ダサい男
こんにちは。久々に書きたいこと、自分の中での価値観の形成や自己分析について書き綴りたいことがあったのでここに残します。
もうすぐ僕は21歳になり大きな節目である20歳の生活を終えようとしています。僕の20歳の生活の後半は華やかなものでした。大学3回生になり、講義数も減りながら恋人ができ、仲間と遊びながら、バイトをし続ける日々が続いてきました。大きな変化は恋人ができたこと。生活のほとんどの時間は彼女に費やしてきたし、自分の幸せな生活を彩るのも彼女といっても過言ではないです。恋人ができたことからほかのカップルを見ることも増えたし、自分の理想の形もどんどん固まってきて現実に変えることができていると思います。
自分の中で何がかっこいいか、隣に立つときに恥ずかしくないように、ずっと魅力的でいられるように。という意識が強くなった20歳の年だったと思います。
ここで僕が言いたいことは「自分の価値は自分で下げないこと」これに限ります。
「自分の価値は自分で下げない」
これは容姿にも中身にも言えることだと思います。僕ははっきり言って外見で判断したり、偏った考えを持ってしまいます。これはあまりよくないことだと思う人もいると思いますが、人を知るうえでまずは外見から入るし、外見があったうえでの中身を知ることが多いです。だからこそ今の若いうち、自分の全盛期はいつか分からないけど常に全盛期になれるよう努力は惜しまないのが今できることだと考えます。外見への意識の持ち掛けは大きいけれどここで最も言いたいのは中身の部分。
男は男らしくという心得はずっと持っていたけど恋人ができて具体的な「無し」だと決めていることができました。
一番かっこいいのは一途であること。愛したもの、一緒にいると決めた相手に対しては常に一途、貫く男がかっこいいと思う。この年になると浮気や体の関係を他ともつなど昔は芸能人のニュースやドラマでしか見なかったことが自分の周りでも現実味を帯び始めました。実際友達が恋人を裏切る経緯を見てたけれど後悔している姿を見ているともったいないと思うしダサいと思ったのが率直な感想です。一途を貫いてきて褒められることが多くなってきたけど僕からしたら当たり前であり、特別胸を張ることでもないと思います。没落者が増え続ける中で昇華するものが生まれる自動システムの中で価値が下がるものと価値が上がるものの差異が生まれたのでしょう。そのことから自分の自己肯定感は上がったし一度ダサいと思ってしまった人に対しては良いイメージを持つことはできなくなりました。どんなにかっこいい容姿があっても浮気者であったり一途でないだけで価値を下げてしまっていると思うし一途である者のほうがかっこいいに違いはないです。
大学に入り、金銭的にも、環境的にも出会いや遊ぶ場所、遊び方が増える中で色んなことを覚える人が多いけれどSNSがあるこの時代で自分の魅せ方次第で自分の価値を下げることもあげることもできる。遊び自慢、酒自慢、悪自慢、どれもダサい。常にかっこよく、人にあこがれるモノでなく、あこがれられる人になるべきというのが自分の考えです。
これから僕も選択を迷うこともあるかもしれない。だが芯から揺るがず、このnoteを数年先に見ても考え方は変わってないなと思える大人になりたい。自分の中でダサいと思わない自分であり続けたい。
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