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『共鳴する部品表 BOMが起こす組織再生ドラマ 第六章』

第六章:激化する競争

 東都精密工業の社内では、BOM(部品表)導入による改革が小さな成功を生み始めていた。小規模ラインの在庫スペースは二割減を果たし、納期遅延も大幅に改善した。設計部門の抵抗勢力である薮下部長も、社長や若手のプレゼンを見て、徐々に理解を示し始めている。
 その矢先に浮上したのが、新型EV(電気自動車)用部品の大型案件だ。国内外の自動車メーカー各社がEVシフトに力を入れており、東都精密工業にも声がかかる可能性がある──そう噂されていた。
 そしてある朝、営業部長が本社ビルの執務室に飛び込んできた。
「佐野さん、ついに正式な打診がありましたよ。海外大手のエレクトロモビリティ社が、複数サプライヤーを候補に検討しているそうです」
 「やっぱり来ましたか。詳細はわかりますか?」
 佐野は、その一報を聞いて目を見開く。
 「ええ、どうやら大型の専用モーターの内部部品を複数社で競合入札するらしい。そのほかにも副次的な部品の見積もりもあるようで……。先方は“低コストかつ短納期対応がマストだ”と強く言っています」

 国内自動車産業がEVへ急速にシフトするなか、これをモノにできるか否かは企業の存亡を左右しかねない。佐野はすぐに社長・黒岩のもとへ走った。社長室では、黒岩が渋い顔を浮かべてパソコン画面を眺めていた。
「どうだね、佐野君。ついに本格的に競合が始まるぞ。勝てば大きいが、負ければ……」
「はい。絶好のチャンスですが、かなり厳しい条件になるはずです。従来のやり方を脱却しなければ到底太刀打ちできないでしょう」
「うむ。大塚たちも、さすがにこの案件については“やるしかない”と腹を括っているようだ。設計部門にも協力を促してくれ。もちろん、私からも薮下君に直接話すつもりだ」
 こうして、EV部品の競合入札に参画するため、社内は一気に慌ただしくなる。BOM導入が“コスト圧縮とスピードアップのための武器”だと強く認識され始めたのだった。
 
 一方、東都精密工業だけがこの案件に名乗りを上げているわけではない。かねてより業界で評判を伸ばしている新興の精密部品メーカーや、海外の巨大サプライヤーも参入の意欲を示しているという情報が営業部から入る。
 さらに、かつて東都精密工業で働いていた社員が独立して立ち上げたベンチャー企業が、最新鋭の生産管理システムを武器に受注活動を行っているという噂もあった。

「どうやら奴らは、海外製のPLM(製品ライフサイクル管理)ソリューションを導入していて、試作から量産への移行を極端に短縮できるらしい。ウチがもたもたしていると先を越されますよ」営業マンの一人がそう報告すると、佐野も顔を曇らせる。
「デジタル化に関しては、うちはまだまだ途上。BOMすら一部ラインのみでしか回っていないのが現状だ。ただ、このままじゃ確かに負ける。なんとしても社内を一丸にしないと……」
 
 若手社員たちは新たな挑戦に興奮を見せる一方、ベテランの間には焦りと不安が混在している。失敗すれば、会社の信用は失墜しかねない。しかし、暗い空気ばかりではない。工場長の松尾や設計部の横井、購買の林らは「この案件があるからこそ、BOM導入が加速する」と前向きに捉えていた。
「どうせなら、やる気満々で行こうじゃないか。俺たちの職人技とBOMを融合すれば、まだまだ競合に勝つ可能性はあるはずだ」松尾はそう言って工場のライン作業員を鼓舞する。
 
 やがて、エレクトロモビリティ社から正式な入札仕様書が届く。そこには部品の形状、材質、精度などの要求事項が細かく記載され、同時に「試作品を二ヶ月以内に納品できるか」という厳しい納期条件も盛り込まれていた。
 
佐野は購買・生産管理・設計部門の代表者を集め、すぐに会議を開く。
「ご覧のとおり、要求は相当タイトです。もし二ヶ月で試作品を仕上げられなければ、他社に取られると思ってください。しかも低コストを求められていますから、余計な在庫や手戻りは致命傷になりかねません」
「部品点数がけっこう多いですね……。大半は既存部品の流用がききそうですが、一部は完全な新設計が必要かと」生産管理の永井が資料をめくりながら言った。横井が続ける。
「そうですね。モーターの内部パーツはかなり高精度の金属加工が要求されます。これまで培ってきた当社の加工技術は活かせるはずですが、設計変更や試行錯誤が避けられないでしょう」

