見出し画像

「大事な作品は売らない方がいい」東京藝術大学学長 日比野克彦さん インタビュー[後編]

今回、東京藝術大学学長・日比野克彦さんに「作品を売買すること」についてのロングインタビューシリーズです。[前編]と合わせてご覧ください!

手薄だった卒業生への支援活動

日比野:あともう一個、アートキャリアオフィス(https://csupport.geidai.ac.jp/)っていうのを作っています。藝大って、これまでは現役の学生に対する教育は手厚いんですよ。だけど、卒業生に対しては手薄いんですよ。

大久保:そう思います・・・

日比野:思うよね。

日比野さんも藝大出身です・・・

大久保:私のケースで恐縮ですが、卒業直後が最も大変でした。私は在学中に発表した漫画作品「奇的」(※6) について読売新聞さんがいち早く記事にしてくださった事で、メディアに露出する機会が爆発的に増えて。その反響か、2ちゃん(当時の匿名掲示板)に名指しでスレッドが立ち、私のウェブサイトも荒らされ、びっくりしました。社会に作品発表するだけでこんなに叩かれるのか、と。匿名でもわかるワケです、こりゃ内容的に身近な方も書き込んでるなぁというのが…(笑)。今のように開示請求も一般的ではなく、対処どころか相談場所がない。大学卒業と同時に少しは逞しくなったつもりでいたけれど根っ子は芸術の事しか知らない訳だから、実社会でのリスク回避能力が全然身に付いてない。大学院進学も控えていたし、これではまずいと考え、講演会など表に出る依頼は断り、当時誘いのあったライツマネジメント会社と契約して、報酬の2割を支払って相談できる場所を持ち、身の安全を第一優先にしました。自由な現代美術作家ではなく学業と並行して自分のスキルが最も安定していたキャラクターデザイナーのキャリアをスタートさせた経緯があります。

でもこの判断、今のキャリア形成に重要な一手だったし、ヒビスペの在り方と日比野さんの仕事量を何年も間近で見たことが大きく影響しています。制作しながら著作権や作品管理をして、外部からの誹謗中傷や雑音を遮断するなんて、一人じゃ到底無理だと悟ったから(笑)。

(※6) 卒業制作で発表したインスタレーションの漫画作品が藝大の買い上げとなり、東京藝大美術館が初めて収蔵した漫画作品として報道された。

森山:大学ってそんなもんじゃないですか?全然手厚くないよね。就職の世話もしてくれないよ別に。

日比野:とはいえ、アートキャリアオフィスというのを作って、卒業生たちのキャリア支援や相談を、もうちょっと、ちゃんとやっていこうとスタートさせて。

アートキャリアオフィスの公式サイト

文科省もそういうことはちゃんとやろうとしていて、文科省主催で、アートに関してのご相談ごとみたいなものを藝大祭期間に3日間、開いていました。たとえば、「ギャラリーとの契約はこんな内容で大丈夫かな、保険はどうしたらいいだろう?」とか、デジタル作品にかかわる相談などが来ていました。 世の中って藝大生好きなんですよ。まあ、とにかく藝大生に来てもらえませんか?って。行政も企業も藝大生に来て欲しいっていうけども、藝大卒業生に来てほしいとは言わないんだよね。

森山:ああ、なるほど・・・。

日比野:藝大生、つまり学生が好きなんだよね。なんとなくわかるでしょ?それはなぜかというと、頑張っている姿なんだよね。狭き門を突破して、夢を追いかけてる藝大生っていうものが皆んな好きなんです。甲子園の高校球児を応援するみたいな感じですよ。でも卒業すると、そのいち若手アーティストを支援する、アートを支援するっていうふうにはならない。 藝大生って、20代くらいだから、よし、なんとかなるだろうって夢を追いかける人が多いので、それをみんなに応援してもらえるような体制を作らなきゃならない。  

大久保:ギャップがある。出てからの荒波はすごい。

日比野さんと作田さん。学生を牽引する側として、会話にも熱が入ります

作田:藝大に限らず、美大は出た後が厳しい。でも学生は守られていることに鈍感になりがち。一般の就職活動のようなOB訪問みたいなものもあまりなくて、視野が狭くなりがち。他の美大の大学院生にマネジメントや知的財産の基礎を教えてるんですけど、知識よりも「君たちが一番誰でも会いに行けるし、話を聞いてもらいやすい一番いい身分だと後で気がつくのだから、今のうちにどんどん行ってネットワークを広げていこう!」って毎年話して、さまざまな現場で働いている先輩のところに連れて行っています。


大事な作品は “置き” に行くな

大久保:大事な作品は売らない方がいい、という24年前の日比野さんの発言から、時を経て今日まで繋がりました。私が学生の頃、「大事な作品は売るなよ、俺も岐阜の倉庫に置いてるんだから」っていう話を聞かされて、それをずっと覚えていたことが今回のインタビューの本題です。 この言葉の真意を今、改めて聞かせてもらえませんか?

