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#元パティシエ 「好き」を仕事にした結果


はじめに

前職パティシエをしていたモノです。
よく「小中学生の将来の夢」にランクインしていることが多い職業のアレです、その職業を4年強やってました。

結婚を機に辞めたので、寿退社といえば聞こえがいいかもしれないが…実はそうではなかったっていう話

長男が中学生になり、そろそろ将来何の職業に就きたいとかの話がでても不思議では年齢になったので、少し語りたくなったので語ります。

パティシエ(製菓職人)を目指した理由

実は保育園時代の将来の「夢」だった

パティシエを目指したというか、お菓子屋さんになりたいと明確に思うようになったのは高3の進路決める時ぐらいで、実は保育園の卒園文集的なモノに書いていたのをうっすら覚えている。

高3ぐらいまでは、小説家やらイラストレーターやらなりたいとか思っていたらなぜかの原点回帰、不思議なもんだね(適当

パティシエになるまで

製菓関連の専門学校へ

本当は商業高校の中にある家政科に入りたかったけど、県内では倍率がものすごく高く私の成績では無理だった(私立の栄養士関連の学校もダメだった)ので、国際系の学科に進んだ、なお英語はできない()

専門学校進学は考えていたけど、とにかく製菓系を含め料理系の専門学校はとにかく学費が高い ため初手母親にがっつり反対された。
※教材費の他に材料費が時価で変わるため、海外研修とかあるところは面白いぐらい学費が高い

姉兄が専門学校行ったけど、何の成果も得られませんでしたレベルだったため、ちゃんと親を納得させる提案(学費免除の試験を受けたり、バイトして自分の費用は出すなど)を半年以上かけて行い

当時新設して2年目の製菓学校への入学を果たした。
なお一人暮らしNG、片道1時間以上かけて通いつつ食品レジのバイトしてた…本当によく体力があったもんだ()

製菓学校と行っても、飲料からブライダル関連やホテル関連、簡単なPC作業など観光関連の勉強することができて、実際問題これが後々役に立つことになるとは思わなかった 将来何が役に立つかわからないから勉強できるときに勉強しとけになる(後の現在のメシテロ関連

新設して間もない学科だったため、当然現場研修は生徒が飛び込みで(実話
生徒が自分でお店と交渉し、その交渉したお店と学校がやり取りをして初めて現場研修ができる…当時の担任が通常1週間のところを1か月とありえない期間をねじ込こまれた、最初聞かされた時軽く絶望してた(実話

高卒で個人店に入る人もいる

「通学するより遥かに近いからええや」と当時のんきに考え、1か月研修した。半月研修した頃「研修時間終わっても残ってもいい」と社長から了承を貰ったことによりある程度雑務をやらせて貰えた。(実家にいるのが嫌いだったため)なんか知らんけど最終日に給料が出た、まさかの1諭吉()

研修中に仲良くなった1歳上の先輩は高卒で個人店に入ったと聞き、学校行かなくても現場入りする人は実は少なくないという現実を知る。

パティシエは免許がいる仕事じゃないから、入り口は色々ある。
学校行く行かないは正直個人差、辞めた今なら言える、私は学校行っててよかった(視野がそれなりに持てたから

パティシエになってから

専門学校卒業したら、すぐパティシエになった!


ってわけではありませんでした


研修先を自分で探せなら??当然、就職先は自分で探せ()
だったため
研修でお世話になったところで製造空き待ちという名の接客バイトしてましたが、空かなくて社長の紹介で県外の某ホテルからパティシエスタート。

なお、私が辞めてからそのお店の製造が開いたと聞いたときはショックがデカすぎた…タイミングェ

某ホテルで仕事した時

  • ホテル内のレストランやカフェのデザート

  • 結婚式や宴会のデザート

ホテルで仕事していた時はこの2つがメインだった。
宴会や結婚式が立て込む繁盛期は本当に戦場だった…サービスの人から急げって圧が本当にしんどかったし、仕込みと同時並行で宴会準備とかデフォだった。

ホテルで仕事していると、他部署の人ともやりとりしないといけなかった。
下っ端だったので、本当によく使いっ走りにされた。
業務が終われば、練習しろはデフォ。人員不足の時期に入ってしまったため本当にしんどかった。スーシェフ(上司)はいつ帰ってんの??ってレベルで仕事してた。

2年目に突入した時に、兄の不幸で実家に強制送還させられたため辞めた。
実はそのころには辞めたくても、紹介(製菓長の方が紹介してもらった社長より上)だったため、無理矢理理由付けて辞めてきた。

本当は退職する1か月前の申請を一身上の都合で1週間後に辞め、一人暮らし先を撤収した。今思えばだいぶ力業だった…。

個人の製菓店で仕事した時

要は出戻りしました()
家から近く、空きがあったから入り込んだだけ()

個人店は接客込みで全部しないといけなかったので、ホテルとは違ってやることが多かった…。
まぁ、元々接客バイトで1年その店にいたので包装込みの接客はしてたので、接客対応が間に合ってなかったら、手が空いていたら製造も接客しないといけないのが当たり前だった。

