に彼女は見事に証明してみせる。
 「ソロアイドル」というこの夢も、ソロライブという形で彼女はまず実現していく。
 こう考えると、夢の種をずっと前にみつけて、何年かかけて実現に動いていく彼女と後押しをする彼女のファンの方々の凄さを改めて感じさせられる。

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 2017年10月13日。
 オルフェスは7000枚以上の売り上げでスタートした。
 10月25日の時点で7600枚。
 徐々に動きが鈍くなってきた。
 果たして間に合うのか。
 ふと、2013年の755戦争のことが頭の中でちらつく。
 あの時、掴みかけた夢が目の前で逃げた。
 あれだけの時間と情熱をささげたのに。
 それから僕は、「この人をいつか勝たせたい」と思った。
 推しではないが、そういうこととは関係なく、「勝たせたい」という思いが宿った。もしかすると、「償い」の念も少しだけあったのかも知れない。そして、僕はもう1枚注文した。

 2017年11月5日。
 総売上枚数は19時30分頃の時点で9819枚。
 もう一息だ。
 23時08分頃。
 1万枚を突破した。
 10043枚(最終売上枚数10510枚)。
 こうして、最高の形で夢へ繋がっていくソロアルバムを彼女は手に入れた。

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 しかし、2017年中はアルバムの情報は出ず、年が明けても何も出なかった。もしかして、このままなくなるんじ、とか秋元康作詞参加だったらチームSの新公演みたいにいつまで経っても来ないとかもあるぞ、と不安になりました。

 2018年2月22日。
 古畑奈和のTwitterで「しばらく待っていただけると助かります」というアナウンスがあった。
 次の情報が来る頃には、もう春になっていた。
 5月23日。
 彼女の元に1曲目が届いたことが同じくTwitterで告げられる。
 ついに動き始めたか、という喜びがあった。
 ただ、「オルフェス」しかまだ曲の情報がないので、まだこの時点ではあまり期待していなかった。
 やがて、2018年冬にミニアルバムの発売が決まったことが、7月6日に特設サイトでアナウンスされる。
 総選挙で彼女は再び選抜入りをし、2018年のSKE48のリクエストアワーでは、5位にランクインした。ソロ曲では松井珠理奈の赤いピンヒールとプロフェッサーの3位に続く順位だった。
 2018年11月23日。
 1stミニアルバムの「Dear 君とボク。」というタイトルとパッケージが公開された。1曲目の「本性」と5曲目の「観覧車」はラジオ番組で共演していた中田敦彦さんの作詞だということもここで明かされた。
 今回も12月24日から2019年1月16日までshowroomレコードでの期間限定販売だった。

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 僕も1枚注文したが、今考えるともう1枚ぐらい保存用に買っておけば良かったと後悔している。
 それから暫くしてミニアルバムが僕の家に届く。
 何の期待もせずに聴いた1曲目の衝撃は忘れられない。

 なんだ、この攻撃的な歌詞は!
 これ書いていいのか?
 そして、なんだこのスリリングなメロディは!
 ゾクゾクした。
 それから最後の「オルフエス」まで6曲ぶっ通しで聴いた。
 昔、スガシカオが「午後のパレード」はシングルで聴くと明るい曲だが、「PARADE」というアルバムの最後に置くことで、全く違う味わいになると「SWITH」の特集号で語っていた。歌詞がアルバムの中の様々な要素を拾っていくのだ。それに似た味わいが「オルフェス」にも生まれていると僕は考えている。
 なんとも言えない肯定感(ハッピーエンド感と言い換えても良い)が生まれるのだ。
 「観覧車」の後だから余計にそうなのかも知れない。
  また、「本性」という内面的な曲のついにあるのが、外見を美しくする「オルフェス」という関係も面白いと思った。


 思えば、この辺りから古畑奈和の何度目かの快進撃が始まるんだった。
 そこに辿り着くまで、彼女が何度辛い思いをしてきたか。
 何度、大人たちのおかげで、運命に翻弄されたか。
 それでも、仲間や先輩たち、そして、ファンの方々のおかげで諦めずに進み続けた。僕は2019年頃に古畑奈和のアメーバブログを全部読んだことがある。その中で何回も「悔しい」という言葉が出てきた。そして、「諦めない」という言葉も。きっとそれが、彼女のやり方なんだろう。
 だから、推しでも無いのに彼女の人生について、ブログに書いているのだと思う。

