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映画館という装置

先日、「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」を観た。
はちゃめちゃに面白かった。
画面はカラフルで、歌は楽しく、ずっとファンタジー。とにかくワクワクした。
もしこの映画を子供の頃に観ていたら、何か人生が変わっていたかも知れないくらい、僕の気持ちに刺さった映画だった。

でも、少し残念な気持ちになった。

観たのは、18:50の上映回。
機材の不調で15分ほど遅れて始まったようだ。
僕も映画館でバイトをした経験があるのでわかるのだが、
チケットに記載されている映画の上映時刻は、実は有料CMの開始時間だ。
シネコンは、
幕間と呼ばれる劇場のフィラー映像

有料CM(ここが上映開始時刻)

本編
の順番で上映される。

僕はチケット記載の上映開始時刻(すなわち有料CM開始時刻)に座ったが、その時点で何も上映されていなかったので、相当遅れていたことがわかる。
劇場のスタッフがやってきて
「大変申し訳ないのですが、機材トラブルのため上映時刻が遅れております」と謝罪の案内があった。
きちんと説明してくれた。納得。

問題は、上映終了後である。
エンドロールが終了し、照明が点灯した直後に、スタッフが5-6人やってきて、
「大変申し訳ないのですが、次の上映が間も無く始まりますので、速やかに退場してください」
とアナウンスし始めたのだ。

「それは違うんじゃないの?」

映画が終わればスクリーン内に居座る事情はないとはいえ、映画の夢の余韻、すなわち「まどろみ」の中だ。
一緒に来た人と少し言葉を交わしたり、自分の気持ちを整理したり、少なくとも、静かな時間が流れるはずだ。
しかも、今回の「ウォンカ」はすごく良かったのだ。
なのに、いきなり急かすようなアナウンス。

そもそも、上映が遅れたのは、そっちの都合じゃないか!
次の上映回のお客さんにも、「準備の都合で遅れている」と説明すればいいではないか。

その日、映画館の名前でSNSを検索してみると、
僕が観た次の上映回でもトラブルがあったようだ。(字幕版のはずが吹替がかかったらしい)

不可抗力的なトラブルはつきものだ。
しかし、上映スケジュールをこなすことを最優先して、一人一人の観客の鑑賞体験を蔑ろにする映画館には、僕は行きたくない。

そもそも、僕は「映画館に行くこと」自体に特別な価値を感じている。

映画に限らず、さまざまなコンテンツがスマホ一つあれば楽しめる。
わざわざ高い料金を支払って、わざわざ足を運んで映画を観ることのハードルは高い。(料金も年々高くなっている!)
しかし、その「わざわざ」の部分に、映画(内容と作り手)とのある種の契約的関係が含まれている(と僕は思っている)。

そもそも、家で何かをするにしても(テレビを観るにしても、何か勉強するにしても)気になるものが多すぎるのである。
特に僕はテレビを観ている時に何か引っ掛かるワードが出てくると、あれなんだったっけな?と気になってしまうのである。
ドラマであればその俳優の出演作、建物が出てくればその歴史、気になったらすぐに調べてしまう。

その点、映画にしても、演劇にしても、劇場という空間はとても優れている。
他のお客さんがいる空間では、スマホの使用はNGだし、自分は必ず電源から切るようにしている。
だから、途中で何か気になることがあっても、その作品を観る以外の行動は許されない状況こそが劇場たる所以なのだ。

すなわち、僕にとって劇場に行くことは、
他の情報を排して、作品のみと向き合うことを意味する。

映画は総合芸術である。
美術や音楽、演技に加え、「時間」もその要素の一つだ。
自分の持てる感覚を全て使って、作品を感じ取ることこそが鑑賞なんだと思う(作品から飛躍して、別のことまで考えが派生したとしても、それはそれで映画を観ることに意味があると思う)。

だから、劇場という空間で、エンドロールが終わった直後に、
「早く出ていけ」
なんて言われるとノイズでしかない。

ウォンカ、せっかくいい映画だったのにね。

観終わったあと、すごくチョコレートが食べたくなってコンビニに買いに行ったのは、それは別の話。

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