"運命の日"終えた推しに届け|中日ドラゴンズ
10月24日にプロ野球ドラフト会議が無事に終わりました。中日ドラゴンズは金丸夢斗投手をはじめ、ピッチャーを中心に素晴らしい指名だったとファン界隈は大盛り上がりです。
指名された選手は人生の大きな節目を迎え、更なる大海原に漕ぎ出す準備を始める。各球団、続々と秋季キャンプへと突入し、いよいよ来シーズンに向けて始動する。それは選手だけでなく、球団スタッフも同じ。今年の労を労う暇もなく、4か月後に迫る開幕に照準を合わせて、ふたたび奔走の日々が始まる。
ドラフト会議を以って、1年の集大成を迎えた球団スカウトも同じ。歓喜に湧いた1日はすでに過去となり、更にその先を見据えた旅はもう始まっている。
岡野祐一郎さんがスカウトとして過ごした1年、彼がスカウトとして迎えた1日。指名された選手と指名されなかった選手、自分たちが「光」を当てた先にできた明暗を彼はどう見つめただろう。かつて自分が経験したように、光の当たる場所から静かに背を向ける選手たちの「影」を、彼はどう受け止めただろう。
昨年12月、推しは会社員になりました。岡野さんは現役を引退して、球団スカウトに転身しました。その日を境に、彼の主戦場はNPBのマウンドから全国各地のグラウンドへと変わりました。
ドアラの魅力に憑りつかれて転げ落ちた野球沼。当時のわたしは"高校野球の聖地が甲子園で都市対抗は社会人野球の大会"程度の知識は持ち合わせていましたが、NPB以外の野球を全くと言っていいほど知りません。
それはもうオタクの血が騒ぎました。推しが見る世界を見ていたい、その一心で春のセンバツや都市対抗、夏の甲子園や独立リーグを観ていました。
推しのスカウト転身と時を同じくして、わたしの仕事が変わりました。9時から18時の定刻を過ぎたら1分単位で残業代が支払われる事務職から、フレックス制と固定残業代という名の裁量が与えられた半分営業 半分事務、いわゆる"便利屋"に。
会社が過渡期へと差し掛かり、その時期特有のイケイケドンドンな風潮に押されて、それに岡野さんだって新しい環境にチャレンジするのだから…と迷いを振り切る形で首を縦に振りました。
受け入れがたく咀嚼することすら難しいこともありました。心が折れて消え入りそうになる瞬間だってありました。それでも投げ出さなかったのは、10月24日までは何が起きようとも絶対に耐えると決めていたから。推しが選んだ選択と時を同じく下したわたしの決断を「間違いだった」の一言で終わらせたくなかった。
岡野さんが迷い悩みながらもきっと充実した日々の先で迎える、初めての晴れ舞台をわたしも笑って迎えたい。誰と交わしたわけでもないたったひとつの"約束"で耐えられたことがたくさんありました。
改めまして、推しは偉大です。血縁者でも同級生でもないけれど、マウンドで腕を振う岡野さんの姿に元気づけられて、わたしに初めての推しができました。ピンチの場面で火消しに成功すれば泣いて喜んで、イニングを跨いで失点したら泣いて悲しんで(とにかく泣いてますけども)次のチャンスが巡ってくることを必死で祈りました。自分以外の誰かのことでこれほど一喜一憂することがあるだろうか、それが不思議でなりません。
昨年12月、彼はユニフォームを脱ぎました。岡野さんに「ありがとう、頑張って」を伝えることが出来て良かった。その日に見た名古屋の寒空を、わたしは一生忘れないと思います。
岡野祐一郎さん×松田亘哲さんサンクストークショー|中日ドラゴンズ - スポーツナビ
有難いことに、この記事をスポナビさんに取り上げてもらいました。Googleで「岡野祐一郎」と検索すると、比較的上位にこちらの記事が出てきたのですが(本当にありがとうございます)彼のインタビュー記事がリリースされてから、そんなことも無くなりました。
「コイツは何者だ?」“無名の天才ピッチャー”に聖光学院部長が絶句した…「特待生、決まったよ」母親のウソから始まった岡野祐一郎(元中日)の逆転人生 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
岡野さんの記事、本当に嬉しかった。こんな日が来るのか…と当時は信じられず、何度も何度も記事を読み返しました。(記事のリンクを探して貼り付けてる今も、また記事を読んで泣いてます。また爆泣きしてるんですけど、もう何回目ですか…岡野さん勘弁してくださいよ)
岡野さんは控室でドラフト会議を見守ったと思うけど、井上新監督が金丸くんのくじを引いた時、他のスカウトと一緒になって泣いて喜んだのだろうか。(岡野さんが涙を流すところ見てみたい…勝手な印象だけど泣かなそう…笑)
どんな役割や立場でその日を迎えたとしても、岡野祐一郎さんのスカウト1年目に盛大な「お疲れ様!」を贈りたい。気が早いけれど来年は"ユニフォームを脱ぐまで寄り添う選手"が指名されることを願っています。