何か得たいと思っている時ほど、大事なものは得られない
「旅をしたら何かが見つかって人生が変わった」とよくいうが、旅に出ても何もみつからない場合もある。“何か”で満たすことばかり求めてしまう私たちだけど、求めても求めても埋まらない“何か”。そのわからない“何か”を見つけるきっかけづくりをしている人がいる。
今回は誰もが知りたい“何か”を見つけた、五十嵐 裕麻さんのお話し。優しい笑顔の奥にある心の葛藤と成長をお聞きしました。
安定した職業について家族を守らなきゃ
中学2年生の頃から将来の夢は固く決めていた。
「親に冗談半分で『家はゆましかいないから、ゆまが家を支えていかなきゃね〜』て言われたのを真に受けて、『私が何とかしなきゃ』って強く思っていました」
一人っ子だったゆまさんは、将来何かあったら家族を支えていくのは自分しかいないと思い込み、地元で長く働け、お給料も良く休みもしっかりある安定した職業を調べぬき、放射線技師になることを決めていた。
「技師になるって決めてからは割ともう堅実な感じで、最低限の努力で技師になるために高校、大学を決めていきました」
大学卒業後は埼玉の県立病院に就職。求めていたよりも待遇よく、人間関係にも恵まれ楽しく仕事をしていたが、半年ぐらい経った頃に突然先が見えたという。
「技師になって半年くらいは、『この仕事は自分にとって天職だ!』と思っていました。だけど、先輩を見ていたら自分の将来が描けてしまったんです。だいたい30歳手前で結婚して、子供を産んで、家を建てて、趣味も楽しみながら豊かに暮らしていくんだろうなあと。この道はこの道で、楽しいんだろうなとは思うけれど、でも全部描ける範囲だなと。自分の人生が良くも悪くも見えてしまった気がしました」
“THE安定”した未来が見えたのだが、なぜか心の中にモヤモヤが生まれていった。
やりたいこと=職業じゃない
中学から決めていた放射線技師の仕事に就いたゆまさんが、モヤモヤを抱くきっかけになったのが、大学の頃に参加していた、一人旅ができるようになる旅人育成企画「タビイク」との出会いだった。
「大学2年の春に参加した「タビイク」で、普段は出会うことができないような自分とは違う価値観を持っている仲間に出会い、同年代の彼らが自分の夢をキラキラ語る姿に、焦りを覚えました」
「タビイク」で出会う人たちは、具体的な何かはまだ見つかっていないけれど、世界を良くするために“心からやりたいこと”を語り合っていた。
何かに向かってチャレンジし、喜んだり落ち込んだりすることが、人生を楽しんでいるように見えたという。
「旅行中は一緒にいて楽しいけど、『夢はなに?』『やりたいことって何?』と聞かれるのが苦痛でした。答えられない自分が嫌と言うか、何もないのが嫌で、なりたいことがない=自分がないみたいに思えて……。みんなが目標に向かってもがく姿がすごい羨ましかったです」
放射線技師になることが目標だったけど、それは本当に自分がやりたいことだったのだろうか…… ゆまさんにとっての本当にやりたいことを探す旅がはじまった。
とにかく色々試して見えてきた
モヤモヤを抱えた頃から、その穴を埋めるようにいろんなことに手を出していったゆまさん。起業プログラムを受けビジネスプランをつくってみたり、グラレコを学んでみたり……
「とりあえずわかんないけど、何かをずっと探し続けている感じで、手当たり次第色んな事をやっていきました」
その甲斐あってか、やりたいことが見えてきた。
「起業プログラムの最終ピッチで『非日常の中で自己内省プログラムをする』をやりたいこととして発表しました」
それまでの過去の経験から出てきたプログラムだという。現在行っているリトリートの原型になるものだった。
心の声に従う
「非日常の中で自己内省プログラムをする」を実現させるために、コーチングの学びを始めた。その学びは自分自身を内省する機会にもなり、ふんわり思っていたやりたいことが、より具体的に掴めるものになっていった。
「コーチングを学ぶ受講生同士で行うペアコーチ(※)をする中で、原体験の深掘りや自分の怖さがどこからくるのだろうかとか、自分の中で大事にしている価値観って何だろうとかがちょっとずつ見えていきました」
「ずっと外側にやりたいことを探していたから、自分の内側を探すことができたのはすごい良かったと思っています」
何かやっていくうちに、いつか見つかるだろうと思っていた“やりたいこと”。それは思っていたより近くにあった。そうして、少し手がかりを掴みかけた頃、技師の仕事を辞めることを告げる。
「コーチングを受けたり、内省したり、自分の心にフォーカスしたら、技師でいることが違うっていう明確な理由が揃っちゃったんです。心と頭の乖離が大きくなりすぎて、心の声にあらがえなくなって、辞めたいって伝えました」
