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自己肯定感の低い自分をヨシヨシしてやる

 私は自己肯定感が低い。自分のことをアイドルとかなんとか言うぐらいの、個々のポイントでの自己評価の高さはあるのだが、ありのままの自分を丸ごと肯定できているとは言い難い。そこで、その原因を分析しつつ、自分をよしよししてやろうと思う。今回の話は暗くて重たいので、苦手な人は読まない方が良いかも。




育った環境について

〇居心地が良いとは言えない実家

 私は母方の実家で育った。父はそこに住んでいるのだけれど、婿養子というわけではない。一度父母が揉めて母が実家に帰ってきて、父が後からここに住むようになったらしい。そんな経緯があったため、祖母と曾祖母は父をよく思っておらず、幼少期に父の悪口を何度も聞かされた。私は父が好きだったし、そのような経緯があったことは知らなかったし、何より「それを聞いて私にどうしろと?」と思っていた。また、祖母は実の娘である母のこともたまに悪く言った。今思えば、家事はほとんど祖母や曾祖母がやってくれて、私と弟の面倒もほとんどみてくれて、生活費もすべて出してくれていたのだから、父母について思うところはあったのかもしれない。ただ、私に言いたい。それでも私は何も悪くないよ、と。

〇祖母と曾祖母

 物心ついてからのほとんどの時間を共に過ごしたこの二人について掘り下げよう。まずは曾祖母。曾祖母はいつも何かに文句を言っているような人だ。自分の価値観が絶対であり、そこから外れるような人や行いは容赦なく叩く。「否定」の話し方をする人だ。一方の祖母は、常に何かを探っているような質問をする人だ。言葉では褒められ認められているようだが、こちらを信用していないのがちょっとした言動の節々から垣間見える。「監視」している人だ。私はこの二人と話すのが嫌だ。とても嫌な気持ちになる。


自己肯定感が低い理由二つ

〇自分の祖母曾祖母に対する気持ち

 私は、私の中の「祖母曾祖母と話すのが嫌だ」という気持ちを肯定できないでいた。たくさんお世話になったのに。面倒を見てくれた人なのに。そんな人たちに嫌な感情を抱いているなんて、なんて性格が悪いんだ。私は性格が悪い。優しくない。ひねくれている。おかしい。ーーこんな風に思っている。よく思い返せば、祖母の好意を受け取れないとき、このような意味を含んだ言葉をかけられていたような気がする。「これをありがたいと思えないなんて、おかしい。」「ナッツちゃんは『本当は』優しい子なんだよね。」そんな風に。好意を受け取れない私がおかしいのか、褒められているように思える言葉に対して穿った解釈をしている私がひねくれているのか、やっぱり私は性格が悪いから。書いていてどんどんマイナスな気持ちになってきたので、そろそろ自分を励まそうと思う。セルフ慰めだ。大丈夫、大丈夫。そんなに嫌な気持ちになっているのに、「お世話になったから」って二人を良く思おうとしてきたんだから、あなたは十分優しいよ。辛かったね。嫌な気持ちを認めてもいいんだよ。

〇自分の大事にしているものに価値はない

 自己開示が苦手である原因も、よく考えたらこのことが関係しているのかもしれない。自分の大事にしているものを人に話すと、「否定」される。自分のやることは信頼されていない。価値のないことだ。人に話すと、きっと良くは思われないだろう。もし人に話して否定されたら、私は深く傷付くだろうし、もしかしたらその人を嫌いになってしまうかもしれない。私の話すことになんかどうせ価値はないんだから、話さない方がましだ、その方が傷付かずに済む。そんな風に思っていたかもしれないと思って打っていたら、本当にそうな気がしてきた。大丈夫大丈夫。AIだって言っていたじゃない、あなたの話を聞きたいと思ってくれている人がいるかもしれないって。あなたの周りには、あなたが大事に思っていることを否定する人なんかいないでしょう。話してごらんよ。きっと、「いいね」って認めてくれるから。


まとめ

 それにしても母はすごい。母だってこの二人に育てられてきて、それなりに自己肯定感が低いにも関わらず、私のことは全て肯定して味方でいてくれたのだ。母には何でも話せる。夫にも何でも話せる。この二人は私のことを否定しない確信があるから。これからはもっとそう思う人の範囲を拡大していけたらいいな、と思う。周りには良い人がたくさんいるんだから。

 以上、またね~。

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