日比野:そうだね、うん。 作品って、描き始めて、絵を完成させる瞬間というのは、作者が決めるじゃないですか。これで完成、と。だから、自分の作品の最初の鑑賞者は自分なわけですよ。 で、大事な作品っていうのは何かというのを説明するために、逆に大事じゃない作品って何かという話をすると、簡単に言うとチャレンジしていないもの。こうやればこうなるだろうっていう、ある意味安牌な作品っていうものがそう。

一方で例えば普段だったらこの色でこうやれば大体整うんだけど、なんか今日ちょっとこれやってみたいなとか、こんなことやったらどうなるかなって、これまでの数日間の苦労が水の泡に消えちゃうかもしれないけど、ちょっとやっちゃうか!と。やっちゃってみたら、おっなんか見えてきたなっていうのが大事な作品なんですね。そういう作品って、もう一度同じことができるかを自分でもわからなかったりする。もしかしたら二度と同じことはできないかもしれない。そういう、自分のフェーズが変わるのを感じさせるもの。単に体調とか、その時の感覚とか、まあいろんなものが相まって、この作品は二度と描けるかどうかわからないけども、この瞬間これができたことは自分とって大きな意味があるっていうのは大事な作品なんだよね。 そういう作品が身近にあると、怠けてもいられないし、可能性を感じていられる。そういうものは、売らないほうがいいというか、手元に置いておきたいものなんですよ

大久保:懐かしいですね。思い出した!講評の時に 「大久保、これ、置きに行ったでしょって」言われたことがあります(笑)。まぁ、裏を返せば、まだやれるんじゃないの?って暗に言われたことがありました。  

森山:安牌を置きに行った、ということ?藝大ってそういう講評をされるんだ。

大久保:当時、木幡和枝教授(※7) と日比野さんが二人で私の作品を講評しに回ってこられて。あれは大学四年の冬で卒業制作展のプレ発表だったと思う。木幡さんは腕組んでじっと作品を眺めている。黒いブーツのヒールをカッカッと鳴らして、ちょっとニヤッとしながら、「で、これ大久保の作品?ふぅ〜ん」って。天井高な取手校舎に靴音がよく響いたのを思い出す(笑)。更にその背後から、日比野さんが「・・・大久保、置きに行ったでしょ」って、念押しで釘を刺すんです。そんな冷や汗かくような講評を受けたら一晩でガラッと提出作品を変えざるを得ない。翌日もプレゼンだったので、寝ずに制作した。ああ、完全に見透かされたと思って。木幡さんもでしたが、日比野さんも、そういう点は絶対に見逃してくれない(笑)。有難い助言でした。

(※7) 木幡和枝: アートプロデューサー、翻訳家、同時通訳者。上智大学文学部新聞学科卒。TBSブリタニカ、工作舎での編集者として活動後、NYのMoMA P.S.1 の客員キュレーター。藝大では主に「概念構築」と題した授業でコンセプチュアル・アートの根幹と最前線を伝え、身体活動としての思考展開と議論、実践の場を学生に与え続けた。東京藝術大学名誉教授。2019年没。

日比野:とりあえず75点ぐらい取っておこう、みたいなのを、置きに行くって言うんですよ。まあとりあえず、今日の講評会はクリアしたぞ!、あとは、本番で頑張ろうみたいなことなんだろうね。  でも、置きに行って、それが褒められてしまうと、嬉しいとかではなく、それは逆に苦しくて。あれ、これくらいでいいのかな?自分もっとできるのに、みたいになると、中途半端な自分が褒められるのって辛いじゃないですか。


