プロミシング・ヤング・ウーマン
プロミシング・ヤング・ウーマン(Promising Young Woman)、訳すると前途有望な若い女性。
本作の主人公キャシーは30歳の独身女性、友人や恋人もおらず実家暮らし。毎日むすっとした表情で最低賃金のコーヒーショップで店員をしている。
彼女は一見パッとしない毎日のように見えるが、夜な夜な一人でバーやクラブに出入りしている。
キャシーが泥酔してベロベロになっているところを、サラリーマン風の男がいわゆる「お持ち帰り」する。男が彼女の介抱をしながらセックスに持ち込もうとしたところでキャシーはむくっと起き上がり、真顔で「何してんの?、何してる?って聞いてんだよ!」
キャシーは毎晩この様にシラフで泥酔したふりをして、デートレイプ野郎共に鉄槌を下すのです。
・仕置きの動機とタイトルの意味
キャシーは元々優秀な医学生でした。ところがある事件をきっかけに大学を中退します。
同じ医大に通っていた幼馴染の親友がパーティで酔い潰れた状態でレイプされてしまいます。この事件を大学側に訴えましたが、泥酔した彼女にも責任の一端があるとし、レイプした男は処罰されませんでした。キャシーの親友は精神を病み自殺します。
犯人はイギリスに逃げて親友の復讐をする事が出来ないので、キャシーは近所の男達を懲らしめている訳です。
本作のパンフレットに掲載されている山崎まどかさんの記事に詳しく書かれているが、実際に起きた学生のレイプ事件の常套句で、Promising Young Man=前途有望な若者の未来を奪ってはいけないと裁判で大幅な減刑を言い渡されたりするケースがよくあります。Promising Young Woman=前途有望な若い女性の人生を破壊しておきながら。
・キャリー・マリガンは現代のイーストウッドである
主人公キャシーを演じるのはキャリー・マリガンという女優で、彼女が『ドライブ』という作品に出演していた時、映画評論家の町山智浩さんが小坂めぐるに似ていると紹介していて「それ、どれだけの人に伝わんねん!俺は分かるけど!」って思いましたが、つまり可愛らしい見た目の人です。
本作の劇中、キャシーがいつもの様に仏頂面で歩いていると、工事現場の男達が「笑えよ!」と彼女をからかいます。するとキャシーは動じる素振りを見せず、苦虫を噛みつぶしたような表情で男達を睨みつけます。その場面のキャリー・マリガンは可愛らしい見た目とは裏腹に西部のガンマン、又はダーティな刑事を演じていた往年のクリント・イーストウッドを彷彿とさせるキャラクターみたいだと思いました。
あながち変な事を言ってないと思うのは、『プロミシング・ヤング・ウーマン』ではキリスト教に詳しくなくても宗教画をモチーフにしているであろうと思わしきショットや、
キャシーがキリストの磔刑のようなポーズをとっている場面が何箇所もあります。
『ダーティーハリー』では冒頭、イーストウッドのセリフが「ジーザス・クライスト...。」で始まる。その後も教会や十字架などのキリスト教的モチーフが散見される。
また『荒野の用心棒』でイーストウッドは敵に拷問され、瀕死の状態に陥った後、キリストの様に復活します。
つまりイーストウッド演じるダーティーハリーや西部のガンマンは、神の代理人として悪人を皆殺しにする訳です。
これらのキャラクターを総決算した『グラン・トリノ』では暴力の連鎖を断ち切る為に、イーストウッド演じる頑固爺さんは殉教します。磔刑のような格好で。
・ジャンルが変わり続ける末に観客に突きつけてくる物
本作はジャンルがコロコロと変わるのが面白い。ブラックコメディから始まり復讐劇、ラブストーリー(ミュージカルシーンもある)、そしてサイコホラーへと展開していく。
終盤は三池崇史の『オーディション』的展開か!と思いましたが、ここからまた、二転三転と話が変わっていきます。
いや、『オーディション』よりも似てる映画がありました。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』です。
『ドラゴン・タトゥーの女』の主人公リスベットが自分をレイプした男に復讐する為、そいつが身動きの取れない状態にして、体に「レイプ豚」と刺青を彫る場面があり、よく似たシチュエーションが『プロミシング・ヤング・ウーマン』にも登場します。
ただ『ドラゴン・タトゥーの女』に出てくるレイプ魔は、とことんゲスに描かれていて、いかにも悪い奴といった感じなのですが(僕は『ドラゴン・タトゥーの女』死ぬほど好きですよ!)『プロミシング・ヤング・ウーマン』はどうでしょう。
役者であり『プロミシング・ヤング・ウーマン』の脚本と監督を手掛けた才人、エメラルド・フェネルは本作について、「この映画に悪人は出てきません。登場人物はセックスに関してやや無責任な態度を取る文化の一部にすぎません。」と語っている。
「性差別の文化について描くなら、自分がどういう形でその文化に加担してきたかを考えました。」
本作は監督の誠実なスタンス故に、男性として過去に過ちを犯していなくても、更に女性も観ていて居心地の悪さを感じる部分があるのではないかと思います。(アメリカ本国では試写会後、観客同士で口論が勃発したそうです。)つまり性差別がまかり通る社会構造に加担している当事者であるという事を、我々観客に突きつけられるからです。
まあ色々言ってきましたが、深くて、何より、すこぶる面白い、今年の最重要作の一本に間違いありません!