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わたしは多様性を受け入れられてるのだろうか

多様性を受け入れた社会とは、一人ひとりに対して可能性を考えられることなのだろうと思う。

「この世代は怒られたらすぐに会社を辞める」のように、世代や性格タイプのように区分けを作り、特性が語られることは多い。

「この人はきっとこんな人だ」ではなく「こういう人かもしれないし、はたまたこういう人かもしれない。(さらには、自分が想像ついていないような人かもしれない)」のように複数の可能性を考えることが大事かなと思う。

数日前、私のグループに新しい派遣の人が入ってきた。

ずっと休み時間になるとずっと自席で動画を見ており、周りを遮断しているように感じた。私は、あんまり関わりを持ちたくない人なのだろうと思った。

雑談が好きな人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。業務時間内では人と関わりを持つことが好きだけど、業務外では雑談をしたくない人かもしれない。

「この人はきっとこう」と決めつけることは楽だ。反対に、いろんな可能性を考えることは面倒くさい。一人ひとりに合わせて考えなくてはならないからだ。

面倒くさいプロセスを踏むことが、相手を尊重することにつながるのではないか。

その面倒臭さは、当たり前のプロセスだと思えたらいいのだろうなぁ。

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