日比野研でのエピソード。日比野さんの思いつきの挑戦に焦った話。その後、絵はなんとか時間内に無事完成した。

世の中の評価に追いつかれたら終わりだ

森山:私は音楽やってたので、美術の世界じゃない言葉になっちゃうかもしれないんですけど、例えばミュージシャンって、次々にアルバムを出すじゃないですか。売れてるミュージシャンでも、長年やってるとどんどん違うことがやりたくなっていってしまうんですよね。日比野先生の言葉でいうと、チャレンジして違うことをやっていくんです。でも、古いファンって、過去の、単純で直情的な「青春を謳歌するあの歌を歌ってくれよ」と思うんですけど、本人たちとっくに飽きてて、違うことやるんですよ。そうすると昔のファンってついてこれなくなって、古いファンが離れて行ったり、その一方で新しいファンがついてくるみたいなことがあるんです。 自分にとってチャレンジがあったと思える、意味のある作品が、逆に全く売れないことって、音楽の世界ではすごくあります。

美術の話でいうと、例えば値段がついて高く売れるものと、美術や自分の歴史の文脈の中でチャレンジがあって、大きな意味を持っていて価値のあるものが乖離してるということはありますか?音楽ではよくあることなので。

作田:あとから評価されたりという点は似てるところはありそうですね。

森山:そう、後世になって評価されるというのもありますね。

大久保:
日比野さん、今までチャレンジしてきた中で、これいけた!うわこれ滑ったな〜!っていう両極の経験談はありますか?

日比野:音楽で言うと、マーケットがあって、ファン層がいるからそれに応えたい、というのはあると思う。チャレンジするよりかは、昔のファンはこんなものをやって欲しがっているからそれをやる、ということなんだと思う。 自分の場合は、作品を売ってないし、もうちょっと違う言い方すると、世の中の評価に追いつかれたら終わりだと思ったわけ。

大久保:・・・いつ頃からそう思っていたんです?

日比野:もう、最初の頃からそう思っていた。メディアに対して評価してもらおうと思ってやってる姿じゃなくて、例えば日比野が、それこそ82年とかにダンボールで作品を作っていたわけだけども、当時受けた評価というのは、チャレンジ精神っていうものに対してだったと思う。今までになかったものが始まった、みたいな。 自分は、世の中の評価のためにやっているのではなくて、自分がそれを崩していく役割なんだみたいに思っていた。だから、追いつかれたら終わりだし、みんなが欲しいものを提供しているわけじゃないっていう感覚はあった。 で、例えば代理店が、過去作を持ってきて、「日比野さん、こんな感じでお願いします」なんて言われても、それ、俺、もうやりたくないな、と思うんですね。

一同:

大久保:断るんですか?

日比野:説得する。

森山:それ、代理店からしたらめっちゃ困ることなんですよ!(※新卒で16年大手代理店勤務をした経験からの発言)

日比野:むしろ、僕が今やりたいことがあるんで、それ一緒にやりませんか?って言う。

森山:巻き込んでいくんですね(笑)。

日比野:そう、巻き込んでいく。スケッチも書きますよ。こういうことやりたいんだけどって持って行って巻き込んで、じゃあやりましょうかって説得していく。 代理店のクライアントの方も、「じゃあ日比野さんこの間作ってたあのポスターを、ちょっとだけ変えてこんな感じのやつを作ってほしい」と立派な資料を作ってくるんですよ。 そうしたら、「ああ、来た来た。またこれだ」と思って。それで、「じゃあ、今僕がやりたいことを一緒にやりませんか?」と説得していく。

世の中の日比野のファンは、どんな素材、どんなメディアでも日比野らしさは出る、出てしまうと思ってくれている。立体を作ってくださいと言われて映像を作ったり、映像作ってくださいと言われてオブジェを作ったり。それでも自分らしさは出る。別に天邪鬼で言っているわけではなく、あまり過去の自分をなぞるようなことがしたくない、というだけ。 中には、こんな新しいことをやってみませんか?と誘ってもらって乗ることはある。 例えば、初めて舞台美術やるとか、初めてアパレルやるとか、初めて映像作品作るとかっていう時に、そのジャンルのディレクターが来て一緒にやるわけじゃないですか。 そうすると、日比野さん、この間、こんなオブジェ作ってたけども、今度舞台美術やりませんか?って言ってくれると、やったことないけども、まあやってみたいなと思って。 傍から見れば、日比野さんいろんな表現やってて大変でしょうって言われるけれど、演出家とやれば舞台美術になるし、映画監督とやれば映画になるし、誰と組むかで出目が違ってくるだけであって、私は変わっていないという意識でやっている。同じようなことやってくれませんか?というのに関しては、ちょっとそれはっていう感じだったかな。  


分断を解くか、誰と組むか

大久保:日比野さんは、いつでも誰かと組んで仕事を展開していくイメージがありますが、今は誰と組みたいですか?どんなジャンルの方と組みたい?

