フリマから学んだこと:万人に好かれなくていい#2
「万人に好かれようとするのは無理がある。
一部でも好んでくれる方がいてくれれば、それでいい」というお話を以前しました。
このことについて今思うことを綴ります。
「人の好みはこんなに違うのか」と思ったことですが、確かにそう思い、万人に好かれる難しさと同時に、万人に無理して好かれようとしなくていいと思い、気持ちが楽になりました。
しかしながら、人の好みにパターンや傾向が見えてきたのは事実でした。
てんでんバラバラではないと感じました。
そこで感じたのは、人間の外観で例えるならば、清潔感のある身だしなみであったり、サイズ感のあった服装であったりなど、好印象を感じさせるものであったりすると思います。
また、内面では、人柄の良さや、親しみやすさや、かっこよさのようなものがあると思います。
こういう部分の良さを併せ持ちながら、その人らしく自分らしく居れば(在れば)良いのではないかと思います。
「万人に好かれなくていい」という部分ですが、確かに万人に好かれれば素晴らしいと思います。
しかしながら、それは難しいですし、人に好かれることをあまりにも目指しすぎると、その人らしさが薄まり、自分を見失ったり、ボウルビィやエインズワースの愛着理論の流れでいえば、アタッチメント不安的になるのではないかと思われます。
また、エーリッヒ・フロム流に言えば、分離につながる状態になるのではないか思われます。
故に、あなたらしくありのままでいい、そのままのあなたで生きていけば、まわりの人に愛を与えられ、愛を与えることで人から愛されるという、エーリッヒ・フロムの結論のように、その人の自己流でいいのだにつながるのではないか思われます。
また、自己肯定感を向上させることにつながると思われます。
自己流で生きていていいというのは、より自然な形でより多くの人から愛される過程におけるアプローチだと考えています。