自分に正直になることは、時に怖い。思考や理屈ではない直感を信じ、自分の心が求める方に歩み始めた。
※ペアコーチ コーチング受講生同士で行うコーチングの実践練習。実際のコーチングのような関わりをし合う。
決めないことを決めた
技師を退職したゆまさんは、次が決まっていないことの不安から転職活動をしようとしたり、何かスキルを身に付けなければならない衝動に駆られたり、何かしていないと落ち着かない自分に気づき、あることを決めた。
「これから3ヶ月間は絶対に先のことをやらないようにしようって決めました。3ヶ月の間に飛び込んできた選択肢の中で一番心が動くことに従おうって」
そして、たまたまご縁のあった気仙沼へいくことに。3ヶ月間はただ子供達と遊んだり、海を見てぼーっとしたり、稲刈りを手伝ったり、ただただ何もしない日常を過ごした。
「放射線技師の資格しか持っていない私は、社会に貢献できる“明確な何か”がなかった。それがとても怖かったですね」
結局やってしまうのは全部人に関わること
2021年9月からは本格的に気仙沼での生活がはじまった。
「気仙沼に移住してから本当に色々やりました。 PR の仕事やコーチング、ゲストハウスの立ち上げやパーソナルジムの立ち上げとか。色々やりましたね」
気仙沼に移住してからゆまさんはいろんなことに関わっていった。一見バラバラのことをやっているようにも見えるが一貫しているのは“人の成長に関わること”という。
「色々やる期間を経てから、一旦思考的に全部手放した時に残ったのが“人の成長に関わること”だったかな〜と、今振り返ると思います」
“人の成長に関わること”とは一体どういうことだろうか。
「私の人生かけてのビジョン『自己変容型の人を増やしていきたい』があって、そのために“人の成長に関わること”は私にとっては避けて通れないことだと思っています。やりたくてやってるわけじゃなく、自然とやっちゃうみたいな」
色んな価値観の人に出会って知った、自ら湧き起こるやりたいことに向かう楽しさ。「自分がやりたいこと」に従う人が増えれば、心が豊かな社会がもっと広がるかも……。自分が感じた気づきを他の人にも知って欲しい、自分のような苦しみを経験してほしくない、そんな思いが誰かの成長に自ずと関わってしまうのかもしれない。
100年後に芽が出るように
2021年の5月頃から「非日常の中で自己内省プログラムをする」ことを体現した「リトリート」というものを始めた。ゆまさんが行う「リトリート」は非日常な自然環境の中で数日間合宿し、対話を通して自己を振り返る活動。そして、2022年の9月には信頼する仲間と社団法人リトリート協会を立ち上げた。
「リトリートでは、ストレスが何もないありのままの自然な状態の時に『自分の中で立ち上がってくるもの』に出会いやすくする場所をつくっています」
一人で自分と向き合い続けるのは難しいという。
「自分との内省の時間は大事です。だけど一人では難しいから、そこに伴走することはもっと大事」
人との関わりの中で、誰かの言葉が自分にも響いたり、新しい視点を与えてくれる。
「自分の弱さを認めたり、人との繋がりや自分自身との繋がりを感じたり。あと、自然との繫がりを感じるのも大事ですね。それらを感じきることで、ある時ポンっと出てくる」
今や検索すればいろんな情報が見つかり、“やりたいことの見つけ方”なんて山ほど情報がある。けれども誰かが成功した方法は自分に合うとは限らない。100人いれば100通りの人生があり、状況も異なる。
「何かを得ようとしてもがく期間や、スキルや知識を増やすこともある程度はやっぱり必要ですね。年単位で時間はかかると思います」
ゆまさん自身も技師じゃないと気づきながら、本当にやりたいことを探すのに何をしたら良いかわからなかったからこそ、次の人が迷わないよう何か指標をつくりたいという。
「何百年も前の人たちが生きる為と思って築き上げたものが、今のこの豊かさだなって思うんです。これをちゃんと受け取れているんだったら、自分たちが何百年後か先に何が残せるかを考えていきたい。自分達の幸せだけじゃなく、100年後を生きる人たちに継承していきたいのが“心の豊かさ”なのかも」
生きていると“しなければならない”ことに埋もれてしまう私たち。自分の中で立ち上がってくる“ついやってしまうこと”に少し目を向けてみると、自分が大事にしている価値観が見つかるかもしれません。
撮影場所:宮城県気仙沼市
※一部の写真は提供いただきました
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