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アートと身体性
元の悪い体へ引き返せなくなるような、そんな身体体験。それは、アートであるともいえます。
アートの定義とは、人の心になんらかの傷をつけること。−宮台真司
その傷によって、これまでその人が持っていた「常識」を破壊し、再構築します。
これまでの生活習慣やストレス・家庭環境などの様々な外部要因と、遺伝による先天的なクセ、つまり身体運動と思考運動の「クセ」により、「その人らしさ」が構築されていきます。
猫背の人は内向的、胸郭が大きく厚い人は自信家で人情に厚い。
なで肩の人は世渡り上手で、いかり肩の人は緊張しい。
こういった身体的特徴を、優れたアーティストやクリエイターは敏感にキャッチします。様々な創作作品でもデフォルメとして捉えられているのです。
デフォルメの天才、浮世絵師。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige167/
浮世絵師、歌川広重は代表作『東海道五十三次』(天保四・1833年)に於いて三つの宿場に雨を降らせています。
雨が降る様子を「線」で表現したのは、人類史において歌川が初めてでした。その作品以降、かのゴッホやゴーギャンといった著名な画家が魅了され、世界中の作家がこの表現を模写します。雨は線で書くことが通説となったのです。
このような表現は、写実画のように忠実な再現(単なるコピー模写)をするつもりでは絶対に見えない世界です。
雨が降っているという自然現象の中で、雨粒が落下していくという本質を見事に捉えて、絵で表現。
かくして、歌川のアートは人々の心を傷つけ、雨が線で見える「目」へといとも簡単に変えてしまいます。
身体性のデフォルメ
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori42/tayori42.htm
自然現象をデフォルメして本質を捉えたように、身体性をデフォルメによって、その本質を抽出した浮世絵も多数ありました。
身体性を感じやすいのは、やはり身体運動を切り取ったものでしょう。当時盛んだった相撲のシーンを切り取った浮世絵に、作家のアート性がふんだんに盛り込まれています。
首や肩がちょっとありえない方向へ向いていたり、肉が異常にデコボコとしていて、見れば見るほど奇妙なほどデフォルメされているのがわかるでしょうか。
実際の相撲の取り組みではとても見えにくいのですが、驚くほど体幹をグニャリと曲げ、自由自在に身体をコントロールしています。取り組みにおける繊細でダイナミックな身体運動をデフォルメによって強調しており、写真や写実的な絵では目につかないような身体のつくり・動きに、自然と目がいくようになります。
身体性をくすぐるアート作品
身体性をデフォルメした絵と対峙すると、人は無意識に自身の身体性と照らし合わせます。自身の身体において肩がここまで動くという身体感覚が無ければ、絵を見てショックを受ることでしょう。
あるいは、一種の不快感を感じ、異質性を排除したいという気持ちから、気持ち悪い、ありえないと否定したり、許容を拒む方もいるかもしれません。
このような自身の常識、固定概念を破壊するような作品によって、カラダは変わりえます。
この例においては、自身の身体感覚として肩の可動性に限界があっても、認識の上では限界が取っ払われ、認識が変化することで身体感覚も変わります。
そうして、元の身体へとは戻ることができなくなる。
優れたアート作品は、見た人のココロとカラダに傷をつけます。傷つけられたココロとカラダは、もう元には戻りません。
その傷(経験)を持った上で、新たな感覚を生み出すのです。