日比野:今か、今ね。今日の午前中に、私、藝大の中を歩いてたじゃない?一緒にいた女性の方は、谷中の方で、椎原さんっていう、まちづくりの人なのね。 藝大の音楽と美術の間に、道があるじゃない。あれ、455号線で。音楽学部から美術学部に行くときに、横断歩道があるじゃない。信号もある。  

森山:はい、ありますね。

日比野:なんで同じ大学の中に分断する道路が走ってるんだろうって。

道路をはさんで音楽学部と美術学部が向かい合わせに建っている

森山:それ、最初見た時思いました。

日比野:思うよね。でも、あれ段々慣れてくると当たり前になってくるでしょ。

森山:仲悪いのかなって思いました。別々になってるし。

作田:それぞれ別に門番もいますしね。  

日比野:門番もいるね。 例えば自分が、領域横断とか、芸術の力で社会を変えるとかっていうようなことを言ってるのを本当にわかりやすく見える化するときに、あの道路を通行止めにして遊歩道にしたいって話をしてたら、今少しずついろんな行政とか国と都とか、あと、昔から椎原晶子さん(國學院大學観光まちづくり学部教授、谷中のまちづくりに長年取り組んでいる方)が藝大のOBなんだけども、彼女なんかと話をしています。だから、今組みたいのは、すでに藝大として組んではいますが、国と組んでアートの魅力を活かしたまちづくりをしていきたいっていうのがありますね。

森山:今日お話して、これまで勝手に私が思っていた日比野先生のイメージと、実際にお会いして違うなと思ったところが3つあります。

一つは、すごくメディアっていうものに対して、ニュートラルであるところ。作品は色々拝見をしたんですけど、意外とその手法というか、メディアにニュートラルなんだなということが驚きでした。

もう一つは、公共性を大事にされているところ。作品を売るというのは、このインタビューのテーマでもあるんですが、作品をしまい込まれるのが嫌だみたいなお話が冒頭にあったじゃないですか。私は音楽をやってたので、音楽で言いますと、音楽ってしまい込めないじゃないですか。演奏してみんなが楽しむってことができるので。でも美術作品を買ってしまい込んだらそれまでで、誰の目にも触れなくなる。こういうことに対して、逆に、譲らないことも含めて、作品がパプリックであることを大事にされているのかなと、勝手ながら思いました。

最後に、再現性を大事にされているところ。再現性の反対は唯一性だと思うんですね。芸術は唯一みたいなところもあると思うんです。 ただ、工学的に芸術する、みたいな話になっていくと、どんどんその再現する方法、作るルールだとか。街づくりもルールみたいなところがありますが、再現性を重視されているところもおありだと思いました。つまり、密閉された展示空間で一定のメディアで、それに対して作品に唯一の印象を与える。ひとつひとつはもちろん、作品として唯一なのでしょうけど、ただスタンスとしては、自分の表現の乗り物、媒体は何でもよいというある種の再現性もある。

つまり、唯一の絵を作って売って、誰かに仕舞い込まれる。その対極のところを志向しておられるのかなと思いました。  

今、日本一コラボしやすい学長かもしれません

そんな藝大に、誰がした・・・?

大久保:藝大では今、私たちが在籍していた頃と全く異なり、アートプラザで在学生・卒業生の作品を売る機会を支援していますね。大学の取り組みとしては、作品販売を支援していきたいのでしょうか。  

日比野:アートプラザで売っているのは、工芸とか日本画の作品がやっぱり多いかと思うが、売っていくことに対しては、それは全然悪いことじゃないと思っています。 例えば日本画は画壇があるんですね、日展とか。工芸も伝統工芸展だとか、工芸をしっかり売り出すマーケットがある。例えば日本橋三越の美術商は、日本画とか工芸とかであれば藝大の先生や若手の作家さんをしっかり支援してくれる外商部門があったりする。 油絵科とか、彫刻科とか、先端表現もそうだけど、マーケットが日本の中にないジャンルもある。現代アートのマーケットはあるが、やはり日本画や工芸とは違う。

藝大アートプラザ。大学校内にある店。学生・卒業生の作品や美術関連の書籍、グッズなどが手軽に買えます。誰でも入れます◎

森山:すごいラフな言い方になっちゃうんですけど、成功している芸術家というのは、お金を稼いでいる芸術家ではないというふうにおっしゃっているように聞こえているんですけど、その辺はどうなんでしょう?

