体罰【PTSD】

数ヶ月に一度当時の悪夢を見て、未だにうなされている。
今朝久々にその夢を見てしまった。辛いので吐き出そうと思う。

私は小学生から中学3年生までバレーボールをやっていた。小学生の頃は全国大会に出るような県一位の強豪スポ少に所属していた。当時仲が良かった子に誘われて、何となく参加したのがきっかけだった。

運動神経はそんなに良くないが、体を動かすのは好きだったので軽い気持ちで入会してしまった。私は入った先が強豪だなんて全く知らなかった。ほぼ毎日ジャージを着て、毎週遠征生活になるなんてあの時の私は思っていなかった。

そこは体罰の世界だった。これは20-15年前くらいの話なので今はどうか知らない。
ただあの時のバレーボール界は本当に体罰が蔓延していた。体罰がないと強くなれないと指導者ほぼ全員思っていたんじゃないかというくらい、皆体罰をうけていた。

レシーブミス、サーブミスしたら当たり前のように監督にビンタされた。思いっきりみんなの前で怒鳴られた。ペットボトルやスコア記録のファイルの角で殴られたり、蹴られたりした。頭はたんこぶがいつもあった。監督の硬いシューズで太ももを思い切り蹴られて怪我した。ミスが重なったら怒鳴られながら往復ビンタ。殴られて口が切れて血が出たこともあった。情けないミスをしたら体育館の舞台の上で校歌をずっと歌う羽目になった。練習試合に負けたら毎回罰として筋トレや走り込み、ワンマンで皆に叫ばれながら監督からボールを顔面や体に思い切りぶつけられた。練習試合で負けすぎておでこに油性ペンで目標を書かされたこともあった。暑さに慣れるためといって、41度の多治見で長袖合宿した。強豪チームに連勝できるまで帰れず、晩御飯は夜10時まで抜きで相手が諦めてくれるまでずっと試合を続けた。負けが多い日の昼ごはんはたった30秒で切り上げ、直後に激しい練習をして吐いたりした。何も考えたくなかった。考えたら辛くなるから。

東京遠征のときだけは、「東京は体罰への罰則が厳しい」のでおおっぴらに殴られたりはしなかった。なのでそういう時は裏で体罰を受けた。監督が「別室」と言う時は背筋が凍った。
倉庫に連れて行かれ、外から見えない真っ暗闇の空間で端からメンバー全員が思い切りぶん殴られるのである。保護者に見えないように、監督はうまく隠蔽しながら体罰を続けた。東京のチームだけ全く体罰を受けている様子がなく、皆んな伸び伸びとバレーボールを楽しんでいた。異世界に来たような気持ちになった。私たちは真っ暗な別室で試合後ほぼ毎回ぶん殴られて鼻血を出しているのに。何で楽しそうにバレーボールできてるんだろう。羨ましかった。

当時遠征先で見かけたチームはどこも体罰にあふれていて、強豪だけでなく弱小チームでさえ当たり前のように監督が部員に対して殴ったり蹴ったりしていた。あらゆる体罰の手法を目の当たりにして、私の感覚は完全に麻痺していった。パイプ椅子で殴られたり太ももにアザが残るまで蹴られたり、縄跳びを鞭のように使って打たれたり竹刀で本気でぶん殴られる別のチームの子達を見かけて、うちのチームは全然マシだななんて思ったりした。

バレーと直接関係のないハラスメントもあった。
合宿先でレギュラーメンバーが監督の部屋に呼ばれて、「美人だと思う保護者は?」「服装がダサいと思う保護者は?」「口うるさいと思う保護者は?」等、自分たちの親に投票させて監督はそれを読み上げながら楽しんでいた。私の親は比較的高齢だったのでダサいに票が集まっていた。物凄く傷付いた。監督は笑っていた。体罰よりも自分の親を馬鹿にされたのが一番きつかった。でもそれでもやめたくなかった。後少しで県一位になれるから。親が早起きして送迎して応援してくれてたから諦めたくなかった。脳死状態で毎日練習に通った。

