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誰かのために生きてきた〜他人本位なわたし〜

こんにちは

わたしが人に言われてすごく困る言葉、
「あなたはどうしたいの?」

些細な場面で例を挙げると、
友達や彼氏とご飯屋さんを決めるとき。

でも、わたしは「本当になんでもいい」
心からそう思ってるのです。

それは、ご飯に興味がないわけでもその人と一緒にいて楽しくないわけでもなんでもなくて、「その人が行きたいところがわたしの行きたいところ」と本気で思っているからなんです。

これはあくまで些細な場面の例ですが、大小さまざまな場面でこのように思うことが多いです。

人と一緒にいるとき、わたしにとって自分の役割は「その人にいかに喜んでもらえるか」を考えて行動することだと思っています。
だから、わたしが本当に食べたいもの、行きたいところ、したいことは考える必要がない。

今こうやって書いていると、「2人で一緒に過ごしてるのにおかしい」と思うことはできます。
でも、実際その場面になると、わたしはどうしようもなく「他人本位」になっているのです。


わたしはこれまで、常に「相手に喜んでもらうこと」を全てに生きてきたような気がします。
小さい頃から、何かをやるとなればまず親に喜んでもらえることが何かを考えて動いていて、中高生になったあたりからはその対象が友達に広がっていった記憶があります。
そして今はその一番が彼氏になりました。

彼氏に認めてもらいたい、好かれたいという思いを超えて、「捨てられたくない」。
そのためには気が乗らなくても億劫でも、普段ひとりでは絶対にやらない料理をするし掃除もするし、出先では彼氏が喜んでくれる物を何か必ず買って帰ります。

そこには「わたしの意思」はありません。
わたしがやりたいからやっているのではなく、そうすれば彼氏がわたしのことを今日も好きでいてくれるから。
そう信じて疑わないから。

もちろん、そんなことしなくても彼氏はきっとわたしのことを好きでいてくれる、その可能性を信じられない訳ではなくて。
でも、どうしてもそうしていないと自分が自分を保てないのです。

自分のことなのに、どうしても「誰か」を全ての軸にして、それでなんとか自分を保っている。


奇妙だとは思うけど、そうやって23年間生きてきたわたしは、自分本位で生きる方法がわからないんだと思います。

わたしの世界からその「誰か」がいなくなったらどうなるんだろう。
きっとまた新しい「誰か」を必死に探して、その人を新しい軸にして生きていくんだろう。
きっとそうやってわたしは自分が生きている価値を認めて生きていくんだろう。
そう思います。


ここまで読んでくださってありがとうございます
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今日も生きててくださって、ありがとうございます


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