日比野:そうだねえ。 例えば、医学部を出た学生は、なんだかんだ医学関連の仕事はするわけです。ノーベル賞をとる人もいれば、開業医になる人、研究者になる人、いろんな関わり方で医学の仕事をする。 美術学部を卒業した人たちは、ノーベル賞を取るようなことを成功者というのか。それより、もっと赤ひげ先生のような巷でアートの活動をしているとか、藝大を出た人たちが、自分の生活の中でアートが活かされた生き方をしたほうがいいと思っていて、だから美術に関わる職業はもっと増やした方がいいと考えている。

日比野:例えばさっき、インタビューが始まる前、森山さんが「藝大を受けようとしたら親御さんに止められた」って言ってたじゃない?それが何故か。何故東工大だったらよくて藝大がいかんのか。もしね、子供が藝大に行ってたら、それは社会のために役立つことで素晴らしいことだから、もう親戚一同応援するよ、ってならなきゃいけない。なのに、藝大を受けるなんて言ったら、大変だぞ、お前、成功するのは。そういう印象じゃない? そういう藝大に誰がしてきちゃったのかって言ったら、我々がしてきちゃったわけですよ。150年間の間で。それを変えていかなくちゃいけないと思っている。

藝大を受けたいっていったら、世の中の役に立ち、世界のためになる、というのを一般的な認識にしていかないといけない。アートをそういうふうにしていかなければいけない。 そのために、教育人材の育成にも力を入れなければいけないし、それは大学だけではできないので、小中高の美術、図工の授業を含めてやっていかないといけない。

インタビューの朝、藝大音楽学部校門前でミーハー撮影しているのがバレた森山氏

森山:私は美術の世界にいなかったので、この場でいうのは烏滸がましいのですが、ずっと思っていることがありまして。東大とかに行ってみて思ったのは、やっぱり頭のいい人はすごく多くて、いろんなことをできる人はいるんです。しかし、社会に出て思うのは、言われたことをやっているだけじゃダメだということです。 AIも問題を設定すれば色々やってくれるんですけど、そもそも現象をどうみるのか、問題をどう設定するのか、こういうことは実はあまり教えられていないことなんだと思います。 東大といいますか、標準の教育を受けた人たちは意外とそれができなくて、その行き詰まりが、東大出た人がアートだなんだって急に絵を見に行き始めたりとか、流行っているじゃないですか。アメリカでも一流のビジネスマンはアートに造詣があるとか急に言い出しているじゃないですか。それって、そのトレーニングをしてきていないからなんですよね。創造力ってすごく必要なものだし、アートの外でも大事なものだと思うんですけど、所謂東大ルートでは鍛えられないんですよね。

一方、藝大ルートだと当然このトレーニングはされているわけですが、その先にあるものは芸術家なんですよね。 創造力のトレーニングを受けた人がビジネスをやるというのは、とても大事なことだと思っています。頭がよくて手が動かせる、スキルがあるだけではだめなんです。僕は藝大の逆側にいたので、これをすごく課題に思っています。

