アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その6の3) Georgetown University Ph.D. Program in Linguistics (分割バージョン)
表紙写真 georgetown University Healey Hall
アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その6の2) Georgetown University Ph.D. Program in Linguistics (分割バージョン)の続き(その6の3)です。
基幹授業English Structure-Morphology and Syntax (英語統語論)Macdonald先生とEnglish Phonology(英語音韻論)Kreidler先生
English Structure-Morphology and Syntax(954318)とEnglish Structure-Phonology(954317)は、同じ曜日の前後に開講されていました。前者は英語形態・統語論specialistR. Ross Macdonald先生が、後者は英語音韻論specialistCharles W. Kreidler先生担当します。筆者は英語分析で博士論文(Ph.D. dissertation)を書くと決めており、論文審査員会(Ph.D. dissertation committee)には主査または副査をお願いすることになる先生方です。
非常に仲が良くChair Officeの真向かいにOfficeを構えよく行き来していました。Macdonald先生はColonel Sandersにそっくりのデップリとした温厚な紳士で、Sandersと同じような眼鏡を掛け、書くような正確さでゆっくりそしてはっきり話します。年齢は50代、Officeを訪れると、筆者の目を見ながら笑顔を浮かべて話してくれるのが印象的でした。娘さん学部に在籍しておりよくOfficeに立ち寄るのを見かけました。スタイルの良い美人で先生は相好を崩しメロメロになって嬉しそうに話していました。(*8) 翌年1974年の恒例のGeorgetown University Round Table on Language and Linguistics
と称する学会では、3月17日のSt. Patrick’s Dayに合わせ、アイリッシュ・グリーン一色のスーツ姿で総合司会に立った先生の姿が忘れられません。(*9)
Macdonald先生の授業
授業は18時に始まり、週2コマ、修士課程基幹授業でもある為、受講者は40人を超えました。指定テキストはありません。先生は水を含ませた黒板消しサイズの黄色いスポンジをビニール袋に入れて小脇に抱え、おもむろに教室に入ります。ゆっくり登壇すると、スポンジを取り出し、黒板の右端最上部に当て左端へ拭きながら歩き、そして、一段下げて左端から右端へといった具合に全面を拭き終えます。黒板は水滴で光り、乾くまで待つのです。その間学生は私語を慎みその様子を眺めるだけです。乾くや否や綺麗な字で左から右に板書をしながら、ゆっくり話しながら講義を進め、学生はひたすらノートを取り続けます。
内容はR. Quirkほか著のA Grammar of contemporary English by Geoffrey Leech; Randolph Quirk ...に近く、W. N. Francis著The Structure of American Englishなども読むよう推奨されました。先生はcomputational linguisticsのspecialistでもあり、頭の中のコンピュータにテキストを内蔵しているかのようでした。授業前半の3分1で英語のmorphology(形態論)を、後半の3分の2で英語のsyntax(統語論)をカバーし、英語の語、句、節、文の構成を丹念に教えてくれました。(*9)先生は絶妙なタイミングで質疑応答の時間を入れ、息抜きも忘れませんでした。成績はmid-term paperとfinal paper、そして、mid-term examination、final examinationで付けられました。修士課程の学生と一緒の授業で負けるわけには行きませんが、40名中Aが取れるのは4~5名、是が非でもそのうちの一人にはいらなければなりません。それがクリア出来ホッとしました。
Kreidler先生の授業
Macdonald先生の授業が終了すると、Walsh BuildingからHealey Hallに移動し、19:45からKreidler先生担当のPhonologyの授業を受けました。Kreidler先生はMacdonald先生と同年輩で、背が高く痩せ型のシャイで寡黙な先生でした。人当たりが良く、冷静で、言動からは誠実さが窺えました。University of Hawaii TESLで教わったRobert Krohn先生とは、University of Michigan時代には同僚であったようで、Krohn先生のPhonologyの授業ではKreidler先生のorthography(正字法)に関する学術記事を読んだことがあります。GUで是非とも履修したいと思っていた授業の一つです。
言語の音の分析には音声学(phonetics)と音韻論(phonology)があります。音声学は言語の音(phones)の物理学的分析で3部に分けられます。音を生成する体の部位の解剖学とも言えるarticulatory phonetics(調音音声学)、空気中の音の振動を解析するacoustic phonetics(音響音声学)、音が鼓膜を入り脳に認知されるまでの過程を解明するimpressionistic phoneticsです。
