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2018.9.15 記憶を改ざんしながら

移動時間に、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』をぼんやりと読む。

……って正確に読み終わったのはちょっと先(というか今日。ってこれ書いているのは19日なのである、こういう種明かしを日記という媒体でするのってほんとよくないと思うのだけど本当のことだから仕方ない、もう少ししたらほんとにリアルタイム日記になるはずだ!)なのだけど、おおかた15日に読み終えてたからこの日の日記でいいやろ。ってよくないだろうか。日記ってそういうものではないのだろうか。わからない。いやあかん気はする。こういういらん調整を勝手にするから私の人生はいつまでたっても「ちょっとうしろめたい」のでは!? っていう気がしなくもないですね。でも15日分で書いてしまいたいから書いちゃいますね。

そういえば関係ない話だけど、小学生の頃の私はけっこう「日にちをずらす」ことを日記でおこなっていた。たとえば夏休みの日記。ほんとは3日連続で遊び、次の3日連続で勉強したとする。が、それをそのまま「私は3日連続で遊び、3日連続で勉強しました」と書くことに対して、幼い私はもんのすごく気が引けていた。だってなんかもう少しバランスが取れてたほうがよさげじゃないか。というか日記っていう体裁で、3日連続同じ遊びをしていたことを3日連続書くのってなんかすごく微妙じゃないか。で、こういう時、私はなぜか「1日遊び、1日勉強し、そして1日遊び(以下同じ日程)を繰り返した」ように書き換えてしまっていた。つまりコンテンツはそのままに、日付は変えて書いていた。今思えばいったい何を忖度していたんだ……と首をひねってしまう。そのまんま書けばいいのでは!? ていうか、もし自分の子どもがそんな行為をしていたら怪訝な顔をしてしまうだろう。うーむ、先生に3日分連続で同じよーなものを読ませるのが嫌だったのだろうか。子どもっていらんとこに気をつかうよねぇ。

しかし記録の改ざんとコンテンツの体裁を天秤にかけた時、ふつーに記録を改ざんするほうを選ぶあたり、私の性格は今も昔も変わっていない気がするな。

さて『灯台へ』ですよおねーさん。

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