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『暖簾を超えて繋がる縁 第四章』 CDPとCRMが紡ぐ新時代の縁

第四章 小さな手応えと、大きなうねり

 雨が上がり、初夏の爽やかな風が下町の通りを吹き抜ける。華密堂の二階にある経営企画室では、若手社員の渡辺が意気揚々とパソコン画面を見つめながら声を上げた。
「社長、名寄せしたお客様データを使って、旅館向けに試作品を案内したところ、思ったより反応がいいみたいです。“抹茶チョコ羊羹”に関して“面白い”という声が増えていますよ」
 紫藤颯馬(しどう そうま)は画面を覗き込み、思わず微笑む。
「そうか。小さな規模だけど、ひとまず実物を食べた人からは“意外と美味しい”“若い人にもウケそう”って評価が出てるんだな……。職人さんたちに伝えれば、少し気が楽になるかも」
 ECサイトでの売上はまだ微々たるものだが、旅館や電話注文の一部で“試作品を試したい”という問い合わせが増え始めていた。従来の和菓子を一歩逸脱する開発には古参が難色を示していたが、デジタルを使った小さな実験が徐々に功を奏している。

 一方、工場では技術統括の伊藤が、職人に材料や工程の調整を指示していた。
「いいか。先代からの餡の炊き方は崩さないようにな。抹茶やチョコを足すからといって、火加減を大幅に変えるなど、乱暴なことはするんじゃないぞ」
「わかってますよ。伊藤さん。四代目も“基本の味を損ねない範囲で”って仰ってましたし、いまの配合なら大きな影響はないでしょう」隣で作業をしていた若手職人が、少し嬉しそうに答える。実は試作品を渡すたびに、旅館の女将から「珍しくて華やか」と好評だったという報告を聞き、職人たちもまんざらではない気持ちになり始めていたのだ。

 伊藤はあくまで冷静な表情だが、どこか目元が緩む。(四代目の目指す方法が、まったくの机上論ではないのかもしれない。ただし、先代の味を大切にするという根幹は、絶対に守ってもらわねば……)
 そう胸の内で考えながら、伊藤は「ご苦労だな」と声をかけ、工房をあとにする。頑なな態度を崩さぬ一方で、老舗を変えようという四代目の意志を少しずつ認めざるを得ない雰囲気が漂い始めていた。

 夕方、営業担当の北野が颯馬のもとを訪れ、帳場の脇で小声で言う。
「四代目、先日は旅館のお得意先が“抹茶チョコ羊羹”を喜んでおられると伺いましたが……あまり急に広げすぎるのも、おやめになったほうがよろしいかと。長くお付き合いいただいてる別の料亭には、“今まで通りの和菓子がいい”という声もありますので」言葉遣いはあくまで丁寧だが、そこには「新商品を押しすぎると反発が出る」という警告が含まれている。北野としては、先代から築いた堅いパイプを壊したくないのだ。

「分かります。料亭によっても、求めるものは違いますしね。あくまで選択肢を増やすだけで、“伝統の和菓子”をやめるつもりはありません」颯馬は柔らかく答える。北野は「そうですか。四代目のご判断に従います」と一礼しつつも、どこか釈然としない表情を浮かべていた。

 そんな中、百貨店バイヤーの浜野が、わざわざ華密堂を訪ねてきた。
「いやあ、いま“旅館向けの新作”が好評だと聞きまして。私どものフェアでも、和洋折衷の新商品を出していただければ、若いお客様を呼び込むきっかけになるんじゃないかと思いましてね」浜野の期待に、颯馬も心が踊る。

「小ロットで試しているだけなので、まだ本格的には……ただ、もし展示だけでもさせていただけるなら、百貨店での印象が変わるかもしれませんね」
「そうですよ。なにしろ、夏の終わりに開かれる“スイーツフェア”はインバウンド客や若年層をターゲットにしたものですから。新商品を出すなら、うってつけの機会になるかと」

 しかし、浜野は少し声を落として続ける。
「実は、総合商社もそのフェアに絡んでくるという話がありましてね。“新感覚スイーツブランド”を大々的に売り出すらしいんです。もしそれが口コミで話題になれば……私としても華密堂さんを応援したいのですが、埋もれてしまわないか心配で」やはり、広瀬彩香が動いていると考えて間違いなさそうだ。颯馬は胸にうずく対抗心を感じながら、あくまで落ち着いた表情を保つ。
「大丈夫です。ウチにはウチのやり方がありますから。まだ試作品の段階ですが、なんとか形にしてみせますよ」