 すると、薮下部長が低い声で言い放つ。
「つまり、設計の柔軟性が要る。これまで以上に頻繁な図面の改訂があるかもしれない。そうなると、BOMの整備も間に合わなくなるんじゃないか?」彼の言葉に、一瞬空気が張り詰める。しかし佐野は毅然と返す。
「だからこそBOMが必要なんです。何度設計変更があろうと、それを即座に各部門が共有できれば、購買も生産管理も素早く対応できます。以前のように属人的にやっていては、納期に到底間に合わないでしょう」
 それに対し、薮下は無言のまま視線をそらす。ただ、完全に反発する様子はない。既に薮下自身も、BOM導入のメリットをある程度は認め始めている。

 結局この会議で、社内横断チームを結成し、二ヶ月で試作品を仕上げる“プロジェクト”を立ち上げることが決まった。リーダーは佐野、サブリーダーとして生産管理の永井、設計部から横井、購買部門の林、倉庫管理の田代、そしてIT担当の井上も参加する。もちろん、コンサルタントの千葉もアドバイザーとして密接にサポートを行う。

「まずは設計部門がBOMに部品構成を登録し、試作に必要な材料を購買が最速で手配する。生産管理が加工工程を組み立て、在庫管理と連携する形で動かしていきましょう。問題は、どこまで設計変更が発生するかだな……」
 佐野の言葉に、横井が苦笑いする。
「そうなんですよ。最初の仕様書から大きく変わる可能性もありますし、先方から追加要求が出ることも考えられます。従来通りのやり方なら、設計がOKを出すまで購買が動けないし、変更が発生すると生産管理がパニックになる」千葉は静かにうなずきながら言う。
「まさにBOMの真価が試されるときですね。“設計の柔軟性”と“社内連携の迅速化”を両立させなければなりません。各部門がこまめにBOMを更新・参照する運用を徹底することで、ギリギリの納期にも対応できるはずです」

 プロジェクトメンバーたちは緊迫した面持ちだが、同時にやりがいも感じていた。これが成功すれば、東都精密工業の未来が開けるだろうし、BOM導入を一気に全社展開する動機づけにもなる。
 
 翌週、設計部のフロアではさっそく“新型EV用モーター部品の設計案”がまとめられ、CAD画面に表示されていた。薮下と横井、橋本ら数名がディスカッションを重ねる。
「ここは肉厚をもう0.5ミリ増やさないと、高トルク時に変形が起こるかもしれん」
「でも、それだと加工コストが上がる。切削量が増えるし、重量も重くなってしまう」
「なら、強度が高い合金を使えばどうだ? そうすれば肉厚を薄くしても剛性が確保できるかもしれない」次々と意見が飛び交い、修正案がCAD上で描かれては消えていく。その中で、橋本はBOMとの連携を意識し始めていた。

「先にBOMへ登録しておいて、ある程度は共通部品を参照できるようにしたい。変更が出るたびにBOMを更新するのは手間だけど、あとで生産管理や購買が混乱するよりはマシかな」横井も同意する。
「そうそう。薮下部長、BOMにはまだ慣れないかもしれませんけど、今回の試作は“何度も変更がある”前提でやりましょうよ。もし図面が確定するまで待っていたら、購買や工場の準備が遅れて、納期に間に合わないです」薮下は黙ったままだが、CAD画面の横で立ち上げたBOM登録シートをちらりと見やる。(確かに、こういう状況だからこそ、BOMが必要になるのかもしれない……)

 設計が一歩踏み出そうとしている一方、工場の生産ラインもその余波を受け始める。
「この試作プロジェクトのために設備を改造する必要があるんじゃないか?」という声が上がったのだ。工場長の松尾や生産管理の永井は、ラインのレイアウト変更やツールの追加投入を検討しなければならない。
「現状の機械じゃ対応しきれない加工精度が要求されている。治具を新調して試作ラインを別に立ち上げたほうがいいかもな……」松尾がそうこぼすと、永井はBOM画面を確認しながらうなずく。
 
「問題は、治具やツールの部品構成もBOMに織り込まないと、また混乱しますよ。せっかく設計が頑張ってBOM更新しても、ライン設備側の変更が追いついてないと意味がない」
「たしかに。じゃあ、治具用BOMも作ってみるか……。わからんことばかりだが、やるしかないな」こうして、生産現場でもBOM活用の波が広がり始める。しかし、一方で新しい運用に慣れていない作業者からは「いちいちデータを入力しなきゃいけないなんて面倒だ」という声も上がる。永井は日々、工場を回りながら説明に追われる。
「今は手間が増えるかもしれないけど、これで後から設計変更があったときに苦労するのが大幅に減りますから……一緒に頑張りましょう!」現場の不満をなだめながら、何とかプロジェクトを前に進めていく。

