【名作迷作ザックザク㊵】結婚だけが女の幸せと侮る勿れ... 弱きを助け、強きを挫き、他人に媚びない唯我独尊の全きモラリスト映画『見事な娘』(1956)
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。ヽ(´▽`)/
本日3/30は"マフィアの日"らしく、マフィアといえば映画『ゴッドファーザー・シリーズ』よりもテレビアニメ版『ガングレイヴ』を思い出しちゃう、O次郎です。
今回は1956年の邦画『見事な娘』についての感想です。
CSの日本映画専門チャンネルの"蔵出し名画座"枠の今月の放映作品が本作でした。
雑誌「婦人倶楽部」に連載されたサラリーマン小説の大家源氏鶏太の小説を、『殺陣師段平』(1962年版)が代表作の瑞穂春海が監督したOL人情譚。
零細企業の経営者を父に持つ若い娘が主人公で、職場では恋に仕事にグルメにエステに青春を謳歌しつつも、近親者からの金の無心や窮状にも極めて大人な対応をし、降って湧いた玉の輿話にも之幸いにとは飛びつかずあくまで己の生き方を貫くことを大切にします。
同監督が戦前に撮った『女の気持』(1940)は主人公とその周囲の痴情の縺れや女性の自己犠牲、打算等々、濃密な情念のドラマながら本作はそれと高コントラストとも呼ぶべき内容で、己の身の上にも周囲の悪意にも拘泥せずただただ朗らかに己が人生と倫理を奉じる姿は健気で気高くもあり、今にして思えば後に始まるNHKの朝ドラのヒロインとそのドラマのような清々しいテイストも感じられます。
昭和30年代の若い女性の物語、ということで恋や結婚だけがそのドラマツルギーだと思いがちな皆々様…読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・"Phantom -PHANTOM OF INFERNO-"!!
Ⅰ. 作品概要
(あらすじ抜粋)
丸の内の会社に勤める高原桐子(演:司葉子さん)は同僚の毛利鈴子(演:森啓子さん)を弄んだ男、雪村達夫(演:伊豆肇さん)に流産をした鈴子の入院費用を出させに行き、達夫の弟の志郎(演:小泉博さん)に会った。志郎は兄に代って詑び、費用として二万円を出すことを約束した。桐子の兄信夫(演:土屋嘉男さん)はダンサーの久美子(演:杉葉子さん)と家出をして大阪にいたが、ある日その久美子が桐子の前に現われ三万円貸してくれといった。兄を思う桐子は両親に内緒で貯金から下げて久美子に渡した。その頃、桐子の父の会社は潰れそうになり、父の耕造(演:笠智衆さん)は桐子の貯金を貸してくれという始末。困った桐子は志郎に相談して金持の志郎の両親から足りない三方円を貸りることにした。返済方法は毎月の月給日に桐子自身が雪村家に少しずつ持って行くということにした。大阪から信夫が病気だという知らせが来た。迎えに行った桐子は信夫が久美子に捨てられたのを知った。信夫は父の家に戻った。雪村家では月一回の桐子の訪問を楽しみにするようになり、志郎は桐子を愛するようになった。桐子も志郎が好きになった。
というわけで桐子自身のロマンスも描かれはするのですが、それよりも親しい人々の困ったトラブルの解決のために独自の倫理観を以て奔走する姿が目立ちます。しかしながらそれが単なる自己犠牲にはなっておらず、持ち前の太陽の如き明るさで失意の人物を叱咤するバイタリティー溢れる姿はやはり朝ドラヒロインの原型のような装いです。
植木等さんの体現するスチャラカサラリーマンが登場するよりも前のこと、厳然たる階級意識を前提とした普遍妥当性の物語に落ち着きがちな男性会社員に対し、若いOLに独立独歩・普遍不屈の気概が託されたのかもしれません。
また、よくよく考えると後の時代の少女漫画のお約束のようなベタな展開が散見されるのが面白く、それでいて主人公の成長(というよりも主人公の人格に触発されての周囲の成長)が主軸であるためにそれがクドくならず、なんというか面白さのベクトルに極端な偏りが無くて非常にストーリーに入り易いのが古さをあまり感じさせない所以かもしれません。
人格者である桐子の一方、男性陣は色々と人間的弱みを体現しています。
父親は経営する会社の窮状ゆえに娘にすら借金を頼まざるを得ず、兄は駆け落ち同然に飛び出した先の大阪で困窮を理由に恋人に逃げられる始末…。
自分の器量の無さと人を見る目の無さを嘆く土屋嘉男さんの弱弱しい姿は、東宝特撮シリーズでの精悍だったり不気味だったりなイメージの彼からすると意外や意外で貴重な感じがしましたが、気落ちする彼に「それだけ深く人を愛せたことはとっても素晴らしいことだと思うわ」と桐子が励ますシーンは、件の久美子が桐子から金をネコババしたことを悟っても頓着しない剛毅さも相俟って主人公の高潔さが端的に表れています。
また、実家を飛び出したうえに恋人に逃げられたその土屋嘉男さんを深く叱責も詮索もせず、暖かく家に迎える笠智衆さんの姿は普遍的なホームドラマとしての妙味も醸し出しており、"押さえるところを押さえてるな"という感じです。
そしてクライマックスでは世間体問題がどっしり。
会社を潰した父と病弱な兄という主人公の家庭環境を憂慮して志郎の母が二人の仲に難色を示しますが、それをさもありなんということで受け止め、桐子は恨み節の一つも無しに志郎とその両親に別れとこれまでの付き合いの謝意を述べます。
値踏みする人間の卑しさを責めようともせず、叶わなかった恋にむせび泣きもせず、ただただ目の前の毎日を明るく健気に生きようとする姿は当時とすればなおさら超人めいていたかもしれませんが、"かくあるべし"という希望の物語として好感が持てます。
Ⅱ. おわりに
というわけで今回は1956年の邦画『見事な娘』について書きました。
今観ても主人公の真っ直ぐさと高潔さに心が洗われるようですが、女性が"如何に良縁を掴んで玉の輿に乗るか"の思考を暗に強いられていた当時の気分では、なおのことカウンターパンチの如き爽快さを伴った作品だったのではないかと察します。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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