あらためまして、はじめまして
※ 2022.8/24更新 ※
こんにちは!
フリーランスでカメラマンをしております、Naoko.Tと申します。
仕事もライフワークも野球ばかり撮影しています。
▽Naoko.Tの活動まとめ▽
noteを始めて丸2年が過ぎました。
これまでには紆余曲折ありながらも、100名を超えるフォローをいただき、ありがとうございます。
今回大幅に自己紹介記事を更新し「あらためまして、はじめまして」ということで、経歴や活動内容をまとめました!
noteはフリーランスとして生きる自分を表現する場所
まず、現在どのようにnoteを運用しているか、は以下の記事に書いてますのでそちらをお読みいただけますと幸いです。
経歴
野球と出会い、写真を始める
1980年千葉県佐倉市生まれ。
長嶋茂雄氏の出身地に生まれ育ち、松坂世代という、野球の申し子(笑)
中2で野球にのめりこみます(見る方)。
野球に携わる仕事がしたいという夢を漠然と描きます。
始めは記者志望(月刊ジャイアンツを愛読)。
普通の県立高校に進学し。野球好きが高じてソフトボール部へ(中学時代はソフトテニス部。ソフトボール部がなかった)。
ここで身につけたスコアを書く技術は今大いに役立っています。ちなみに運動神経はよくなく、体育の成績は2とか3。部活は苦労しました。
高校時代、ずっと応援していたプロ野球選手が怪我で引退したこと、自身も怪我がちだったことでスポーツトレーナを目指し、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科に入学。
大学では野球部のスタッフ(マネージャーかトレーナー)を考えていたけれど、高校時代にソフトボール部だったのが新入生で私だけだった(!)ので半強制的にソフトボール部へ(笑)
大学時代、父のカメラを借り、野球を撮ることに夢中になります。3年生頃からは部活そっちのけで神宮へ通う日々。
入学時の計画では「卒業後は理学療法士の専門学校へ」進学予定も、大学3年次、勉強に挫折しスポーツトレーナを諦める。
動作分析のゼミに在籍していたにもかかわらず、卒論のタイトルは「球場と写真の相性」。進学希望だったので進路変更も就職は全く考えておらず、「写真がうまくなりたい」の気持ちだけで卒業後、写真学校への進学を決意。
カメラマンになったきっかけ
そもそもカメラマンになりたいとは一度も思ったことがありませんでした。
野球の写真で、自分の見ている世界をうまく表現できず「もっとうまく撮れるようになりたいな」と気持ちだけで専門の進学を決めてしまったのです。
それでも「自分で行く(学費など全部自分で払う)ならいいんじゃない」と反対しなかった両親には本当に感謝しています。
1年間フリーター生活で100万貯金。
自費で日本写真芸術専門学校の夜間部へ。貯めた100万は1年目の学費と、機材ですべて消えました。
在学中は夕方から学校、終わってから朝までアルバイトの生活を2年続け、授業料や機材など全て自費で賄い無事卒業。
「教務課の助手になれば卒業後も機材借り放題」の誘惑に、同専門学校の教務課助手として就職。
激務と渋谷までの通勤に疲れ果て、1年の満期で退職。無職に。
失業保険でニート生活。無職4ヶ月め、専門学校の就職課からアルバイトをご紹介いただく。野球関連の案件。野球=私、が思い浮かんだようで連絡をいただけました。好きなものは好きと周りにアピールしておくといい、というのがこの時に学んだ教訓です。
このアルバイトがご縁で、某スポーツ紙の出版部で内勤アルバイトをはじめました。
出版部では高校野球の雑誌を作っており、社員の方から「野球の写真撮ってるんだよね?見せてみたら?」と言われ、師匠となる方にお見せすると渋い表情(笑)
「本気でやるなら教える」との言葉に「やります」と即答。
突然、フリーランスのカメラマンとして歩み始めることになりました。
これまでの仕事
2007年9月、高校野球雑誌でカメラマンデビュー。
