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「内圧」を高める方法ー『書くことの不純』そして「桜井政博のゲーム作るには」

最近は「桜井政博のゲーム作るには」チャンネルを見ている。私はゲームをまっっっったくしない(というかできない、反射神経がないのだ……)のだが、そんな私ですらスマブラは触ったことがあるしそのときはカービィを選んでいた。それがどれだけすごいことか今ならわかる。本読んだことないし読むのも苦手な人がそれでも読んだことのある本、ということだから。内容はもちろん、動画の細部からカテゴリの分け方にいたるまで、桜井政博さんの思想や価値観が表れてて何から何まで勉強になる。(それにしても、桜井さんの思考を本よりも前にyoutubeで受け取ることになった自分のにちょっと敗北感を覚えてしまう。笑 つくづく本の脅威はSNSではなくYouTubeだと思う。が、その話はここでは置いておこう)。


私が見たなかでとても面白かったのが、「内圧を高める」という話だ。

すごく面白くて簡潔な動画なので、まずはぜひ見てほしい。そして「内圧」に関して、今日読んでいた本にも同じような話が出てきた。

探検家の角幡唯介さんの『書くことの不純』だ。

角幡さんは、北極圏をはじめとして世界中を探検し冒険し登山し、その様子をノンフィクションとして綴っている作家である。しかしそんな角幡さんは、ある日「探検は社会の役に立ってないんじゃないか、と言われませんか?」と若い記者に尋ねられる。その問いから、角幡さんは行為の動機になる「内在」と「関係」の問題を考えてゆく。というのも、角幡さんは「自分は書くために登るのか? 純粋に登りたいから登っているのか?」という問いをノンフィクション作家になってからというもの、ずっと持っていたからだ。

この本ももーーーーーーのすごく面白く、今月読んだ本のなかでは最もぶっ刺さったのだが、本書のなかにも「内圧」に近い意味の言葉が登場する。

それは先ほども少し書いた「内在」だ。



加藤典洋『日本人の自画像』を引用しつつ、角幡さんは、何かをやる時の動機を「内在」と「関係」に分ける。つまり自分の中から湧き上がる内的な動機(=内在)と、他人や社会の要請によって生まれる動機(=関係)は異なる。そのうえで、基本的に角幡さんは「内在」が根本にあるべきではないかと考えているのだ。

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