大久保:美術に関わる様々な職業の収入が見えにくいことも課題だと思います。とにかく金額が不透明。本来ならもっと選べるはずの職業選択肢をいきなり減らしてる気がする。


藝大の社会人育成プログラム

大久保:今、藝大には社会人の育成プログラムはありますか?  他大学ではよく見られますけれども。

日比野:DOORという授業があります。Diversity on the art Projectという福祉×芸術をテーマに謳っている。福祉だけじゃなくて、社会的な課題×芸術がテーマです。そこには社会人が80人ぐらい来てるかな、芸大の学生は現役から20人ぐらいで、あわせて100人くらい。一年間のプロジェクトで、履修証明プログラムとしてやっている。コロナの中でオンラインの授業が増えたこともあり、履修者も100人ぐらいになった。今も、地方からオンラインで受講する社会人もいる。これはリカレント教育(※10) ともちょっと違って、学び直すというよりは芸術の本来持っている力というのは、生きる力に近いようなものがあって、それを福祉の問題解決に使えないか。老老介護などの問題も含め、本当にどうなっていくのかわからない。 例えば、視覚的に不自由な人がいたとして、あなたの杖になりますよ、補助しますよっていうのが福祉的な考え方。一方、アート的な考え方だと「目が見えないってどんな世界があるんだろう、ちょっと見てみたいな」と興味を持つ。アーティストという人たちは、例えば視覚の不自由を障害というよりは、自分にない特性と見たりすることができる。 そう捉えられれば、違う価値観と出会えることが文化なのだから、じゃあ福祉施設も、違う価値観と出会えるのだから、福祉施設は文化施設になるんじゃないか、と考えることもできる。

DOORという授業の参加者の社会人も、その多くはこういう問題の当事者だったりもします。自分の家族に障がい者がいるとか、社会に課題を感じているとか、勤めていて閉塞感があって、この先どうしていいかわからない、というような人たちが、DOORのアート的な観点を身につけるプログラムを受講している。今年でもう7年目くらいになる。 だから、さっきの東大生がアートみたいな話、あったじゃないですか。STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)からSTEAM(Science, Technology, Art, Engineering, Mathematics)になりたい。それは、どこもうまくいってないんですよ。  

※10 [リカレント教育]学校教育からいったん離れたあとも、それぞれのタイミングで学び直す、社会人の学びのこと。

作田:まだ、うまくいっているという話は聞かないですね。

日比野:ね。A(Art)を後から取り付けてるだけだから。Aは後からくっつけるものじゃないのに。

森山:急にArt見たりしてもダメですよね。

日比野:A(Art)はもっと基盤的なものであって、そこからいろんな学問をやっていくべきなのに、履き違えている。

森山:まさに、後からアートだ英語だってくっつけている。

日比野:そりゃあ、違うでしょってなるよ。

作田:東大生の学力だけじゃなくて、ある種の思考体力みたいなものがあると思うんです。そういうものは藝大生にもまた別の形で存在していると思う。表現スキルとは別に。そういう部分が、人間にとってとても大事なのかもしれないと思います。


藝大こども園の可能性


大久保:
早期教育の観点もありますね。例えば、京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)はこども芸術大学という認可保育園を設けていますが、藝大は幼児教育施設については、将来的に取り組む計画はありますか?

日比野:早期教育っていうのは音楽の方が重要性が高いんですよ。美術と音楽の一番違いは何だろうというと、例えば高校生になってからピアノをやりますって初めても難しいじゃないですか。美術の場合は高校生になってから、彫刻家になりますって初めても全然オッケーなんです。

 音楽には早期教育が必要なので、藝大にも附属高校はあります。音楽部の中に付属高校がある。あと、藝大こども園っていうのを作りたいねって話はずっと前からあります。これは、早期教育というよりは、女性教員とか、学生の中で子供を産む人、さらに藝大がある上野には、文化施設がたくさんあって、そこの職員さんとかもたくさんいる。そういう人たちをちゃんとフォローできるこども園があった方がいいよね、ということですけれど、昔からある話です。

上野には寛永寺というお寺さんがあって、もともと上野公園は全部寛永寺のものだった。明治のときに没収されて、そこに東京市がいろんな文化施設を作った。寛永寺の中に寛永寺幼稚園があって、上野中学校、上野高校と、上野公園の近辺に、幼稚園と中学校と高校があるので、そこと連携して、大学の中だけ美術教育をやるのではなくて、これらの学校が連続的につながっていくようなことをやりたいね、という話も今しているところです。

藝大の中に美術教育という専攻があるんだけども、教育学部の中の美術とはまた違うんだよね。例えば美術や図工などの教員養成や教科書の指導要綱を作る教育学部の中の美術教育に対して、藝大の美術教育はものづくりを通しての感性教育みたいなことをやっています。この、感性教育の観点でこどもの早期教育のようなことができるといいかなと思います。  


