写真展/幡野広志、気仙沼の漁師を撮る。
7/24から東京に来ている。タイミングよく、幡野さんの写真展が東京でも開催されていた。
場所は渋谷PARCO。京都でも写真展が開催されていて、そちらは、先週に行ったばかりだった。
東京と京都の写真展はコンセプトと、飾られている写真も違い、ことばも違う。会場の広さ、雰囲気、空気感も、もちろん違うものだった。PARCOに着いた時間は、だいたい”12時半ごろ”で、ほんとにたまたま、貸し切り状態。ラッキー。
会場は広く、写真どうしの距離感や、ライト、壁の使い方などが、とても洗練されていて、京都とはまた違う、居心地の良さを感じた。
東京写真展のテーマは、「気仙沼の漁師を撮る。」気仙沼が何県にあるか、いまいち分からなくて、このブログを書いている最中に調べた。宮城県の北東だった。(地理とか苦手)
たくさんの気仙沼の漁師さんの写真が飾られていた。
人だけでない、その場所に実際に行かないと撮影できない風景も、たくさんあった。
漁師という職業から、いろんな表情や、面影を感じた。1つの職業であるはずの”漁師”という職業から、多くの多様性を感じるとともに、世の中は広く、多くの想いの上に、仕事というものが成り立つことを感じた。写真の素晴らしさを感じたし、写真だからこそ、遠くの人たちへ、伝えられるものがあることを学んだ。
ぼくは漁師という仕事を、よく知らない。鮪漁とかだったら、一度海に出たら、なかなか戻ってこれなくなり、すごく大変な印象を思い浮かべる。基本的にはずっと海の上。毎日毎日、陸の上で生活しているぼくは、漁師という仕事の大変さや、苦労を知らないし、体験していないから、ことばにすることも難しい。
写真の彼は、新人漁師で、元信用金庫の職員。彼女もいるらしい。彼は「漁師になりたくて。」と、銀行職員を辞めて、漁師になり、これから1年間の鮪漁に出る。その表情からは凛々しさと、覚悟を感じ、強いなと、素直に思った。
漁師のみんなの表情がカッコ良すぎて、漁師という仕事のイメージが変わった自分がいた。(いや、でも絶対に辛いこともあるはずだけど)
これから長期間、漁にでる。自分のやるべきことを見据えた眼差しとか、笑顔とか。みんなすごくいい表情だった。
世の中は海みたいに広くて、深くて、同じように、色々な仕事があって、それぞれの想いがあって、本当に面白い。全て自分で選べるね。
写真というのは、その場所にいかなければ撮ることはできない。
漁船にのってみた景色は、働く男と獲られた魚と潮のしぶきだ。
知らない世界を知ることはたのしい、これは人生の醍醐味だとおもう。
知らない世界を体感できると、もっとたのしい。そこに感動がある。
人は感動で動く。こころが動かされて、動く。
感動を伝えることで人は動く。感動を伝えるには体感すること。
世界は広いし、果てもなく深い。
*気仙沼の美味しいものと、幡野さんの本も販売されています。お時間ある方はぜひ。