50代児(その1)
結論から述べると結局「大人」ってなんだろうねと感じる事が多いです。
甘える甘えないの基準ならば、大人なんて誰もいないだろ。生きていてそう思わされた事が多々ありました。しかもその基準ならば私も子供。
但し、50代だろうと10代の前で子供になります。
現在私は19才の若造で、ついこの前誕生日を迎えたばかりなので18才までの記録を現時点では書くことが多いのですが。
そりゃーもう散々でしたわ、えぇ。
沢山甘えられたの?>🦥
はい。自分が「10代」だと言うことを誕生日が来るまで忘れていた程に。エピソードを幾つか話します。長すぎるので幾つかに分けて話します。
今回は(その1)です。
ーーーーーーーーーーー
私の父親は人を甘やかすのが下手な性格で、成果主義を貫いていまして。彼の人生背景を見れば納得はしてもらえるだろうが「結果が全て」と言うのが彼の口癖みたいなものです。
彼は存在そのものを愛するのが下手くそで、利益が無ければその価値に無意味という称号を置くような人間です。
幼い私が「家の跡を継ぐ」という決断をしていなければ、放任主義を貫いていたかもしれないと今の私に思われても仕方ないでしょう…
会社では全体を動かす戦略家・ブレイン的存在であり、周りに甘えるということはないですね。
家では自己紹介で述べた通り、母とは警察沙汰になり同じ敷地内にはいるが別居という形になっています。
一方私と言えば、14才の時にSNSで出会ったとある人に「心」について色々と教えてもらっていました。しかし「〜効果」というものはあまり知らないです。
教えてもらっていたのは早稲田大学名誉教授である加藤諦三教授 の言葉が多かったからです。
加藤諦三教授の事は多くの人に知ってもらいたいので、タグにも付けておきますね。
ですが、彼の考え方は身についてるかもしれないが名言をそのまま脳内でコピーして述べられるような、私はそんな良い頭脳の持ち主ではないので、教えてくださった方は素晴らしいですが…私など「お前何も知らないだろ」と言われても仕方ないレベルです。
さてそんなレベルの私の話と、父親の話。
何が関係があるのでしょうか。それは私が彼の元に行くと「仕事について色々と話す。」のは分かりますが。
そんな理由ではなく「寂しいから」「お前が1番話を分かってくれるから」「経営者は孤独だから」「お前は話が通じてしっかりと考えてくれるから」なのです。
加藤諦三教授の教えが全てに通用するからでしょうか、それとも私がちゃんと「学問」をしていたから?
それでも「寂しい」って言い放ったのですよ????あの50代児。10代の若造に。
しかもコイツ私の親、父親。
立派に親子の役割逆転されてます。本当に大人ってなんなんでしょうねぇ???50代ですよこの人????????私だって話聞いてほしいし年齢的に甘えたいのに。当時18才だぞコノヤロウ。
帰省をした際に、午前中ずっと話された挙句、午後に私が好きなことをやっていると「スマホなんて他の場所でも出来るだろ。」挙句の果てに「俺は寂しい」ですって?????
私はお前の嫁か?
私はお前の恋人か?
私はお金払って甘やかす職の人間か?
「甘えていいよ」と赦しましたか?
巫山戯んな、50代児。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?