天明クリエイターたち(2)百花狂乱
はじめに
前回の記事で、江戸天明時代の狂歌クリエイターを一部ご紹介しました。狂歌は江戸時代に一大ブームを巻き起こし、狂歌師の師匠方はインフルエンサーとして時代の寵児となっていきました。
狂歌連(サークル)は競うようにそれぞれ狂歌集を出版したりして。
これが結構売れるのですが、流派とかそういった括りもあまりなく、意外と交流してお互いに刺激しあったそうです。Youtuberのコラボ企画みたいな感じかもしれないですね。
(; ・`д・´)💦💦
というのも、そこそこ教養のあるお武家さん、学者さんなどが狂歌師の師匠になっており、ルーツをたどると同じ和歌の先生に習っていた同門だったりするのです。
そこで基礎をしっかり身に着け、俳句や連歌、俳諧、雑俳などを嗜んだのち世に出ていますので、このような洒脱で滑稽な空気感が醸し出されるのだと思います。
それはまさに「守・破・離」の「離」の領域ですね。
(=゚ω゚)ノ シュ・ハ・リ☆彡
(1)の記事でご紹介した狂歌三大家・狂歌四天王のほかに私、桜が「これは♡(*‘ω‘ *)」と思う狂歌師の方々を以下に挙げてみます。もちろん他にも後世に残る名歌を創ったクリエイターもいらっしゃいますので、あくまで狂号(ペンネーム)セレクションです。
天明狂歌師狂号セレクション(50音順)
いかがでしょうか?
浜辺黒人(芝浜連)のように古の歌人(山部赤人)を意識した狂号を名乗る方もいれば、まぁどちらの方もなかなか洒落が利いてますな。でもどこか自虐的。頭光なんて……そのままですぜ。お互いどう呼び合っていたのでしょうかね。
(; ゚ ロ゚)ナゼニ?
「こんな奴が詠む戯れ歌なんざ、怒っちゃいけねぇょ。まぁ冗談半分に聴いておくんなせぇ。。。」みたいな狂歌師の矜持を感じます。
狂歌連
さて、インフルエンサーの三大家はお武家さんの出で、朱楽菅江は朱楽連、太田南畝は山の手連、唐衣橘洲は四谷連という、お武家さん中心の狂歌連の主宰者でした。
その後、ムーブメントは町人に拡散し、加保茶元成が主宰をつとめ、蔦唐丸こと蔦谷重三郎らも属する吉原連や文々舎蟹子丸の葛飾連など、町人主体の狂歌連も誕生いたしました。
中には花道つらねこと五代目市川團十郎が率いる堺町連などもあり、国学者・医者・浮世絵師……古今東西の文化人・町人が「我も我も」の大騒ぎ。百花繚乱の天明狂歌はここに極まりました。
しかし時は天明。
飢饉、大火に質素、倹約……江戸は何とも住みづらく、懐は寒くなりにけり。お武家さんも、お上のサラリー米だけではカツカツでした。中には狂歌の師匠として副収入(出版や教授料)を得ていたと方もいたことでしょう。まさに芸は身を助くです。
流行はいつの時代も創る側と乗る側に分かれるものですね。
狂歌をつくってみた(*‘ω‘ *)
さて、狂歌はそこそこ和歌の知識がないと、という話を(1)でしました。本歌取りや洒落が巧みに絡んでおり、「へぇ」と思わず唸る歌がたくさんあります。
解説を読むほどにど素人の自分にもできるかしら?とちょっとハードルの高さを感じます。
そんな時は「金欲し付合」をマスターすれば、狂歌のテイになるそうです。
お約束事はひとつ。上の句につづいて「それにつけても 金の欲しさよ」をつけることです。これをすることにより、どんな名句もたちどころに狂歌となります。では芭蕉・一茶・蕪村の江戸三大俳人の名句を拝借して試してみます。ご鑑賞ください。
松尾芭蕉の句より
古池や 蛙飛び込む 水の音 それにつけても 金の欲しさよ
閑さや 岩にしみいる 蝉の声 それにつけても 金の欲しさよ
小林一茶の句より
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る それにつけても 金の欲しさよ
名月を 取ってくれろと 泣く子かな それにつけても 金の欲しさよ
与謝蕪村の句より
菜の花や 月は東に 日は西に それにつけても 金の欲しさよ
春の海 ひねもすのたり のたりかな それにつけても 金の欲しさよ
おー(*‘ω‘ *)チート
もののあはれより、金の欲しさが勝りますな。
これは江戸時代からおそらく幾千回もなされていることですので、決して私が言ったのではありません。不謹慎と思わないでいただければ幸甚です。
(´っ・ω・)っ
私はそりゃもう、常日頃つかっているので嫁のキャミ―に心底嫌がられています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。それにつけても金の欲しさよ。
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