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『武器としての土着思考』青木真兵(東洋経済新報社)|読書感想文006
本書は、現代を生きる我々にとって現在地を示す地図だ。閉塞感のある日本の現代社会が陥っている袋小路のような状況を、丁寧に解きほぐしてくれる。自分の立っている、不透明で曖昧な現在地を教えてくれるのだ。地図を手に、自分のゴールを探して歩く手がかりとなるような1冊だ。
ページを閉じると、霧が晴れたような心持になった。日本社会がどのように生きづらいのかが、よくわかった。そして、ここから逃げる方法も。
著者は2016年に兵庫から奈良へ移住し、東吉野村で自宅を開いて〈人文系私設図書館ルチャ・リブロ〉を運営されている。可愛らしい語感だが、由来はメキシコのプロレス「ルチャリブレ」から。
タイトルにある「武器」とは「現代社会を生きていくための手段」 という意味を、「土着」とは「生き物である自分とシステムとしての社会の間にあるギャップに気付き、いかにその両者の折り合いをつけながら生きていくのか」という意味を表しているという。
障害者の就労支援の仕事をしていた時に「働くことができないのは本人のせいなのか」という疑問を持ったことから、著者の闘いは始まった。「だいたいの人はマシンでもなければ専門家でもありません。多様に変化する生き物なのです」 と著者はいう。そのとおりだと思う。
「幸せの最終解決」とも呼べるような「万人に当てはまるゴール」が存在しないことなんて、本当はみんな気がついているのだと思います。でも立ち止まることができない。資本の原理に基づいたルートだけを示されて、そっちの方に歩まされている。この仕事をしていても無意味なことは分かっている、ともすれば社会的害悪だと知っているのだけれど、お金を稼がねばならないし、そんな世の中で生きていくためには学校に行くしか選択技はない。でもこのような諦めの状況に、人は本質的に耐えることはできません。
著者が問題視しているのは、行き過ぎた人間の商品化だ。労働力を切り売りし、商品価値のない人間を切り捨てるシステム。自分を磨きスキルアップすることで、さらに高価な商品になることが人生の目的になってしまった現代社会。生き物のためではなく、社会システムがそのシステム自体のために稼働している状態に、著者は異を唱えている。
本来「働く」ことは楽しいことだったはず。働く喜びを取り戻すためのポイントのひとつは「意味がある」ことを感じる力を取り戻すことだという。資本主義のもと「無意味」に晒され続け、疲れを感じていた著者は、山村に越すことによって「意味あること」へのアクセスルートを取り戻すことができたという。そして社会にとっての「意味あること」と、自分個人にとっての「意味あること」が根本的に異なるということに気づく。
社会にとっての意味あることとは、商品価値のあることだ。つまり他者のニーズによって左右される価値。それに対して、個人にとっての意味あることとは、自分自身の必要性や良心から生じるものだ。
ではその社会と個人の間にある深い溝を、どうやって乗り越えたらよいのだろうか。著者はこのように提案している。「資本の原理が支配する世界」から逃げ出し、自分にとっての「ちょうどよい」を見つけ、身につけること。
それが土着スタイルで生きるということだ。「原理が一つ」になってしまうことで息苦しくなるなら「別の原理が働く世界」に好きなときに移れるようになればいい、と。
著者は決して「打倒!資本主義」ではないのだ。資本主義の本来目指していたものや、機能している良い部分も認めたうえで、対立を終わらせるのではなく、続けてゆく方法として「闘うために逃げる」という作戦を用いている。
資本主義が理想としたのは「自律した人間」だった。近代以前の社会では、地縁や血縁、身分制度によって個人の自由が制限されていた。近代化は人々をしがらみから解放し自由にしたが、その自由は商品の中から選べる範囲の自由だった。物質的な豊かさと引きかえに、生きることは商品を選ぶことと道義になってしまった。
家や土地に縛られていた人間が、資本主義によって「自由なる個人」となった。しかし、自由をもたらし人間を解放したはずの資本主義は、近代以前に人間を縛っていた家や土地に取って変わっただけではないのかと、読みながら考えていた。
この二者択一をしている以上、出口はない。だからこその土着だ。では具体的に何をしたらいいのだろう。ヒントは「商品」から「手づくり」へだ。他人のニーズではなく、自分の良心に従い、必要なものを手づくりすること。まずは意図的に、他者ニーズの介在しない手づくりの時間を持ってみる。
誰からも求められていなくても、誰も欲しがっていなくてもいい。むしろその方がいい。けれども自分にとっては不可欠で、切実な欲求に根づいたものだと尚いい。そういった資本の原理に寄らない活動をしていると、他人(社会)から意味が分からないと思われることもあるが、大丈夫だ。著者はこう言っている。
「意味が分からない」ものやことにこそ、「社会の外」に出るヒントがあります。社会の外に出るということは、現代社会を覆っているルールを認識することでもあるし、なにより資本の原理ではない「別の原理」の存在に気がつくことでもあります。またお金という万能ツールの強大な力を相対化し、お金は生きるうえでの一つのツールでしかないことを暴く行為でもあります。
物質自体の価値を「他人がつけた値段」ではなく、自分の感性によって吟味する。価値判断を他者に委ねるのではなく、自らの手に取り戻すことの重要性が益々問われている。
そのためには常識ではなく、自分のものさしが必要になってくる。物質と対峙し、その価値を見いだし、他者に丁寧に説明する。自分の感性を手づくりするとは、そういうことだ。
最後に。お守りにしたい文章を見つけたので引用する。
これからは「みんなのため」ではなく、「自分のため」に生きていくべきだと思います。それは自分たちや身の回りのものを、「商品として見ない」ということです。より速く、より安い。一分一秒無駄にしないのは、商品的な価値観です。そして世の中で評価されることの多くは、商品的な価値観で成り立っています。まずはその価値観から一歩遠ざかること。世の中が教えてくれる「みんな」基準の人生から、「自分」のための人生へ。「みんなはどう思うか」ではなく、「自分はどう感じるか」へ。
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