「野球に携わる仕事」という夢は叶いました。我ながら驚きです。出版部での内勤アルバイトは3年ほどでやめ、カメラマンに専念します。
大学~フリーター~専門学校~教務助手~ニート~カメラマン、と私は正社員を一度も経験せず、フリーランス人生が始まってしまいました。
以降、フリーのカメラマンとして高校野球を中心に、各種スポーツ、学校写真、婚礼の撮影を経験。現場で知り合ったカメラマンさんとつながりができ、様々な仕事を紹介していただけるようになりました。
カメラマンを初めて7~8年は写真の仕事だけでは生活ができず、アルバイトを昼夜掛け持ち。週4日は車中泊の生活。なんとか機材費を捻出しながら活動(フリーランスのスポーツカメラマンは望遠レンズなど高額なため、非常にお金がかかります)。
現在の活動
請負の仕事
高校野球雑誌の仕事を中心に、学校写真(主に幼稚園)を撮影しています。
おかげさまで高校野球の仕事にはずっと携わらせていただき、3年前からは誌面に使う写真を選んだりなど、編集の役割も担うようになりました。
学校写真では、野球の現場で知り合ったカメラマンさんからご紹介いただき小学校や幼稚園など、写真屋さんの人出が足りない時にお手伝いしています。
だいたい行事って各学校、幼稚園で重なるので、お声掛けいただくことが増えました。
いまはアルバイトをすることなく、写真の仕事だけで生活できています。
個人の活動(ライフワーク)
2015年頃から仕事とは別にライフワークとして野球撮影を再開しました。
同時にSNS(Twitter)で少しずつ発信を開始。
・2018年3月 写真展 永劫不変~2017年順天堂大学野球部の球跡~
・2020年2月 写真交流会 一期一会~野球と写真がつないでくれたもの~
2度の展示ができるまでに活動の時間を割けるほど、生活が変わりました。
現在は推している社会人軟式野球が9割くらい、あとは大学野球(母校・順大や下部リーグが好き)、独立リーグ(順大OBがきっかけ)など気ままに撮影しています。
野球メディアと写真ブログの立ち上げ
野球メディア:BASEBALL×PHOTO〈サンニッパ〉
2021年10月に小さな野球メディア「サンニッパ」を立ち上げました!
発信活動を始めてTwitter、noteと渡り歩き、覚悟を持って自分の看板を立てることにしました。
サイトの運営は個人SNSとは違い、取材申請をしたり、記事やサイトの作成など大変なことも多いですが、始めてよかったです。
観戦(撮影)した試合のレポートやフォトギャラリーを掲載しています。一部写真販売も始めました。少しずつ自分の看板でお金を得ることにも挑戦しています。
写真ブログ:「野球を撮る日々」
こちらもnoteからサンニッパへ、そして独立したブログへ。
元々「カメラマンとしての窓口」の意味でwixの無料サイトを持っていたのですが、こちらも本腰入れてやろう!とサイトを作り直しました。
そしてこのサイト内でブログを書き始めました。
サンニッパと住み分けをするために、あえて分けました。
野球を撮ることについてや機材レビューなど、カメラマンとしての学びや気づき、思考などを書いています。
ありのままを書き、面白いと言ってくださる方に届けばOK
たくさんの人に見てもらおうとか、フォロワーを増やそうとか、そういうのはどうでもよくなってきたのがこの頃。
私の発信活動を面白いと応援してくださる方を増やしたい、いまはそれが一番の願いです。
ライフワークでの収益はまだまだですが、いずれはライフワークでも請負の仕事に負けないくらい安定した収益を生み出して、活動の質を高めていきたいです。
そのためにコンテンツの販売など、勉強するところは山積みですが、誰かのためによりまず自分のために、しっかり一歩ずつ進んでいきたいと思います。
いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします!
Naoko.T
サポートもどしどしお待ちしております。活動費(主に遠征費)として使わせていただきます👇👇👇