音韻論(phonology)は、これらの物理的な音(phones)から、異音(allophones)、そして音素(phonemes)を抽出するまでの過程を扱います。母音と子音などの分節音素(segmental phonemes)、語や句や文に関するpitch accents、stress accents、intonationsなどの超分節音素(suprasegmental phonemes)などの仕組みと理論・学説を学びました。
その知識を踏まえて、1960年代より台頭したNoam Chomskyらの生成文法(generative grammar)学派の先端的な音韻論を学びました。テキストはNoam Chomsky and Morris HalleのThe Sound Pattern of Englishです。UH TESLのKrohn先生担当のPhonologyで少し触れましたが、Kreidler先生の授業ではこのテキストを大々的に扱いました。かなり抽象的な分析が400ページも続きます。手取り早く言うと、分節音素と超分節音素の構成要素(features)を基に、音の生成ルールを見出そうというパイロット研究です。筆者は、生成文法(generative grammar)の統語論(syntax)以上に、この音韻論(phonology)の虜になってしまいました。(*10)
ChomskyとHalleの音韻論:古英語(Old English)の知識が必要
理解するには幅広い知識が必要です。ほんの一例を言うと、英語はOld EnglishからMiddle EnglishそしてModern Englishの歴史を通して変化しました。特に発音がそうです。中でもThe Great Vowel Shiftと称される母音の変化は有名です。これをしっかり理解しないと、Chomskyらが提唱する母音に潜むとされるunderlying representationsと称する概念を理解できません。
筆者の場合、慶應義塾大学文学部英米文学科在籍中に英語の歴史とOld Englishの傑作BeowulfやMiddle Englishで書かれたChaucerの主要作品、17世紀の英語で書かれたShakespeareの主要作品に触れたことがあったため理解できました。その知識無しではChomskyとHalleの言っていることは荒唐無稽のでっち上げにしか思えないのです。逆にその知識があればthe great vowel shiftのメカニズムを解く鍵としてその意義を理解し、興味も湧くはずです。残念ながら、大方の学生はその知識に欠けて興味が無かったのか、Kreidler先生が懸命に説明している様子を半信半疑の眼差しで眺めていました。
概してどんな理論にも説明できない例外がつきものですが、この音韻論もしかりで、例外にアドホックなマークが付されます。学生はそれを見て業を煮やし、先生に集中攻(口)撃を浴びせます。Kreidler先生は、何度も繰り返して説明し、それでも質問が続くと、最後は、ニコッと笑い、“Look, this theory is not mine, but somebody else’. So I won’t be responsible for this, you know?”(よく聞いてよ、これ僕が考えた理論じゃないからね、僕には説明責任はないんだよ)と言い、開き直りました。熱心で、誠実で、人柄の良さとニヒルさをバランスよく兼ね備えた先生でした。この授業で取ったノート、シラバス、課題一式が手元にあればより正確に語れるのですが、誰かに貸してそのまま返してもらっていません。大切なノートは貸すもんじゃありません。授業は、課題とmid-termとfinal examinationsの成績で最終評価され、筆者の成績はここでもAでした。
(その6の4)に続く。1973年のクリスマス・ブレイクは金欠、オイルショックの中ライドシェアに便乗しカリフォルニアに
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(8)アメリカの大学では、在席中の教員研究室(Office)のドアは開け放しにしておくのが一般的でした。
(9)UHのTESLでもSyntaxの授業はありましたが、ここまで微に入り細に入りの授業ではありません。TESLは、education-basedであり、linguistics-basedではないから当然です。筆者自身は、英語教材・教授法・テスト開発にはEnglish morphology and syntaxの知識、および、English phonetics and phonologyの知識は必須であると思っています。Macdonald先生はcorpus analysisを重んじ、The Brown Corpusを推奨しました。筆者も博士論文の英語解析ではこのcorpusを使用しました。The Lancaster-Oslo-Bergen Corpusなど、英語学、英語教育を目指す読者には必須です。
(10)Generative grammarで言うgrammarとは、syntax(with morphology)、phonology、semantics、lexiconなどのmodulesで構成されるsystemのことです。一般にgrammarと言われるものはsyntaxに当たります。