 経営企画室では、渡辺らがSNSを見ながら騒いでいた。
「社長、抹茶チョコ羊羹の写真がじわじわ拡散されているみたいです!“和と洋の絶妙なコラボ”というコメントもあって、問い合わせが数件きてるんですよ。『店頭で買えますか?』とか」
「本当か……。まだ大きな盛り上がりじゃないだろうけど、この前よりは確実に反応がいいね」
 以前はまったくといっていいほど反響がなかったSNSに、少しずついいねやコメントが増え始めていた。まだ地道な活動だが、全体の売上を劇的に変えるには至らないにせよ、“和菓子=古臭い”という印象を一部でも払拭できる希望が見えつつある。

「こんなふうに『若い人にも“美味しそう”と言われる』実例を古参社員や職人さんたちに見せれば、改革への理解が広がるかもしれませんね」渡辺の言葉に、颯馬は大きく頷く。顧客の反応をリアルタイムで拾えるSNSの力を、古参に伝えたいのだ。

 しかし、技術統括の伊藤は工場でこの話を耳にしても、どこか複雑な顔をする。
「まあ、お客様の評価はありがたいですが、SNSのバズやらイイネやらが、本当に店を救うとは思えません。それに、職人の技というものは、ネットの盛り上がりで変動するものでもないし……」愛想のいい言葉で締めくくりつつも、「そう簡単に信用しないぞ」という姿勢を崩さない。先代からの伝統こそが、この老舗を支えてきた――伊藤のプライドは相当根強いのだ。職人たちも、「抹茶チョコばかり注力していたら、これまでのどら焼きや饅頭がおろそかになるんじゃないか」という不安を漏らす。それでも、若い職人の中には「新しい挑戦をしてみたい」と内心ワクワクしている者もいて、工場内の雰囲気はやや分裂気味だ。

 そんな状況下で、颯馬は昔ながらの“お客様の声ノート”を再開した。先代が店頭に置き、自由に感想を書いてもらっていたものを、再び目立つ場所に設置するのだ。さらに、スマホ用のQRコードを貼り「オンラインでもアンケートOK」と告知した。若年層が筆ペンで書くのはハードルが高いかもしれないが、スマホで入力できるなら敷居は下がる。
「職人さんたちや古参社員が『オンラインなんて』と敬遠する前に、こういう形で『客の声がすぐ拾える』ことを示すのは大事だよ」渡辺が感心しながら呟く。先代が愛した「お客様との会話」を、今風にアレンジしようという狙いが透けて見える。店頭でも、「もし良かったらここに一言どうぞ」と客に声をかけると、中には「思ったより抹茶とチョコの相性が良くて驚いた」「昔からの羊羹も好きだけど、新商品も食べてみたい」といった生の意見を書いてくれる人が出てきた。

 こうして、華密堂の内部では小さな成功と戸惑いが交錯しつつ、次の一手を探る日々が続く。そんな折、浜野から一通のメールが届く。「総合商社が主催する催事に、大手メディアも関心を示している」という話題で、もしそれが現実化すれば、SNSやテレビ、雑誌などで一気に話題になる可能性があるらしい。(やはり、広瀬彩香のプロジェクトが水面下で進行している……。まだうちは準備が整っていないのに、相手は強大な資本と広告力で一気に仕掛けてくるかもしれない)焦りと負けじ魂が入り混じるなか、颯馬はノートパソコンを閉じ、そっと息をつく。

「みんなを説得しながら、旅館や百貨店にも新商品をアピールし、SNSでも少しずつ関心を高める――まだ道のりは遠いけど、このまま踏ん張るしかない」
 そこへ、工場から試作品に関するフィードバックが届く。「抹茶チョコを練り込む工程に慣れてきた」「火加減を変えたら仕上がりが良くなった」というポジティブな報告が増えた。(職人も少しずつ心を開いてくれているのかもしれない。僕が目指しているのは、決して先代の伝統を否定することじゃない――“新しい形で、多くの人に愛される和菓子を作ること”なんだ)思いを強くする颯馬の耳に、遠くから雨の音が聞こえ始める。下町の夜はしんと静まり、暗い空を見上げると彩香の面影がちらりと脳裏をかすめた。(いつか彼女と直接ぶつかる時が来るだろう。だけど、今は店を、一歩ずつでも前へ……)

 こうして、華密堂は少しずつではあるが“新しい和菓子”への挑戦と、顧客データ活用の実験を進め、古参の心を揺らしはじめる。一方で、総合商社による大がかりな“新感覚スイーツ”計画が音を立てて動き始める気配が漂うのだった。果たして、頑固な伝統と控えめな改革が噛み合ったとき、どんな未来が待つのか――和菓子を愛しながらも時代に取り残されそうな老舗が、次なるステージへ向かって走り出そうとしていた。

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滝崎 浩正(たっきー)
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