なりたかった職業を辞めた日、それは今日
23歳、小学校の臨時事務員で働いていた時
「私は、やっぱり先生になりたい!」と強く思った。
「大好きな中学校で、家庭科の先生をする!」
それが、私の夢になった。
翌年、4月から臨時教員の話が舞い込んできて
(今思えば、相当ラッキー)
(家庭科教員って、母体数がそもそも少ない)
念願の教員生活スタート。
ろくに勉強もせず、採用試験を受け続けることだけは
重ねていった。
徳島県の家庭科教員の倍率は、受験者数/1が例年続いていて。
大体、40〜35人前後受けて、通るのは1人
倍率は、40〜35倍前後。
毎年、倍率の高さ、採用人数の少なさを愚痴って
箸にも棒にもかからない、自分の非力さから逃げていた。
これじゃあ、いかん!!!
(私生活でも、色々あったこともあって)
本気で勉強をした、27歳
講師3年以上の経験者は、一般教養と教職教養免除のシステムもできて
「今しかない!!!!!!!!!!」と奮い立った
採用試験も間近の6月
某大学の図書館で、過去問を解いて、そのできなさに
悔しくて泣いた夜もあったっけ。
「本気の人は、一握りだよ。」と聞いて
本気を出した。
人生で一番、勉強をした。
勉強って、どうやってするん?から、始まった
私の採用試験対策。
本気出して、頑張ったかいあって
採用通知をもらった。
28歳で採用されて、はや8年
採用されてから、産休と育休、そして今年度は、休職も経験した。
採用されてから、はたらいた年月は、短いけれど
3人の子ども、そして、夫と過ごす中で、私の価値観は大きく変わっていった。
そして、36歳の3月31日。
あれほどなりたかった教員の仕事を、退職することにした。
大好きな仕事をやめて、自分で学校を創ることにした。
どんな学校を創るのか
教員時代の話などは、おいおい綴っていこうと思う。
自由なんだなーって気持ちが、3月31日が近づくにつれ、高まってきた。
自由だ。
色んな面において、自由だ。
がむしゃらに、やっていく。
人生は、一度きり。
どんな大人の背中を見せていくのかを考えながら
2021年度を迎える、春
ワクワクとドキドキと共に。
(写真一枚目は、全粒粉カンパーニュに祝の文字が!)
(二枚目は、パンをくれた人からの言葉。嬉しくって、晒す!)