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私が心を奪われた映画の話を

といっても最近の映画や、映画の批評を書こうと思ったわけではない。私は今朝布団の中で、映画を始めに見たのは、いつだったかなあ、とぼんやり考えていた。そうだ、父が時々、ディズニーの漫画映画を見に連れていってくれたなあ。と、するすると、映画の話題で文章が書けそうな気がしてきた。そこで午前5時になろうとする今、こうやってnoteを立ち上げている。

家の全権は父にあった。母は七歳も年下で、しかもよそから嫁してきた母にとっては、厳しい男尊女卑の気風が強く残る土地だった。そんな家だったが、時々父は子どもに見せてもいいと思う映画が地元の映画館にかかると、連れて行ってくれることがあった。

それがディズニーのアニメ映画で、「101匹ワンちゃん大行進」、「オーロラ姫」などを見せてもらった。映画館は少なく、子どもが見に行ける映画も少なかった。今思えば、そんな時代に数は少なくても、質のいい映画に出会えたことは、私のその後の映画選びにとって、よいものを見分ける基礎を作ってくれたのかもしれない。

印象に残っている映画は「サウンド・オブ・ミュージック」だ。みんな見に行ったよね、というくらい話題だった。今のように個人個人が、自分の好みであらゆる種類のことを楽しめる時代ではなかったので、こぞって映画館に詰めかけて見た。「ミュージカル」という言葉も知らなかったし、どうやって映画を撮っているかも知らなかった。英語の歌詞の歌を覚えたのは初めてだった。

順番は違うかもしれないけれど、印象に残っているのは、「ベン・ハー」。後でその長い原作を読んだり、主演のチャールトン・ヘストンを知った。それから「ウエスト・サイド物語」。これもミュージカルで、吹き替えの歌声がフシギだった。「ドクトル・ジバゴ」の物語と音楽も心に残った。

今はどうだか知らないけれど、学校では「推薦映画」というのが決められていて、それ以外は禁止だった。そうかと思うと、学校で生徒を連れて映画館に行くことがあって、そのとき中学生全員で見たのがなぜだか「天地創造」という映画だった。全裸のアダムとエバから始まるこの映画を、どうして見ることになったのかは、大人の事情とやらがあったのかもしれない。

社会人になってから、私は映画雑誌「ロードショー」を毎月購読した。そこに載っているほとんどの見たい映画は、地方の邦画中心の映画館にはかからなかった。美味しいお菓子を見せられるだけで、生唾を飲み込むだけのものだった。だから、たまに気になる映画が、どうした風の吹き回しか、映画館にかかると、当然行って見た。

そんな映画がロックオペラ「トミー」だった。ロックもロック・オペラも「ザ・フー」も知らなかった。わからないながら気になって、保守的な当地ではほとんど客が入らず、すぐ終わってしまう上映期間の中で、二度も見に行ってしまった。これが数年前から、「ワンオク」にハマってしまったことと繋がるかもしれない。

そうやってだんだん映画の好みを、自分でも自覚するようになった。「アメリ」、「ぼくのおじさん」のジャック・タチ、それから「さよなら人類」のロイ・アンダーソン。

それでわかったことは、わたしの見たい映画は、映画館に行くとだいたい客が少ない。だからめったに映画館にかからない。それで行かない。この三拍子が揃っている。それならネットフリックスを見たら、と一瞬思ったことがあった。たぶん、そうしたら廃人になるだろうと私は予言できる。だからあえて、マタタビを見ないようにして暮らしている猫のように密かに戦っているのだった。




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