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「推し」時代の師弟関係ー『メダリスト』良い!!!
アニメ放送中の『メダリスト』が本当に面白い。私はもともと漫画が好きだったのだが、アニメも素晴らしくてyoutubeにあがっている動画を何度も見てしまう。
フィギュアスケート漫画で、小学生のいのりと彼女を支えるコーチの司のふたりの奮闘を描いている。ちなみに私はフィギュアスケートに関する知識がほぼないので、いまのフィギュア界において三回転とか小学生が飛ぶことが普通になっていることをこの漫画で知りました……。YouTubeでメダリストの動画を見ていると、現実のフィギュアスケートの動画も出てくるのだが、現実の動画に対してもびっくりする。
1.コーチ視点の物語
さてそんな『メダリスト』、私はこの漫画の面白さとは「コーチ側の熱狂」が描かれているところにあると思う。
というのも、これまでも「フィギュアスケートという芸術と競争の狭間で戦う競技の面白さを物語にする」点においては、さまざまなフィクションが描かれてきた。フィギュアスケートであれば名作『ユーリon ICE!!』や『モーメント』や『キスアンドネバークライ』(好きです!)があるし、あるいは同じジャンルとしてはやっぱりバレエ漫画の存在感が大きい。『テレプシコーラ』『絢爛たるグランドセーヌ』『アラベスク』『Do Da Dancin!』、名作がたくさんある。私も大好きである。
しかしやっぱり今あげたアニメや漫画のどれもが、選手の熱狂を描いてきたのだった。もちろんコーチ自身の物語や葛藤も大きなひとつの主題ではあるのだが、それでも主人公は選手側にあった。
だが『メダリスト』は完全にコーチ側の物語から始まる。司が、どんな挫折と、どんな熱狂をもって、そしてどんな生活でコーチ生活を続けているのか。ーーさらに面白いのは、いのり・司コンビだけでなく、ここに出てくるほとんどの選手においてもまた、物語の視点は基本的にコーチ側にあるのだ。
司は本番で舞台には立たないが、しかしあるときにはいのりよりも熱狂している。他人から引かれるほどの熱狂。それを見せるのが選手ではなくコーチであること。そして、そんな司自身が、スケートにすべてを捧げるとはどういうことか? つまり、スケートを続けていくために必要な「生活」とは何か? 人生に対して犠牲なしにスケートで強くなるとはどういうことか? という問いをずっと考え続けているのだ。
コーチ自身も「強くなるとはどういうことか」という問いへの答えを持たないこと。これ自体が私はすごくエポックメイキングな点だと思うし、とても面白いなと思う。
2.熱狂を共有するバディとしての、コーチと選手
『ダンジョン飯』や『3月のライオン』を読んでいてもわかるのだが、最近の少年漫画では「強くなりたいという欲望を人が持つとき、生活や食事とのバランスをどう取るべきか?」という問いがなんとなくメジャーになってきている。部活漫画であればまだ子供なのでこの問いは無視できるのだが、大人になればなるほどこの問いの切実さがよくわかる。『メダリスト』は、金メダルを目指すような選手においても、資金繰りをどうやって続けていくのか、成長期をどうやり過ごすのか、そして人生の優先順位をどう決めるのか、そのような問いをコーチ側が選手と共に考える。ーーどのコーチと選手の組み合わせもそうだ。『メダリスト』はここがすごーーくエポックメイキングな作品だなと思う。コーチは決して完全体の指導者ではない。コーチと選手は、役割の異なるバディなのである。
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