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分からなさの先へ
「分からない」は強いときがある
先日、映画について雑談する機会があった。
一つの作品がテーマという訳ではなく
映画全般・映画そのものについて話すような機会を終えての雑感。
私の特性:映画鑑賞は性に合ってない
私が映画鑑賞する理由は、今の時流を知りたいのもあるし、
描かれる何かを誰かを分かりたい・知りたいのもある。
話題の作品は、多くの人が観て反応しているのだから
ヘタなことするより一本ちゃんと観た方が勉強?になる気がしている。
しかし、薄々気づいていたが、そもそも私は映画鑑賞に体が合っていない。
映画は気が散ってしまいがち。鑑賞中、80%位は別のことを考えている。退屈になって寝ることはないが、ただただ違うことをひたすら考えてしまう。一体、目の前の何を観ているのか?熱狂に包まれないまま終わる。終わると「なんだったんだろう?」という分からなさが残る。
ひとりで観て、その映画の感想をシェアすることがない。
友と観た映画の思い出話
それで、思い出した。
遠い昔、私が観たい映画に友人を誘ったことがあった。
私にはつまらない映画だったので「イマイチだった」と感想を述べたら軽いケンカになった。
それが原因だったかは忘れたけれど、その友達に
「そうやって、知らない間に誰かを傷つけているんだよ」と言われた。
誘っておいてそんな感想ないだろう?
もっと違う言い方あるだろう?
いいところを探そうよ?
勝手な憶測はできても、彼女が何にひっかかったのか分からない。
前提として二人の関係性に拠る話なのでここでする話題ではないかも。
わからない
映画の話題は作品にもよるけど割と一般的だろう。
そういう場で、せっかく温まったその場の空気が、私の「わからなかった」の一言で急速に冷えていく瞬間がたびたびあった。相手の目が如実に何かを(失望・おそれ・落胆)表しているように感じた。
さて冒頭に戻って先日の映画雑談。
私には数々の映画が名画がわかってこなかった。
『パーフェクトデイズ』が。小津安二郎が。チャップリンが。
ナウシカが。ゴダールが、分からなかった。
映画レビューサイト☆1みたいなどうでもいい感想(でさえ無い)は口に出さなくてもいいだろう。
なのに私はいつでも黙っていられず「分からない」と言ってきた。
分からないは強い、こわい。と自らツッコんでこれを書きおえたい。
それでthe END
「分からない」と言ったら、それで終わり。
分かる人に一方的に答えを要求することになる。
「私は分からないのだから、アナタが私に説明してよ!」
私は頑として動かず、アナタが私に骨折りなさいよ!みたいな高圧を言ってて感じる。これは問題。
だから考える。ポックぽっくぽっく(一休さんの木魚音)。
トンチ💡は閃かないけどせめて何か…。
なにか否定するような分からない
なぜ?と言われると責められている気がして私は苦手。
同じようにこの「分からない」は真っ当なフリして
厚顔無恥に突いてくるところがある。
(「分からない」にも色んなグラデーションありますね。考えた先の苦渋の小声「分からない」もあるかもですね。ここで言っているのはそれじゃないです)
「どんなところがおもしろい?」
↑ベタかもしれないけれど、相手のグルーブに相乗りさせてもらうことができたら「その人の分かる」が少し開くかもしれない。
言葉だけってのが土台無理な話なのかもしれない。言葉に頼りすぎないで、相手の目がキラッとした瞬間や躍動感、言葉にできないじれったさのモアモ
アなど、同じ場所にいるからこそ何かを分かち合えたら…。
相手の「分かる」を分けてもらうには「教えてほしい」という態度から始まる気がする。
👹聞くは外、分から内
分からないは胸の内に。
積極的に訪ねて尋ねていくのが良いかな。
空振り三振たくさんやって、泥だらけスライダーになれるかな。
態度でしめそうよ…だな。
乞うご期待?!
では、see you~👋
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