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短編小説#9 東京instrumental

『東京』と聞くだけで鼓動が速くなった。
 勝手に想像した東京の街で、自分が活躍する妄想をして一日を終えたこともあった。そんな東京に憧れている田舎娘が私、津島柚子つしまゆずこである。
 
 東京へ行けば芋女の私でも輝けるんじゃないか。憧れの向こう側にはハイヒールを鳴らしながらビジネスウーマンとして働く私が見えた。その背中を見つめながら上京した20歳の冬。都内の小さな印刷会社に就職が決まって、田舎とのギャップに苦労しながら も東京色に染まりつつあった。

 田舎娘が東京に上京し、見知らぬ地で挫折と成長をくり返しながら強くなって、ラストにはハッピーエンドをむかえられる。そんなヒューマン映画の主役になった気分だった。

 だけど所詮は夢物語。私は映画の主役になんてなれない。そう気付かされたのは21歳のときだった。溜まっていくのは疲労とお金と寂しさだけ。東京の暮らしに慣れてもひとりぼっちには慣れなかった。

 寂しさを埋めたくて、でもどうやって埋めたらいいか分からなくて休日は家で映画ばかりを見ていた。趣味も無ければ彼氏もいない。東京には友達もいない。家賃4万2千円のワンルームにひとりぼっち。右隣には新婚夫婦の仲睦まじい声が聴こえる。

 憧れの東京は冷たかった。高層ビルが氷柱のようで、歩きスマホをして他人と目を合わせない都会人はロボットのように感じた。

「そういう自分も仕事だけしているロボットみたいだけど」

 田舎が恋しくないと言えば嘘になる。けれど東京から離れるつもりはなかった。

 都会だけあって人の多さに息が詰まる。だから休日には東京郊外の畑や田んぼに囲まれた田舎道を散歩するのが日課だった。そうやって足りないものを自分なりに埋めていた。そして今日もまた、比較的に人が少ない過疎地域を散歩しているときだった。

「駄菓子屋かな」

 畑道を進むと木造の古びた建物があった。駄菓子屋とタバコの錆びれた看板が見える。入り口付近には昔懐かしいアイスが入った冷凍庫と青いベンチ。まるでこの建物だけが昭和の時代に取り残されたみたいだった。

「覗くだけ覗いてみようかな」

 警戒心など皆無で、吸い込まれるように駄菓子屋の扉を開けた。久しぶりに好奇心が働いた。

 やはり店内には客は誰一人もいなかった。それどころか店員すら見あたらない。てっきり廃屋とも思ったがしっかりと駄菓子が陳列している。棚には駄菓子がぎゅうぎゅうに置かれていた。手書きの値札プレートが駄菓子屋の良い味を引き立てている。そのノスタルジックな店内に地元の駄菓子屋を思い出した。

「駄菓子屋の雰囲気はやっぱりどこも変わらないんだな。あ、ぷくぷくタイのチョコ味まだあるんだ。値段もそのままだし」

 ひも飴だったり当たり付きグミだったり、小学生のときに通っていた駄菓子屋と変わらない品揃えだった。大量の十円を小銭ポーチに入れて、少ないお小遣いで何を買おうか悩んでいた頃が懐かしい。たまに当たり付きグミで博打にでたりして。

「ホントに…懐かしいなぁ」

 今では値段を気にせずに好きなものを好きなだけ買えてしまう。だからなのか当時のワクワク感はそれほど感じなかった。思い出が展示された博物館に来ているみたいに、駄菓子を手に取ってはその駄菓子との思い出に浸っていた。

「あんた、そんなに駄菓子が好きなのか?」

 どのくらい時間を忘れて駄菓子を眺めていたのか分からないが、レジの横に置いてあったパイプ椅子に若い男が座っていた。見た目は若々しいが高校生にしては大人びている。それでも成長途中の幼さも感じるためきっと大学生なのだろう。よく見ると店名入りの黄色いエプロンをしている。ここの店員なのだろうか。

「トクベツ好きなわけじゃないけど、駄菓子には色々な思い出があるから」
「俺も小さかったときはよく友達と駄菓子屋巡りしてたっけな。小銭を握りしめてとにかく量を買って、一日かけてちまちま食っていたな。それにスーパーボールくじは欠かさずやっていた」
「男の子は好きだよねスーパーボールくじ」

 番号が若いほど大きいスーパーボールが手に入るくじだ。男の子はそれを買ってマンションの壁面やコンクリートブロックに当てて遊んでいた。そればかりやっていてよく飽きないなと、遠目から見ていたのを思いだした。

「あなたはここの店員さん? ずいぶん若そうだけど」

 そう訊ねると、男は気怠そうにふすまの後ろを指さした。

「ばあちゃんの手伝い。腰わるくしているからこうやって大学の合間に手伝ってるわけ」
「ふーん、偉いじゃん」
「偉いじゃんって。あんたこそ俺と歳が近そうだけど大学生?」
「いんや、一応社会人だよ。東京に憧れて上京してきた田舎娘さ。見た目からして君とは歳が近いかもね」
「いくつ?」
「21だけど」
「あ、俺も」

  上京してから同じ年代の人に会ったのは初めてだった。それで親近感がわいたからか、それとも心の寂しさを埋めたくて誰かと会話がしたかったのか分からないが、腰を据えて彼と長話をしていた。