 そんな中、設計部の橋本はまだ転職を迷っていた。ベンチャー企業からのオファーは依然として有効で、給与や待遇面での条件も魅力的だ。ただ、社内がこうして変わろうともがいている様子を見ると、すぐに辞めるのはもったいない気もしてくる。何より、BOM導入が進めば自分の設計作業も劇的にやりやすくなるかもしれない。

「橋本さん、どうするんですか? 本当に辞めるんですか?」同僚の若手が心配そうに尋ねると、橋本は曖昧に笑って首を振る。
「まだ決めてない。……ただ、今回の試作が成功すれば、会社が変わる可能性はあるんじゃないかな」
「ですよね。僕もそう思います。なんだかんだ言って、薮下部長も動き出したし、横井先輩も前向きだから」
「……そうだな」橋本は口をつぐむ。心の底では、「それでも会社が昔のままなら見切りをつける」と覚悟を決めている。企業再生が進むのか、頓挫するのか──このEV試作プロジェクトが大きな分岐点になりそうだった。

 試作プロジェクトが走り始めて一週間後、営業部に気になる情報が入る。どうやら競合の新興メーカーが先に試作品を完成させてエレクトロモビリティ社に提示したらしいのだ。
「ちょっと待って、こっちはまだ設計も固まりきっていないのに……もう作ったってこと?」
「そうらしい。向こうは大手SIerと連携してPLMシステムをフル活用、しかも製造ラインに3Dプリンタを導入して試作を加速しているらしい」この報告に、佐野は舌打ちを噛み殺す。
「やるな……。ウチも3Dプリンタを活用できないわけじゃないが、大規模な試作にはコスト面で厳しい。何より、まだBOMが整備途上だ。とはいえ、待っている余裕はない」
 
 プロジェクトチームは緊急ミーティングを開き、スケジュールを見直す。設計部も含め、各ステップの所要時間を徹底的に短縮するにはどうすればいいか──BOMを最大限に活用し、不要な手戻りをゼロに近づけることが鍵だった。コンサルタントの千葉はこの状況をむしろ好機と捉えていた。
「ライバルが先手を打ったことで、ウチも覚悟を決めざるを得ないでしょう。今こそ、過去の慣習や“誰が何を担当しているのかわからない”みたいな曖昧さをすべて洗い出すんです。BOMで情報共有を一元化すれば、短いスパンでの試作サイクルも対応可能です」佐野は拳を握りしめて答える。
「やるしかない。みんな、ここが正念場だぞ」

 設計部の横井や橋本、そして薮下部長は、最初の試作品の図面をほぼ固めた。もちろん、まだ先方の要望で細かな変更が出る可能性はある。しかし、購買の林と倉庫管理の田代がBOM画面を見ながら材料発注を進め、工場長の松尾と生産管理の永井がライン改修と治具調達を急ピッチで進める。

 今回のポイントは、「設計が修正したらすぐにBOMを更新し、購買や工場にリアルタイム通知する」というフローが徹底されていることだった。井上が社内システムに通知機能を組み込み、図面データに改訂が入ると各担当者にメールと社内チャットが飛ぶように設定した。

「この仕組みなら、“あれ、いつの間にか図面が変わってる!”という事態が減るはず。皆さん、ぜひこまめに見てくださいね」そう言う井上に、工場の作業者たちからも「おお、便利になったな」「前は個人のメールや口頭でバラバラに来てたから混乱した」などと好評の声が出る。

 実際、こうした取り組みによって、各工程での手戻りが大幅に減り始めた。特急対応を必要とする部品も、すでにBOMに登録済みならすぐ発注できる。設計変更が入っても、最新情報に紐づけられた部品を調べるだけで、どこを修正するかが一目瞭然だ。
 「今までは職人芸や属人的な調整ばかりで、工場内が混乱していたけど、確かにBOMがあれば短期間でもなんとかできるかもしれん」薮下は感心半分、悔しさ半分といった面持ちで作業を見守る。過去に自分が抱いていた“不安”や“抵抗感”が、少しずつ溶けていくのを感じていた。

 試作始動から三週間が経過し、ついに最初のプロトタイプが形になってきた。だが、まだ細部の詰めや強度試験などが残っており、先方の要求仕様に完全一致するかどうかはギリギリのラインだ。橋本は終電間際まで会社に残って設計データを調整し、横井は工場とのやり取りを繰り返す。林や田代は購買・倉庫で発注ミスがないか目を光らせ、永井はスケジュールを分刻みで更新し続ける。

