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8/28 鯨と海と想像と、愛

こんにちは
ご機嫌いかがでしょうか。

本日は備忘録的に、人生の念願が一つ叶った話を書く。

前提として、私は鯨を愛しています。
傷跡の残る左腕に、鯨を据え置きたいと思う程。
鯨の悠然とした姿が好き。恐竜の名残を、少し感じる所も好きだ。愛の象徴かなにかのように、思っている。

そんな私に、父の友人からお誘いが来た。
「鯨、見に行かない?」
二つ返事でOKした。もちろん。なぜ父の友人と?とかどういう組み合わせでどういう旅なんだ、とか野暮な疑問も吹っ飛ぶくらいに、興奮した。

海。船は思ったより、小さい。
「あの船には乗りたくないね〜」なんて言ってた船に乗らされた。先頭だった。トビウオは本当に飛んでいて、私はそれを鳥かと思ってみていたら、船長がトビウオだと教えてくれた。船が陸をどんどん置き去りにして、進む。朝早かったからか、暑くはなかった。ただ船の振動は人生で初めての揺れで、普段乗り物酔いしない私が、少し酔いそうになった。(酔わなかったけれど。)
1時間はあっという間だった。鯨はまだ見えない。船の先に立つと、地球は本当は、円盤みたいな形なんじゃなかろうか、と、古代人にいたく共感した。海の終わりがないなんて変だ。滝のようにどこかに落ちている方が、自然だと思う。満面の海だった。

私は海も好きだ。すべて分からないところがとても好ましく思う。まるで人間のよう。でも、あまりに近くで見る海は、まるで粘土みたいだった。粘土で作られたような、あまりにもひとつの物体だった。私が思い描いてきた海は、ずっと、私の海だったんだ。私の心象風景としての、海。もちろん、海を見たことはある。けれど、海を見る時、私は本当の海を見てなかったんじゃないかな。それでも、水平線は、私の思い描いてきたものそのものだった。空と海は同じ色をしていて、その境目なんて曖昧で良いものを、なぜ、あんなにハッキリと分けているのだろう。ねぇ、神様。なんてほとんどの現代人は問いかけないであろうことを、神様に問いかける。
私の神様は、私である故に、返事はなかった。

船の周りを飛び回るトビウオたちにも慣れた頃、
「あっ!!!いた!!!」
と大きな声で前方の鯨に気が付く。潮が上がっていた。噴水みたいだった。(この感想は面白いな、と思った。噴水は鯨の潮吹きをイメージしてできたものだろうに。)

鯨は、深い色をしていた。海の奥みたいな、深い色だった。ニタリクジラという種類らしい。(車に戻って、ニタリクジラ、とGoogleの検索欄に入れると、「肉 まずい」と書かれていた。)とても綺麗な、体だった。思っていたよりスリムな体をしていて、太陽の光を吸収するかのように存在していた。あまりにも完全だった。でも、そんな完全さを持ち合わせている彼らも、家族で生活するらしい。じゃあ、私たちが集団で行動するのは、至極、自然なのではないだろうか。

鯨は大きい、そして深い色をしている。形容できない、深い色。鯨を間近で見た私は、鯨を見なかった私と、なにか変わっただろうか。そんなに変わってないな、と正直思う。私の概念としての鯨は、そのまま胸の中にいる。水色の鯨。でも、鯨の目は、思っていた通り暖かそうだった。想像より少し冷たさを孕んでいたけれど、それは全て等しくそうであるので、ほとんど想像通りだった。温度が、あまり感じられなかったけれど、これは水族館に行ってもそうなので、そういうものなのだろう。博物館の剥製には、とても温度を感じたのだが。
生きているより、死んでいるほうが、温度を感じるなんて、なんて本末転倒なんだろう。

鯨を見るという念願が叶ったことで、新しい念願が手に入った。
鯨の皮膚に、触れてみたい。

これは叶っても叶わなくても良い。私の念願は、すべて叶っても叶わなくても良い。胸にその願いを載せているだけで、想像を膨らませるだけで、わりと充分なのだろうと思う。鯨の神秘さは、目にしても変わらなかった。鯨への愛も、変わらない。見たあとと見るまえで、変わったことはない。ただ、念願が叶った、だけ。

よく、自分なんてちっぽけに思えるくらいデカい、と鯨を見た人が言うことがあるが、私はもう想像の鯨がいて、というか、すべてと比べて、すでに私はちっぽけであるため、人生観が変わることなんてないのだ。
考えることが趣味のひとつである私は、経験は、思考の答え合わせのように感じているような節が、少しある。だから今回の鯨について、あまり想像しないようにしていたのだけれど、なにせ今までの憧れがあるので、やはり答え合わせみたいになった。鯨は、想像とさして変わらなかった。だから、私は鯨を変わらずに愛している。52Hzの鯨に思いを馳せながら、いつか、52Hzの鯨が、孤独から救われますように、と傲慢なことを思う。

8/28、昨日はとても好い日。私は、鯨と海を、死ぬまで愛しています。鯨と海の魅力は底を尽きない、文学的な美しさを、生涯保つのでしょう。私は8/28の思い出に、こうして文章というラップを被せて、大切に保存していく。
高知県、太平洋から、愛をこめて。


(写真は、宇佐ホエールウォッチングの公式HPより)

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