念願の「野球に携わる仕事」は一歩を踏み出し続けた先にあった
フリーランスでカメラマンをしています。
主な仕事は高校野球雑誌の撮影や編集業務。あとは学校関係を少々。
しかし「カメラマンになりたい」なんて、一瞬たりとも思ったことはなかったんです。
「大好きな野球に携わる仕事がしたい」
中学生で「野球」というスポーツに出会ってから夢はそれだけ。
子供の頃から運動が苦手な私が、高校で未経験のソフトボール部に入部したのも。
体育で2か3しか取ったことがないのに、スポーツトレーナーになりたくて大学で体育学部を選んだのも。
大学在学中に始めた野球の写真が「上手くなりたい」の気持ちだけで専門学校進学を決めたのも。
全ては「野球が好き」「野球との出会い」があったから。
好きなもののためなら、自信がなくても先がどうなるかなんてわからなくても夢中で一歩を踏み出していました。
常に直感で、行き当たりばったりに生きてきた私。
極め付けは、専門卒業後。
1年間、教務助手として学校に残りました。激務に耐え、晴れて任期満了につき退職。
しばらくニートをしていた私にかかってきた一本の電話は、専門学校の就職課から「野球に関わる仕事の紹介」でした。
スポーツ新聞社で撮影助手の短期バイト。プロ野球球団のカレンダー撮影。毎日夢のような日々でした。
ニートだった私は短期バイト後、現場の方に紹介され新聞社での内勤バイトを始めることになります。
そして「野球を撮っている」と話したら、高校野球雑誌の編集部に通してくれました。
頑固親父風の男性は私の写真を見ると「5点」と言い(何点満点中かはわからない)続けて「本気でやるなら教えてやる」と。
私は勇気を振り絞ることもなく、即決。
これまでの人生通り「お願いします」と直感で踏み出した一歩。
念願の「野球に携わる仕事」は一歩を踏み出し続けた先にありました。
あれから15年。
私はいま、かつての頑固親父(師匠)がしていたポジションを任され、大好きな野球に携わる仕事を続けています。
カメラマンを始めたときからフリーランスで、請負の仕事しかしてこなかった私。
このパンデミックで仕事が激減したこと、撮影活動が思うようにいかなかったことから「自分の手で仕事を生み出す」と「メディアの立ち上げ」という次なる一歩も踏み出しました。
一歩、一歩の積み重ねが人生を作ってきたんだな、と振り返ります。
踏み出した先で出会った方達に恵まれたことは言うまでもない。
本当に対人運は自信があります。
うまくいかなかった一歩もあったけれど、それも大事な一歩。
踏み出した先にしか見えない景色があるから、どんな結果になってもこれからも一歩一歩歩んでいくだけです。
この記事がタイムラインに流れてきて、ピンと来て移動中の電車で一気に書きました。時間にして30分くらい。
たくさんのお題があるnoteですが、ひねり出して書くというのが苦手で、勢いで書くことがほぼなので何かのめぐりあわせだったのかなと感じました。
自分の踏み出した「一歩」を振り返って、なんだかんだやれている。その場その場を必死にやっていたらなんとかなる。
そんな自分の過去に少し勇気をもらえました。
素敵なお題をありがとうございました。
それではまた( ˘ω˘ )📝
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