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誰かと過ごす時は「永遠」じゃない。だからこそ今を愛おしく。

昨日、母方の祖母が亡くなった。
享年105歳。

年末に肺炎で入院したけど、年始には退院。

退院後、流動食は飽きた!と言い、自ら入れ歯をはめて同居する叔父・叔母と共にご飯食べて、元気に過ごしているよ、と聞いていたので安心していた。

けど、会社の昼休み、突然母から「もうおばあちゃんがもたないみたいだから、来れるようならきて」と連絡がきた。

え、なんで??

電話かけたら「医者にあと30分と言われた・・」と泣きながら答える母。
ごめん流石にそれは間に合わん、と思いつつ、会社を早退して祖母の家に向かった。

1時間半で祖母の家に着くと、出迎えてくれた母に「間に合ったよ」と言われた。
電話と違って、母もだいぶ落ち着いた様子で、安心した。

中に入ると、祖母と同居する叔父と叔母、
そして近くに住むいとこ2人も仕事を早退して集まっていた。

祖母に会ったのは約1年前。
その時よりも痩せ細っていて、頑張って呼吸をしていた。
声をかけても反応はない。

その後、次々といとこの子供たち、一番遠くに住む叔母、祖母の姪たちが集まり、近所の方々も顔を見せにきてくれていた。

海外に住んでいる従兄弟とは、LINEのビデオ通話で対面していた。
彼は祖母のことが大好きで、3月の祖母の誕生日に合わせて帰国する予定だった。

すぐに駆けつけられなくてごめん、と泣き顔になるいとこを見て、もらい泣きした。
彼が画面から消えて、代わりにまだ小さい従兄弟の子供たちが画面越しに顔を見せてくれ、その場が和んだ。

***

結局、その後も安定していたので、夕食にそばの出前取って、みんなでワイワイしながら食べた。

あと30分という宣告から、結局6時間が経過していて、大方の親族は祖母が生きているうちに会うことができた。

小学生の子供たちもいて賑やかで、なんだか危篤の状況は夢かな?って感じだった。
祖母の入院があったので、今年の正月は親戚の集まりがなかった。
本当ならこんな風に、みんなで集まって、賑やかに過ごしていたはずなんだけど。

このまま夜も更けそうだし、遠い人は帰ろうか、と話していたあたりで容態が変わり、そのまま祖母は、子供、孫、ひ孫、合わせて13人に見守られる中、息を引き取った。

祖母はみんなから愛されていた。

数日前まで、本当に誰も予想しなかったくらいの急変だったにも関わらず、ほとんどの親族が集まって見送ることができたのは、すごいことだと思う。

105歳で老衰。
大往生だ。
それを支えた叔父・叔母、母達も頑張ったと思う。

息を引き取る時はみんな悲しんでいたけど、その時以外は割と和やかで賑やかで。
祖母が頑張って、みんなに心の準備をする時間をくれたからだと思う。

祖母は反応はなかったけど、耳は聞こえているとのことだったから、みんなが元気で幸せなことを感じ取れて、逆に良かったのかなと思う。

祖母は親族の中で、唯一私に「結婚は?」と気にかけている人だった。
というか、他の親族は遠慮して言ってこないだけだったと思うけど。

だから私も、おばあちゃん100歳過ぎてるし、生きているうちに早く結婚を・・って思ってたのに、、結局叶えられなかった。

105歳でも耳が遠い以外は本当に元気で、どこかで祖母はいつまでも生き続けていると思っていた。
だから、そこまで本気じゃなかったと思う。

だけど、そんなことはなかった。

ふと、すっかり年老いた両親(特に父)を見て、永遠ではないことへの不安を感じだけど、考えるのはやめた。

***

夜も遅いのに、葬儀屋さんがきてくれて、服や布団を整え、お線香を設置してくれた。

お線香をあげて、手をあわせながら「生きてる間に結婚できなくてごめん。私はちゃんと幸せになるからね!」って祖母に誓った。

それが今の私にできる、精一杯のことだった。

誰かと過ごせる時間は、永遠ではない。

だけどみんな、自分を含めて周りの人には、何かが起こるなんて思えないし、永遠に続くように感じてしまう。

でもいつかは、終わる時が来る。

そんな当たり前のことも、毎日を過ごしているとつい忘れてしまう。
それは仕方ないし、普通のことだ。

それでも時には、永遠ではないこの時間の、一瞬一瞬を大切にすることを思い出そう。
そして今この瞬間から、精一杯幸せになるための努力をしよう。

それが、周りの人にとっての幸せにもつながるから。

そして願わくば、私も祖母のようにみんなから愛される人でありたいと思う。

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みれい(みぃたん)
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