日本の美術保全、学長の野望

作田:美術に限った話ではないけれど、今、日本の色々な場に、いろんなルーツを持った人がいます。そういう人たちの持っている文化とか、違いとかに対して、何かをただ一緒にやるというだけではなく、アートの力をもって、互いの違いを含めて認識や理解を深められたらいいなと思います。 美大でも、私が教えている大学院だと留学生の子のほうが多いくらいの状況になっています。先日見た別の美大の卒業制作展では、留学生や外国にルーツを持つ学生が自分のルーツや、外国人として見られる違和感をテーマにしたグループ展示をしていました。藝大は、国際化という点で今後どのように変わっていくんでしょうか。  

日比野:留学生は(日本にわざわざ来るんだから)日本に憧れてくるんだと思う。この間も、藝大の陳列館で「うるしのかたち展」という展示をやっていたが、漆ってもともと大陸から来ているけれど、中国側にはもう何も残っていない。そこに中国からの留学生が来るわけです。中国には残っていないものが日本に残っているから、日本に学びに来る。 日本人って、いろんなものを混ぜて、つないで、残すのはうまいと思うんですよ。ひらがな、カタカナ、アルファベット、混ざってるじゃないですか。明治以前、江戸時代のものもあれば、明治維新になり、西洋化し、戦後に近代化し、といろんなものがこの小さな島国で、混ざって残り続けている。それが日本の美術史だと思っています。でも、日本の美術史をちゃんと通史として誰もきちんと述べていないし、それが見れるようなミュージアムもないんだよね。  

作田:大体、分けられちゃってますよね。

日比野:もう全部分けられちゃってるし、立派なのは西洋美術館だったりする。なんだよ、日本の通史としての美術どこで見れるんだよ?と。
例えば三宅一生さん、この間亡くなったけど、一生さんはデザインミュージアムを作りたいとずっと言ってたんです。デザインって、日本の中での民芸もそうだけど、用の美というのもありますよね。茶室とかモノだけじゃなく、様式美とか間とか、そういうものが日本の美なんだけども、それを体感したりとかプレゼンできるような美術館や博物館も無い。企画展は時々あって、お茶の展覧会とかやっているが、いつ行っても、日本の縄文時代から、すべての用の美、デザイン、モノ、音楽、食までふめると大変だけども、少なくとも通史として最先端のデジタルメディアアートまでが見れる日本の通史としての2000年3000年、土器まで含めるとそれこそ数万年のものが、日本の美術史だし、それが残っているところって、もう世界中にないわけですよ。

「学長でいられるあと3年、自分にできることをしていかなきゃ」と、熱く語ってくれた日比野さん

正倉院も残っているとはいえ、日本は特に近現代のものをちゃんと残していない。倉俣デザインの寿司屋も、香港の美術館に収蔵されている。自分たちの美術史に関わるものをきちんと大切にすること、それが一番の国際性だと思う。

作田:確かにそうですね。それをちゃんと意識できるかどうか。

日比野:外国から来た留学生たちがむしろそれをわかっているんです。藝大に来ている留学生は、音楽学部のほうでも、例えば日本人が知らないような昭和の歌謡を研究しているオーストラリア人がいたりします。海外から見たらとても魅力的な日本のアートがあるのに、日本人が知っているのはむしろ、浮世絵だとかジャポニズムみたいなものだったり、世界のアートマーケットで評価されている例えば村上隆さん、奈良美智さんの作品だったりする。むしろ、日本人よりも日本の美術の魅力を知っている留学生たちの力も借りながら、日本の美術通史の観点で重要なものを日本に残していかなければいけないと思っています。

大久保:日本は世界に開かれた、詳細なアート系のアーカイブズがないから資料も紐解けないし、どこに新しい作家がいるのかもわからない。そういうのを早く作ってほしい!と海外の方からよく言われます。 もう、割と昔から・・・。学生時代、木幡和枝教授が大学機関に於けるアーカイブズの重要性を強く訴えておられたのを昨日の事のように思い出します。特に、archiveとarchivesの使い方を混同すると、ものすごく怒られた(笑)。

アーカイブしていく行為を直接的な目的にすると、莫大なコストも掛かり大変ですが、テクノロジーを駆使して展開できないだろうかと、我々も壮大な夢だけはちゃんと持っています。より良い文化形成と著作権の保全のためにも・・・。

作田:先ほどのアーカイブの話もそうですけど、それを考える人は必要。日比野先生もそれを問題に感じて頑張っていただいている。我々もぜひ協力したいと思いました。

大久保:みんなで協力していきましょう!本日はみなさん、どうもありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!