 一方、社長の黒岩は、毎日のように「進捗はどうだ?」「納期は間に合うのか?」とプロジェクトチームに問い合わせる。そこに競合他社の動きも重なり、社内の緊張感は最高潮に高まる。
 
 そんなある夜、薮下はふと設計部のデスクでうたた寝をしている橋本を見かけた。資料とCAD画面に囲まれたまま突っ伏しているその姿は、どう見ても疲弊しきっている。
「……しょうがないやつだな」薮下はブランケットをかけてやり、図面チェックの続きを代わりに行う。画面を開くと、橋本が残したコメントがいくつも付けられている。金型の形状修正、材質オプションの比較、熱処理温度の条件……。どれも細かいが、プロジェクト全体には欠かせない要素だ。今までは設計者個人が頭の中でやっていたような判断を、橋本はBOMに情報連携できる形でメモしているらしい。

「本当に変わり始めてるのかもな、会社も……」薮下はそうつぶやきながら、息を吐く。
 自分の手元には、長年書き溜めた“薮下ノート”もある。そこにはこれまで数々の失敗と成功、調整のコツが記されている。(これも、近いうちに会社に渡すべきかもしれない。もう意地を張っている場合じゃないな……)
 
 試作品がほぼ完成に近づいた頃、エレクトロモビリティ社から追加要求の連絡が入る。
「モーターの冷却効率を上げるために、内部構造を一部見直せないか? それによって部品に追加の穴加工が必要になる」この連絡に、工場側は悲鳴を上げる。
「今から穴を増やすって……工程が増えるし、試作品の納期がギリギリだぞ!」
 しかし、佐野や千葉は「ここが正念場だ」と気合を入れる。もしここで「対応できない」と返せば、競合他社に有利な印象を与えてしまうだろう。
「設計部門、すぐに新しい図面を起こしてBOMを更新してください。工場はそのデータを見て、どこを加工変更すればいいか確認を。購買は追加の加工ツールが要るかどうかを洗い出して、緊急発注を……!」

 通常なら「いまさら無理だ」と投げ出したくなるような依頼だが、今回はBOMが整備されつつある。
 設計の横井や橋本がCADで穴位置と形状を修正し、BOMに反映すると、工場側は即座に変更箇所を把握し、購買や倉庫と連動して追加工具を準備する。もちろん負担は大きいが、以前の“属人管理”だった頃に比べれば、混乱は驚くほど少ない。
「こんなに短期間で対応できるとは……これがBOMの力か」工場長の松尾は半ば呆れたようにつぶやきながら、笑みを浮かべる。
「確かに大変だが、これができるなら競合他社にも負けんだろう」
 
 追加要求の修正を加えて、なんとか試作品を完成させた東都精密工業。予定していた二ヶ月の納期ギリギリのタイミングで、エレクトロモビリティ社にサンプルを納品する運びとなった。受け取ったエレクトロモビリティ社の担当者は、すぐに試作品を社内テストに回すと言う。結果次第で次のステップ──量産体制の検討に入るかどうかが決まる。ライバル企業も同様に試作品を納めており、現時点ではどこが最終的に受注を勝ち取るかはわからない。

 しかし、東都精密工業の社内には大きな達成感が漂い始めていた。
「多少の無理はあったけど、BOM導入をここまでやり切ったのは大きいよ。もし量産の話が来れば、さらに仕組みを整備して対応できる」佐野が胸を張ると、コンサルタントの千葉は微笑を浮かべながら言う。
「みなさん、本当にお疲れさまでした。でも、これは始まりに過ぎません。量産対応となれば、さらに幅広い製品ラインやサプライチェーン全体を巻き込む必要がありますよ」
「わかっています。だけど、このプロジェクトで得た手応えは大きい。あとは、結果を待ちましょう」

 激化する競争の中で、BOMがなければとても間に合わなかっただろう。旧来のやり方にしがみついていたら、試作の途中で破綻していたかもしれない。薮下もまた、試作品の納品に立ち会った帰り道でぽつりと漏らす。
「やれやれ、年寄りの私でも、ここまでできるとは思わなかったよ……。橋本、おまえ、今回よく頑張ったな」
 
 橋本は肩で息をしながら、気恥ずかしそうに笑う。
「ありがとうございます。僕も、まだまだこの会社でやれることがあるかもしれないと思いました」その言葉に、薮下はわずかに目を細めた。競争はまだ終わっていない。しかし、かつての“停滞”とは違う、確かな変化が始まっていることを二人とも感じていた。


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滝崎 浩正(たっきー)
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