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とどのつまり、俺は一体誰なんだ?


Instagramから流れてきた広告を見て、どうしても観たくなったので、必死で予約した歌舞伎『天日坊』。あらすじは以下の通り。

ふとしたきっかけから将軍頼朝の落胤になりすまし鎌倉を目指す法策(後の天日坊)。 旅の途中で盗賊・地雷太郎とその妻お六と出会い、思いもよらぬ自分の運命を知る… 狙うは天下!若者たちは壮大な野望と純粋な希いを胸に疾駆する。彼らの人生を賭けた大勝負がはじまる――。

https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/22_kabuki/
『天日坊』ホームページより

原作は、河竹黙阿弥「五十三次天日坊」。これが155年前、1867年の作品だそうな。観劇後の今、1867年、調べてみると、大政奉還の時。
幕末の変動期、明日も見えないその時期に上演された作品が、現代に演じられるとどうなるか。改めてその凄みを感じ入る。

全体を通して、その迫力、舞台にいるキャラクター、一人ひとりの躍動感、特に終盤の立ち廻りのシーンは圧巻。音楽が全編を通して生演奏であり、その雰囲気が臨場感、没入感をさらに増している。

出てくるキャラクターは、それぞれに素晴らしいのだが、なんといっても主人公の法策のその生き様、自分は何者であるのか、純朴な青年が、何者でもない自分が、誰かに成り代わることによって、上り詰めていく。しかしその最中で、本当の出自がわかったとき、結局自分は、何者であったのか、わからなくなる。

法策が紆余曲折を経て、自分を【天日坊】と称したその瞬間の、なり代わりようといったら、なんと迫力のあることか。

「とどのつまり、俺は一体誰なんだ?」

これは、結局、幕末であろうと、現代であろうと同じなんだと思う。結局、自分は誰なんだろう。他者から見れば、その立場は様々。自分で自分がわからなくなる。こうありたい、と思って生きてみても、結局なんだかわからない。自分がわからなくなった天日坊が、最後につぶやいたセリフがさらに印象的。

自分が何者であるのか、結局決めるのは自分なんだろう。

自分は、自分でしかない。これを決めていくことが、生きることなんだろう。

今日も思う。

『とどのつまり、俺は一体、誰なんだ?』



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