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人生で一番辛かったバイト

こんにちは。おりょみです。僕は20歳大学生で高校一年のころからアルバイトをしていました。今2023年3月現在に至るまでにしてきたバイトは6つです。多いか少ないかはあまりわかりませんが場所も違えば環境も全く違うものばかりでした。
今回の本題である一番辛かったバイトのついて。それは「スイミングスクールのコーチ」です。この記事ではなぜスイミングスクールのコーチが辛かったのか、なぜ始めたのか、具体的に話せたらいいなと思います。

なぜスイミングスクールのコーチのバイトを始めたのか。

まず僕は1歳から家から徒歩5分のスイミングスクールへ小学5年生まで通っていました。それなりに速く泳げたけど、進級するにつれて練習がきつくなってきたりサッカーもやっていて両立が厳しくなりました。しかし中学に入って選んだ部活は水泳部でそのまま結果も出せたので高校では水泳部部長もやらせていただいていました。そのため青春時代は水泳に没頭していたといっても過言ではなかったし水泳がしんどい時もあったけど部活は楽しかった思い出がたくさんあります。高校時代は部活をしながら友人に誘われて中華料理屋でアルバイトもしていて、それが人生初のアルバイトでした。大学に入学にするにあたってバイトを変えようとバイトルやタウンワークを見漁っていると、当時通っていたスイミングスクールの求人が出てきて少し迷いながらも、自分の健康維持やバイトを大学で聞かれたときにかっこよく見えるんじゃないかなどの理由で面接を申し込みました。面接をしてくださったコーチは小さいころから見ていただいていたコーチだったためすぐに採用してくださいましたがコーチは「かなり厳しい世界、命と隣り合わせの日々が続くから頑張って」と言葉を僕に送り、面接は終了。大学に入る前の春休みから僕はスイミングコーチになりました。

緊張がほどけない毎日

コーチになって僕の担当は土日の昼間の子供のバタ足級の指導とその時間帯のガード(監視員)、シルバー世代の指導、中学生の指導が日にち替わりで決まっていました。最初はどのレッスンもガードもアシスタントとして入り、基礎ややることをコーチの隣で学んでいました。土日のレッスンに関しては子供の量がかなり多いため気を張り続ける練習のようなものでした。まだシルバー世代の指導や中学生の指導は話しやすかったり、向こうから僕に興味をもって泳ぎについて聞いてくれたりしていて部活で組んでいたメニューの応用や基礎部分を活かして指導を一人で任せてくれるまでも早かったです。
でもなぜか練習が終わっても緊張がほどけない時間がバイト先では続いていたし、行くまでに覚悟を持ち続けていました。その理由が職場環境にあると思います。コーチはレッスンがないときは休憩や事務作業を行っているのですがコーチはもちろん当たり前のようにレッスン中は気を張っていてそれを毎日繰り返しています。そのためか休憩室では和やかな空気はなく、殺伐とした空気が蔓延っていました。僕と同世代のコーチは僕の入っている日にはいないためその空間が苦痛でした。自分のアプローチができず、寡黙な若いコーチだと思われるのが嫌だなと思いながらも、水を差さずに過ごしていました。

全員が優しい訳じゃない

職場にいるコーチは基本的に僕の小さいころから知っている方がほとんどで僕がコーチになるにあたって面倒を見てくれたり、指導のコツを細かく教えてくださる方がほとんどでした。しかし中には僕がスイミングを退会してからコーチになった方もいてそのコーチはかなり厳しかったです。そのコーチを(ここではAコーチ)と呼びます。Aコーチは土日の小さい子の指導をアシスタントとして一緒に入っていましたが僕には硬い表情で常にダメなところを指摘し続けられる日々でした。厳しい人なのはわかっていたけどほかのコーチとのギャップに落ち込むことが増え、レッスン外でも挨拶が僕だけ適当であったりと早くもそのコーチとの仕事は嫌という気持ちが募る一方でした。

スイミングの現場でしか得れないもの

やはりこういう教育現場というのは飲食のバイトとは違って人と密接に関係していて時間や指導能力、人柄で信頼を得れるのが身に染みてわかるものでした。レッスンを何回も通して僕のことを好きになってくれる子供もたくさんできたし、僕がいない日には「○○コーチいないの?」と聞いてたよとほかのコーチに伝えられることもありモチベーションにつながっていました。小さい子供の信頼を得るにはまず自分の雰囲気、若さと現役時代に培った知識と能力を発揮することが必然でした。小さい子は駆け寄ってくれることが増えたし、シルバー世代、中学生のレッスンでは自分ひとりで担当することがあったりメニューも自分で組んで生徒の課題などを分析することも増えコーチとして、指導者として成長するのが体感できました。なによりも時間を得て子供が自分の存在を求めてくれることや子供の成長が目に見えてわかるのがやりがいでした。

やりがいを凌駕する嫌悪感と疲労と苦痛

上記にもある通りやりがいを感じるとともに責任感と精神的疲労も感じ始めました。まずガードは一時間であれど90人ほどの子供を見渡しながら溺れてないか、異常はないかと気を張り続けてました。トイレに行けない子がいれば自分が連れていかなければないし、けがをしてる子がいたら自分が治療をする。常に何が起こるかわからない現場でした。これはかなり疲れる仕事でした。
これのほかに僕はアシスタント、研修という立場のためレッスンが終われば報告書というのを書かなければならないのですが一日3つはレッスンがあるため三枚書くには時間がかかるし違うことを書くと注意されるなど正直かなり面倒なモノでした。それを書く時間は給料も出ないため勉強に近いものでした。メニューも任されてからは大学の講義中に書いてバイトに持っていくのが普通になってしまったりしていて時間外労働や大学生としての生活がバイトに蝕まれることが増え、バイトへの嫌悪感は増してきました。
レッスンを一人で見る場合はもちろんのことですがコーチはトイレに行けないため腹痛に苦しめられても耐えなければならない。これを僕はかなりしんどく感じる日があり辛かったです。
Aコーチは時間がたつごとに嫌味が増えたり愛想も悪く、最終にはほかのコーチにAコーチとの時間を変えてほしいとお願いしました。でもこの相談するときに辞めたいとも伝えたけどコーチはやりがいがあるから頑張ってほしい。才能もある。と認めてくれてるのは良いものもその重圧さえ僕の足枷になってしまっていました。
18歳のアルバイトが命と隣り合わせで職場環境でこんなしんどくならなければいけないのだろうかと考える日々が続きやりがいと天秤にかけたときやめる決断を取りました。

辞めて良かった

間違いなくこのバイトはやめて良かったと思います。毎日バイトのことを考えさせられ、バイトのために生きて、自分の稼ぎじゃなくて生徒のために時間を使い続けてました。ほかの友人は気軽にバイトだるいな―と言いつつ職場に向かうけど僕と背負ってるものの大きさが違う。何度も言うけどやりがいはあったしそこでしか得れないものもたくさんありました。けど18の僕には背負うものが多すぎたし大きすぎた。自分ができることはそこ以外にもたくさんあると信じてほかのアルバイトを探し始めました。
今は梅田のかなり人気の居酒屋で2年ほどアルバイトをしていますが現状に十分満足しています。若いうちはアルバイトで苦しむくらいなら環境を変えてみる一瞬の勇気が自分を救うものになると思います。

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