 今日、久しぶりに「Dear 君とボク。」のCDを再生した。
 「再生」という言葉は分解すると「再び生きる」だ。
 プレイヤーに「再生」することで、僕の思い出は甦る。
 全部聴いていると、気づいたら、もう深夜だ。
 今、世界は絶望的な状況なので、「MESSIAH」がいつもと違う感じで聞こえる。そういえば、「栄、覚えていてくれ」というブログを始めた頃、このアルバムの曲を全部触っていったが、あれから時間が過ぎた。
 このブログを始めた時も無職だった。
 10年続けてきた大手の教育関係の会社を辞めて、気分転換の為にブログを始めた。丁度、SKE48で人気があるのはまとめサイトがほとんどで、考察系のブログも、曲やメンバーについてじっくり書いているものは、まだほとんど無い状態だった。即時的な面白さではなく、3年後、5年後にファンになった人が読んでも面白く、何度も通ってくれるブログを作ろうと当時、決めていた。
 今はどういう状況だろう。
 ありがたいことに、一定数の読者の方に読んでいただけることが出来るようになった。記事によっては褒めていただける時もある。
 特にあまり触れられていなかったメンバーについてや曲については、検索ランキングでもトップに近づき始めた。
 この先どうしようか。

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 「Dear 君とボク。」の歌詞カードをCDにしまって考える。
 そういえば、歌詞カードや写真は、ダウンロードしたら、無いのかな。
 棚に収納ケースに戻すと、1枚分のスペースを占拠してしまう。
 でも、それがどこか僕には愛おしい。
 以前、尊敬する編集者の方と紙の本は残っていくのか、という話をさせていただいたことがある。「最終的に実用性のあるテストの解答用紙付きの問題集や模試のようなものが残るのでは?」という非常に興味深い答えをいただいた。確かにその通りだと思う。
 これからどんどん情報は軽くなって持ち運びやすくなるだろう。
 でも、それはあくまでデバイスの中でだ。
 その人がパスワードを入れないと、接続できない。
 100年後にその人の子孫が、偶然開ける可能性は少ないのではないか。
 中古のレコードショップに並んでいるのを、全く興味の無い若者が買って、歌詞カードに挟まったフライヤーから同時代のアーティストを見つけたり、綺麗な状態のCDケースを見て持ち主がどんな人物だったかを想像することも無いだろう。
 時代と逆行した考えだが、こういう様々な記憶の再生を体験すると、愛おしく感じる。勿論、データからも思い出が甦ることもあるのも分かる。

 資金も食料も無くなって死にかけた僕は、一度死んだようなものだ。
 もうこれ以上悪くなることは何も無い。
 だから、これからの人生はチャレンジをしていきたいと思っている。
 たとえば、2年以上続いている「栄、覚えていてくれ」というブログを書籍化できないかと考えている。「いや、Amazonのkindleで発売したらよろしいがな」と思った、大阪の堺市あたりの人もいるかも知れない。扱っているテーマがテーマだけに権利関係を全部クリアーしてチャレンジしたいと思っている。
 なんなら、メンバーや作曲家の方にもインタビューも出来ないかと考えている。
 勿論、僕一人では無力なので、クラウドファンディングで、多くの方の力を借りたいと思っている。参加した方も、参加して良かったと思えるような仕掛けやリターンを今考えている。
 こんなことを書いたら、笑われるかも知れない。
 いや、お前、一文無しだし、今日を生きるか死ぬかのやつだろと。
 どうか、笑ってほしい。
 いつも、びっくりするのは、僕を笑っていた人の方だから。
 笑われて生きるのは悪いことばかりじゃない。
 

 話を戻そう。
 なんで、わざわざブログを形にしたいかというと、やっぱり「物」にしたいからだ。「物」にすることで、「データ」とはまた違った「意味」が生まれると僕は思っている。その正体を僕はまだ完全に分かっていない。いつか、書ければいいなと思っている。
 ただ、微かな傷や匂いによって、「物」が「語」りだすこともあるんじゃないかと僕は思っている。
 時には完成に至るまでの悔しさや嬉しさも。
 ところどころにそのヒントを残しながら。
 ずっと先の誰かと。
 ずっと前の自分たちの為に。

2021年1月26日 3時00分

爽やかサワデイ 香るスティックに憧れながら。

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