体罰をする監督のことは憎かったけど恨みきれなかった。今振り返るとひどいハラスメントと体罰だらけの最低な指導者だが、当時尊敬する気持ちはあった。

何度も辞めたいと思ったが、ここで辞めたら悔しいと思った。辞めていったメンバーは馬鹿にされた。厳しい環境だったのでチームの結束力は固かった。親に密告するなんてとても出来なかった、今まで耐えて積み上げてきたものが全部崩れると思った。
根性でレギュラーの座になんとかしがみついた。全身皮膚炎に悩まされるくらいしんどかった。県一位にはなれた。

中学校でもバレー部に入った。続けてきたものをやめたくなかった。そこでも女教師から体罰を受けた。顔面にボールを投げられ続け、ワンマンで虐待され、県一位と書かれた目標の貼り紙にボールをぶつけられてお前らにはこんなの無理だと貶され続けた。当時通っていた公立中学校は荒れていたので、体育館の中に吸い殻やガムが落ちていることがあった。コート内のガムに気付かず部活を始めてしまい、それが女教師に見つかったときは最悪だった。校庭100周本当に走らされた。なんで軍隊みたいなことしてるのか分からなかったけど、辞めたら人でなしのような扱いを受けるので辞めなかった。レギュラーを取れなかった子は1年生で転校していった。人間関係も閉鎖的で一時期いじめられたりもした。先輩達も厳しくてよく怒鳴られた。体罰を受けたり怒鳴られ続けた先輩達は、後輩にも怒鳴り散らす。負の連鎖は続いていた。

その女教師が異動になったので、2年以降は外部コーチから教わった。その外部コーチもかなり曲者で、バレー指導だけをずっとやってきたような人だった。某強豪高校女子バレーはコーチの前で全裸になって練習をするんだ、お前らもそれくらいの気持ちでやるんだ、と言われて本当に怖かった。流石に私たちが全裸になることはなかったが、多分当時は本当にそれをやってるチームはあったと思う。

外部コーチはかなり厳しかった。どんなときも全力で走らなくてはいけなかった。お前は動きがのろい、お前は豚だから毎晩走れと私は言われて毎晩走った。

中学でも三年間なんとか続けたが人間関係崩壊もあって県ベスト8止まりで引退した。私はそこの組織で仲介役として部長をやっていたのだが、恋愛関係や嫉妬で簡単にいじめが発生するバレー部に心底辟易していた。普段は部の子達と極力関わらないようにして、文芸部や吹奏楽部の子達と遊んでいた。なんで私は文化系の部に入らなかったんだろう。多分脳みそが萎縮して何も考えられなくなっていた。中学校時代はストレスが加速して、アトピーに加えて脂漏性湿疹で頭がフケだらけになった。本当に辛い時期だった。フケ取りシャンプーオクトを使うことでギリギリ人権を保っていた。

高校ではすっぱりバレーを辞めて美術部に入った。バレーボールは大嫌いになった。辞めた後、抑鬱状態と過食でしばらく病院に通った。

今でも夢の中で苦しむ。根性で何とか続けたけど私に残ったのは苦しい気持ちだけだった。
勿論あの時身につけた体力は財産だが、無理が祟って体を壊した子達が周りに何人もいた。スポーツって健全な心身を養うためのものだったはずなのに、身も心も壊して何になったんだろう。全ては勝つためという監督やコーチのエゴだったと思う。

今では全くスポーツをやっていない。スポーツ自体を敬遠するようになった。

今でもそういう指導が行われているのだろうか、近年では指導者が体罰で逮捕されたなんてニュースをよく聞く。流れてくるニュースや体罰の動画なんかをつい見てしまうことがあったが、当時を思い出すとこういうのあるあるだよねなんて思ったりしてしまった。当時私が見かけた指導者達は、片っ端から逮捕されていいレベルだったと思う。抜きうち摘発してほしかったな。本当に辛い空間だった。保護者にSOSを出せないこども達は本当に多いと思う。

今でも苦しくてうなされる。脳みそが恐怖で萎縮して何も考えられなくなる感覚を今だに思い出す。

体罰は厳罰化されたものの、いまだに存在しているだろう。多分今でも彼らは反省していないし、きっとこっそり子供を殴っている。当時の指導者の大半は犯罪者であり見て見ぬふりする共犯者だった。それが当たり前の世代だったから。体罰があったからこそチームが強くなったとさえ思っている指導者だって、まだ沢山いると思う。

もしタイムスリップできるなら過去の私に言いたい、耐えても特に良いことがない、逃げる勇気を持って欲しいと。

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