ホテル・個人店とパティシエやってましたが
3年目経った時、初めて「適性がない」事実と向き合わないといけなくなった。

私にパティシエの「適性」がなかった話

華やかな業界ほど「ガテン系」だった現実

とにかく就業時間が長い、力仕事がメイン、でも細かい作業もする、さらに給料は安い
肉体労働がデフォ…つまりガテン系なのだ。

家が近かったとは言えども、7時前から仕事し始めないといけないし、早く帰れるとしても19時過ぎ、個人店の時は割と環境は良かったとはいえども、労働環境が悪い個人店も少なからずともあるのが現状。
でも10何年前の話なので、今はどうなっているのかはわからない…少なくとも昔よりかはマシになっていると思いたい…この業界()

粉類30キロとか、砂糖類30キロとか運ばされたり
12リットルのカスタードを多い時に3回炊かないといけなかったり
急速冷凍にいれるために天板みっちり並んだケーキを運ばないといけなかったりなど、とにかく力仕事ばっかり、ホント力仕事ばっかり

パティシエになりたての頃は、力もない・体力もない・要領もムチャクチャ悪いの三拍子でとにかく辛い上に低身長のため、カスタード炊く時は踏み台がないとダメだった。最初の頃は本当に恥ずかしかったが、慣れてくるとそんなこと言ってられなかった。コンクリートブロックに乗ってカスタード炊いていた時代が懐かしい。

この上に乗らないと、カスタードが炊けなかった(実話

細工関連が本当にダメだった

細工関連に関してはホントに適性がなかった と今でも声を大にして言える。
マジパンでバラも作れない…というよりも、必要以上に神経をすり減らしていた(後にガチで胃に穴を開ける原因に繋がる

簡単に作れない元パティシエも存在します(本人談

メッセージ書きは問題なくできたけど、キャラクターケーキは本当に無理だった。二度と仕事でしたくないレベルで嫌いだった。
お客さんからお金をいただいて作らないといけないため、立体のキャラクターケーキの注文は本当に無理すぎて、店・お客さんともにめっちゃ怒られたぐらいトラウマ。

パティシエ辞めてぎりぎりやれたのはこれぐらい。
簡単なのは作れたけど、今はもう作りたくないってぐらいになっている。
食用色粉とか合わせるの大変だったから、今やるとしたら?って言われたらデザインがシンプルなキャラ以外したくない。ってかもうホールケーキ作ってない()一般家庭で作るにはハイコストすぎる。

人間関係の構築がとことんダメだった

日常会話がとことんダメだった、アニメ・ゲームの話題は何とか出来てもドラマとかの話はとにかく合わせるのが無理だった。
仕事が絡むのはまだよかったが、コミュニケーションがとにかく下手すぎて、仕事以外の話ができないタイプの人間だった。
あれだけ好きだった現場も、人が入れ替わってから、自分のダメなところが露骨に出てとにかくマイナス思考が加速し、何をやるにもダメだった。

オタクが受け入れられなかった時代だったから、ある意味避けられなかった。今はホントいい時代になった…。

「好き」を仕事にして「初めて」わかったこと

イヤなことから逃げられない、自由がない

前述通り、細工関連が徹底的にダメ・向いていないことが分かって以降が本当に私はこの仕事が好きなのか?と自問自答することが増えた。
当然努力はした、でも超えられない壁があった。

20代前半の頃から胃が悪く、痛みの度合いで体調が把握できるぐらい胃痛とズッ友(死語)だったが
25の時、胃が突然キリキリ痛み出し、相棒のガ〇ター飲んでも落ち着く気配がない…冷や汗もかく始末。
胃カメラに飲むこと自体抵抗がなかったので、店休日に胃カメラ飲んだら「胃に穴が開きかけですね」つまり胃潰瘍一歩手前まで悪化してた。

頑張ればいつかできるようになる!
という根性論で頑張ってきたが、頑張れなくなった時に「引き際」だと悟った。無理だった。人の幸せを願ったモノを作れる自信がなくなった。

「好き」なことも「嫌い」になる可能性が高くなる

ホテル辞めた時から付き合いだした現旦那に、体調の件やらなんやらぶちまけた時に、プロポーズしてくれた。元々せっついてたのは内緒だけど()
いつもやることが力業すぎる私をよく嫁にしてくれたなぁ…と今でも思います、ホンマ命の恩人はリラックマな旦那()

あのまま続けてたら、今みたいに料理すら作れないぐらい嫌いになっていた可能性もあったし、自分の結婚式でウェディングケーキと引菓子を作った未来もなかった…かもしれない。

好きを仕事にすると、金銭関係が発生し、嫌なことも向き合わないといけなくなる。
それを全部ひっくるめて愛せたら、本当に幸せなことだと思う。
少なくとも私は私が作りたいと思うものを自由に作れる今が一番幸せだ。

さいごに

パティシエは人を幸せにすることができるけど、長くは続けれない仕事だと思うし、独立するなら経営関係も勉強できないといけない。
現役に戻りたいって思うことがあるけど、心身ともに無理だから仕事にはしたくないかなっという考えは変わらない。売れる方法があるならやりたいけど、未来はどうなるかわからない()

とりあえずいえることは
好きなことを仕事にした結果、真に愛が試されるってことになるね。

ご拝読ありがとうございました。