今もこれからもずっと忘れないうどん #元気をもらったあの食事
あの時感じた、
”美味しい~、身体に染みる~”
という体験は、これを読んで頂いている方には残念ながら出来ないもの。
”どこに行ったら、それ食べれるの??”
というものではないからです。
私が青年海外協力隊のバレーボールコーチとしてケニアにいた時の事。
私はチームの試合の引率である地方都市に行きました。
そのお昼、みんなでレストランでご飯を食べていると、
チームメイトがヤカンから水を汲んで飲み、次の人に渡す、
という事をしていました。
それこそ全員ごくごく飲んでいたので、
私も、
”皆飲んでるから大丈夫か”
と、少し気が緩んでいました。
コップに水を汲むと、若干濁っているというか笑、アクエリアスのような笑
そんな感じ、しかも飲もうとした時に、少し臭い感じ。
でも、そこでもみんな飲んで大丈夫だから、というものがあり、
結局飲んでしまいました。
それからピッタリ2週間後、
(※腸チフスの潜伏期間)
首都のナイロビに用事があり、長距離バスに乗っている時でした。
”あれ?、なんか調子悪いな…。頭痛が少しする…”
となりました。
任地からナイロビまでの9時間程の道中の半分が終わった頃でした。
”あれ?、なんか意識ヤバい…かも”
となり、JICAケニア事務所の健康管理員の方に連絡。
そこで言われたのは、”無理そうだったら、そこで降りて最寄りの病院に行きなさい”
でした。
が、その電話をしている場所はすでにサバンナのど真ん中笑
周りの景色には草原が広がっているだけでした。
仕方ないので、とりあえずバスに乗ったまま寝てました。
ナイロビに到着する前に何回か電話でやり取りしているのですが、
正直内容をあまり覚えてません…。
とにかくナイロビのバスストップに到着し、バスから降りてうずくまっていました。
バスに乗っている時に仲良しのタクシードライバーに連絡を取っていたので、すぐに迎えが来ました。
そしてナイロビの病院に到着し、救急に入った瞬間です。
今でも鮮明に映像を覚えてます。
自動ドアが開いた瞬間に私は倒れ、ケニア人看護師に両肩を抱えられました…。
その後の事は何も覚えていません。
そして、寝ている中、色々検査をされていたそうです。
記憶が蘇ったのは、よくテレビドラマや映画などで観るものでした。
どこかすごく遠くで、
”〇〇さん、〇〇さーん”
と私を呼ぶ声がおぼろげに聞こえてきて、誰?何? という感じで目が覚めました。
すると、めちゃくちゃ耳元、目の前で大声で呼んでくれていたのです。
意識失うと本当にこんな感じになるんだ、という経験をしました。
そして、検査の結果はマラリアではなく腸チフスでした。
腸チフスのワクチンを接種して行っていたのですが、
そのワクチンも腸チフス菌の70%くらいには有効だけど、稀に残りの
30%で罹患される方はいます、との事でした。
少し落ち着いてから病院を後にしました。
そこでです。
私のその命の恩人のJICA健康管理員の方の家でお世話になり、
1日半程何も食べてなかったので、栄養をとりなさい、と
鍋焼きうどんとマンゴースムージー
を作ってくれました。
見た目が美味しそうすぎて、食べようと思ったのですが、
何せ熱が40度超えなので、固形物が喉を通りませんでした…。
せっかく作って頂いたのに、うどんは食べれませんでした。
しかし、そのうどんの汁、おつゆとマンゴースムージーの味。
”生き返った~”
と心から思って美味しさを心の底から感じました。
どんなに高級で高価なものでも、
この時の鍋焼きうどんの汁とマンゴースムージーに勝てるものはありません。
この方とはその後もつながっており、先日は久しぶりにオンラインで会えました。
私としては命の恩人なのですが、本人は至って普通で、健康管理員だから当たり前、仕事をしたまで、という事でした…。
そんなもんですかね笑 こちらとしては少し寂しかったりもしますが。
でも本当に感謝してもしきれない、あの時の全ての事。
そして、この方、本当に人として素敵すぎる方で、
今でも忘れない当時の言葉です。
”言いたい事ある人は、影でこそこそ言うんじゃなくて、本人に直接言いなさい。私はあなたたちの愚痴を聞く係じゃありません”
ピシャっと言われました。
その時も、”この人本当にかっこいい”と思いました。
そんな素敵な人の作った鍋焼きうどんとマンゴースムージーが忘れられない、元気をもらった食事です。元気というか、命をもらったと言っても大袈裟ではない食事です。
そんなケニア滞在時の写真集を発売しています。
そして、好評を頂いています、ミャンマーの事を書いた本もまだまだ皆さんに呼んで頂けたらと思うので、よろしくお願いします。