アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その5の3): University of Hawaii (分割バージョン)
表紙写真 University of Hawaii at Manoa
はじめに:履修授業の計画が決まりスタート
[アメリカ留学を振り返って-思い出の恩師たちMemorable Teachers」(5-1)(5-2)に続き(5-3)です。
University of Hawaii TESL (Teaching Englisg as Second Language)修士課程での履修授業の計画が決まりいよいよスタートです。その後アメリカのいずれかの大学で博士課程に進学しPh.D.を取得するには全クラスAに近い成績で修了しなければなりません。
統語論(Syntax)への関心を沸かせてくれたR.L. Whitman先生
授業が始まり、上記の概要にあるArea Ⅱ English Language and Linguisticsの2科目、 ESL 450(English Syntax)とESL 460(English Phonology)に興味を持ちました。特にESL 450はその後の進路を決定づけるものでした。担当はUniversity of PennsylvaniaでPh.D.を取得した30代半ばの R. L. Whitman先生、履修者は筆者を除き全員がアメリカ人、中には長く英語を教えた経験を持つ50代の男性と女性がいました。
この頃のEnglish syntaxは、Noam Chomskyのtransformational-generative grammar (TG)抜きには語れず、(*11)授業はTESLの分野にTGを如何に関連づけて応用するかに主眼を置いていました。当時のESL教材や教授法は、アメリカ構造主義言語学(structuralism)基盤のものが多く、TG基盤のものは皆無でした。Whitman先生は、構造主義言語学さえも初めて聞くTESLの学生に、非常に複雑なTGを教え、それをどう応用するかを考えさせなければなりません。
微に入り細に入り説明する時間はないので、Chomskyの著書を初心者用に書き直し、基本中の基本に絞り、根気よく丁寧に解説してくれました。理解するには英文法の基礎知識を要し、無い人はかなり苦労していたようです。筆者の場合は、高校時代に読んだ山崎貞著『新自修英文典』と『新々英文解釈研究』の知識が役立ちよく理解できました。(*12)同時に、Cal State Haywardで設置されていたTGの授業を取り損ねたことを大いに悔やんだものです。
音韻論(Phonology)に関心を持たせてくれたRobert Krohn先生
ESL 460(English Phonology)は、言語の音(sounds)に関するTG理論を紹介してくれました。担当は、University of MichiganでPh.D.を取得した30代のRobert Krohn先生で、Noam ChomskyとMorris Halleが1968年出版のThe Sound Pattern of English(Harper & Row Publisher)で著したTG理論による先端的音韻論の研究者です。
Phonology(音韻論)は、物理的な言語音声(phones)から音韻(phonemes)そしてそれを司る音のルールの体系(pattern)を抽出するといった極度に抽象的な領域です。通常の言語学プログラムではphonetics(音声学)を学んでからでないと難しい訳ですが、TESL programではその余裕がありません。また、Whitman先生のsyntaxもそうですが、TG理論を学ぶ前に構造主義言語理論を学ばないと分かりません。当然、苛立つ人と何とか食らいつこうとする人に分かれます。
先生は、TESLの授業であることを念頭に、TESLの教材開発、教授法に必要と思える程度に留めていましたが、この分野の研究に興味を持った筆者らには、phonology関係の先端的な論文を紹介してくれました。そのうちの一つが、先生の共同研究仲間のCharles Kreidler先生のTG音韻論とorthographyに関する論文で、後述するように、Kreidler先生が教鞭を執るGeorgetownに行こうと決める要因の一つになりました。(*13)
Krohn先生が学んだUniversity of Michiganの言語学科は、1950年代にTOEFLテストの前身であるMichigan Testを開発しました。特に、構造主義言語学全盛期にはCharles C. FriesやRobert Ladoなどがおり、多くのESL教材を出版していました。その集大成がEnglish Sentence Patterns(1958, The University of Michigan)であり、Krohn先生がTG理論に基づいて書き直したのがEnglish Sentence Structure(1961, Robert Krohn, The University of Michigan)でした。言語理論が変わると、教材の内容がこうも変わるかと思わせるもので、UHのELI用テキストとしても使われていたようです。
後の言語学への転換に強烈な影響を与えてくれた心理言語学(psycholinguistics)担当のDanny Stenberg先生
筆者の後の進路に強烈な影響を与えたもう一つの授業はESL 650(Psycholinguistics)です。担当のDanny Steinberg先生は、40代後半の男性でした。1973年Spring Semesterに履修し、同じsemesterに受けることにした上記概要にあるThe Comprehensive Examinationの主要科目の一つでもあったことから力を入れて取り組みました。先生は、Semantics, An Interdisciplinary Reader in Philosophy, Linguistics and Psychology(1971. Edited by D. Steinberg and L. A. Jakobovites, Cambridge University Press)という、哲学、言語学、心理学の領域を包括する意味論(semantics)の必読書の編集をされていました。
授業は、 [1] Language and Knowledge(Rationalist foundations, Empiricist foundations, Behaviorist foundations)[2] Learning Theory(Behaviorists, Cognitivists-Gestalt)[3] Competence and Performance [4] Language Developmentの4部で構成されていました。Noam Chomsky(1970. John Lyons. Viking Press)と学術記事(articles)22件を読み、各部のテーマにつ1 paper、合計4 papersが課され、それにより最終成績がつけられました。
言語習得に関し、(a)Descartesの合理主義(rationalism)、(b)Lockeの経験主義(empiricism)、(c)行動主義(behaviorism)の3つの考え方の違いを学びました。具体的には、(a)Descartesの合理主義を基盤にするChomskyのTG理論、(b)を支持するH. Putnamのgeneral intelligence、(c)を支持するPavlov やSkinnerらの行動主義学習理論で交わされた論争に焦点が当てられました。
ヒト特有に側頭部に備わった生得的(innate)言語能力(language acquisition device LAD)で言語を自然習得するというChomskyの考え方に対し、ヒトの知能により体験的に習得するものとするPutnamや、はたまた、ヒトは刺激と反応により学習するというWatson、Pavlov、Skinner、加えて、物事の部分的要素ではなく全体の構造で捉えるゲシュタルト(gestalt)心理学のTolmanの考え方などを学びました。Computer science やAI(人工知能)と連動して隆盛したcognitive scienceにも関連する重要文献です。
どの文献も、母語習得、即ち、第一言語習得に関するものであるので、TESLのテーマである第二言語または外国語の習得に直結する議論と例に欠けています。先生は、1~4部に至る全ての部で、それぞれのテーマを第二言語、または、外国語学習に結びつけることを忘れませんでした。先生と筆者ら学生達は結構激しい議論をぶつけ合いました。前期Fall Semesterで学んだTG理論のsyntax とphonologyの心理・哲学的背景が分かり、言語学への関心が益々高まりました。
(5-4)に続く
For Lifelong English 生涯英語活動のススメ(Official Site)もご覧ください
(*11)Noam Chomsky 言語学および政治学の両分野で活躍しています。言語学においてSyntactic Structure(1957)Aspects of the Theory of Syntax(1965)は必読書です。
(*12)山崎貞も Otto JespersenのA Modern English Grammar on Historical Principles(1909-1949)の影響を受けていると思います。Chomskyを理解する上で、Jespersenの著書は必須です。
(*13)Charles Kreidler先生のPhonologyという授業で、Chomsky and HalleのThe Sound Pattern of EnglishをテキストにTG音韻論を学びました。Phoneticsの授業がprerequisiteになっていましたが、難解で、そうした基礎知識があっても理解出来ず、苛立つ受講者が多く見られました。