 不満や愚痴、自慢話などお互いに聞いてもらいたい話を喋った。名も知らない初対面の相手だからこそ赤裸々に話すことができた。おかげで溜まっていた薄黒い気持ちが浄化された。

「君は東京をどう思う?」

 練り飴を割り箸に巻きつけてクルクル伸ばしている彼に、そんな話題を振った。彼は眉をひそめてこちらに顔を向けてくる。

「なんだよその質問。東京に恨みがあってこれからテロを実行しようとするヤツの言動だよ。一体あんたはどこを爆破するつもりだ?」
「どうしてそこまで言われなきゃいけないのっ! じゅ、純粋に聞いてみただけだし」
「そんな質問してくるってことは、おおかた憧れていた東京がイメージと違っていたとか?」
「まあ…」

 彼は練り終えた飴をぱくりと頬張る。もごもごと舌を動かして味わっている。私の話なんて右から左に流して聞いちゃいないと思ったが、目線はちゃんと私に向いていた。私の言葉を待っているようだった。

「東京は思ったよりも静かだった。なんだかinstrumentalを聴いてるみたい」
「いんすとるめんたる??」
「歌がなくて楽器の演奏による音楽のこと。東京に行けば毎日が人気のJ-POP音楽で満たされているものだと思っていた。でも違った。そこに歌なんて流れていなかった」

 背もたれに体重をかけて木目調の天井を見上げる。自宅の白色の天井よりも落ち着くのは実家に近いものを感じるからだろうか。

 最近、地元や実家のことばかりを考えるようになっていた。どうして考えてしまうのか、答え合わせをしてしまえば今の自分を支えている芯を折ってしまうような気がした。

「いまいち何を言ってるのか理解らないが、歌が流れていないのなら歌えばいい」

 彼は練り飴をもう一袋開封し、割り箸にくっつけて練りはじめる。真剣に悩んでアドバイスをくれたわけじゃないだろうが彼の一言は、私の核心に触れた。

「あんたの言うとおり田舎町と比べたら東京は優しくないだろうな。でも東京にはたくさんのロマンが広がっている。宝石がちりばめられている。いわば宝島だ。それを自分で掴みに行くんだよ」
「宝石が…?」
「待っているだけじゃ何も手に入らんよ」
「そうかもしれない。そうかもしれないね。でも私には見つけられないよ」
「一個見つけたじゃん」

私は「?」と首をかしげた。すると彼は真剣な表情でこう告げた。

「この駄菓子屋っていう宝石をな」

 悪気があったわけじゃないが、彼の凛々しい顔と言動につい可笑しくなって笑ってしまった。

「あははっ、たしかに宝石だね。というより宝箱かな。店のなかはこんなにも宝石であふれている」
「馬鹿にするなよ」
「してないよ。するもんか」

 私はイスから立ち上がって体を伸ばした。時計を見るとすでに18時を過ぎていた。

「なんだか元気出てきたなー! 君のお陰だね、ありがとう」
「そりゃあよかった。そんじゃあそろそろ店じまいするかな。こんな時間まで付き合わせて悪かったな。お礼と言っちゃアレだが好きなもの買ってやるよ」
「駄菓子で?」
「当たり前だろ。金欠の俺になにを期待していたんだよ。もういいや適当に選んでやるかな。ほらこれでも持ってけ」
「おとと」

 投げ渡されたのは五円玉のカタチをしたチョコだった。安価で美味しくいただける五円チョコ。もちろん値段も五円だ。

「これも何かの縁だ。そういう意味も込めて五円チョコだ」
「良いこと言ったつもりだろうけど、この中でもっとも安いもので済ませただけでしょ。なんとなく君の性格が分かってきた気がする」
「偏見だ」

 ありがたく五円チョコをポケットにしまい店を出た。すでに陽は落ちて視界が悪くなっている。だけど田舎と違って畑道はLEDライトと住宅の灯りで照らされていた。

「暗いし途中まで送っていこうか?」
「ううん大丈夫。私、合気道は習得済みだから」
「そういう問題じゃないが、まあ分かった。気を付けてな」

 小さく手を上げる彼に、私もさよならと手をあげた。東京女子なら「また来ていい?」と可愛く言えるのだろうが私にはその一言を口に出すことができなかった。ちょっぴり後悔を残しながら駄菓子屋に背を向ける。

 すると彼は突然、「そういえば、ばあちゃんが言ってたんだ」と話し始めた。

「駄菓子屋はただお菓子を売ってるだけじゃなくて、その人の居場所を作ってあげているって。友達と遊ぶための口実だったり、嫁の目を盗んでタバコを嗜む場だったり。こんな場所でもあんたの心の拠り所になるならいつでも遊びに来な」
「君、モテるでしょ」
「はあ?」
「また来るよ。だからその時もお相手よろしくね」

 手をひらひらさせて暗闇に進んでいく。ずっと憧れていた東京は冷たかった。高層ビルが氷柱のようで私の心も凍ってしまっていた。だけどこの駄菓子屋と出会って、彼と出会って、その氷が溶け始めたような気がした。

「待っているだけじゃ手に入らない。自分で掴みに行く、か」

 東京で暮らすだけで満足していた頃の自分はもういない。

「いっちょ頑張ってみようかな、転職活動」

 背中を押してくれた名も知らない駄菓子屋の店員さん。そんな彼に惹かれ、恋心を抱くようになったのはまだ少し先のお話。

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