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【ライブレポ】TOMOO one man tour "Anchor" @PACIFICO YOKOHAMA

12月13日、パシフィコ横浜にてTOMOOワンマンライブが行われた。

自身最大キャパの会場でのワンマンを成し遂げたと思ったら武道館発表。ファンにとっては社会を揺るがす重大ニュースだ。

一夜明け、興奮さめやらぬこの気持ちを残しておかないとだめだと思い、PCに向かっている。

セットリスト
1 エンドレス
2 Super Ball
3 酔ひもせす
4 Friday

5 レモン
6 あわいに

7 ネリネ
8 雪だった
9 ベーコンエピ

10 まばたき
11 ロマンスをこえよう
12 Cinderella
13 Grapefruit Moon

14 スーパースター
15 Should be

16 オセロ
17 Ginger
18 Present

19 高台

アンコール
20 新曲(未発表)
21 夢はさめても
22 夜明けの君へ

「エンドレス」から始まったとき、楽器隊用のアクリル板に反射して映ったTOMOOちゃんの姿が重なり、幻想的なオープニングだった。

「レモン」は、冬の夜のイメージであるといっており、新たな発見だった。曲調やレモンの持つ色味から、ほんわかじんわりひだまり系の曲だと思っていた。でも確かに歌詞では「月夜」と言っている。そう思いながら聴くと冬の夜に二人で銭湯から帰ってくるような、寒さの中に暖かさを感じた。

「あわいに」では、お決まりのジャムブロックパートも担当。別の鳴り物も追加されていて、そこもパワーアップするんだと思った。突然、でもいつもと変わらず、子どもに返ったようにブロックを叩く姿に頬が緩んだ。

彼女の歌詞はすごく思慮に富んだものであるイメージが強いが、実はすごくおしゃれな一面もある。特に「まばたき」がそうだと思っている。サザンオールスターズの曲みたいに、言葉の持つリズムも音楽にしている。
「まばたき」のフレーズ、『トワイライト 瀬戸内海 溶けあう ミルキーブルー』。これを彼女が歌うと、水平線に煌めく光が見える。

「人知れず戦ってる人に向けての2曲」と締めくくられたのは、「スーパースター」と「Should be」。
私と歳が近く、勝手に彼女に親近感を感じていたが、共感した歌詞が10年以上前に書いた曲だと知りショックを受けたことがあった。10年前に書いた曲が今音源化されわたしたちを照らすこと自体星のようだと思う。
私はこの2〜3年でYouTubeライブ等で頑張っている彼女しか知らないけれど、ここまでくるのに12年かかっていることを忘れてはならない。小さい箱でも何回もライブをし、集客をし、地道な活動をしできたはずだ。
彼女が普段見せない今までの苦労が時を超えて光となって、あなたは本当にスーパースターだと思った。

「オセロ」からスタンディングパートが始まった。全身で乗る観客たち。特に「Present」とラスサビ前のクラップはすごかった。彼女は「(自分の曲を)受け取ってくれてありがとう」と何度も繰り返していたけど、あのクラップは彼女のくれる愛を「一緒に仕上げた」瞬間だったと思う。
曲終わりに言ってくれた「ありがとう」という言葉が、いつもより語気が強かった。それはきっと、私たちが受け取ったことが彼女にも伝わったからなんじゃないだろうか。

そして「高台」。今回の「Anchor」という名称にもゆかりのある曲だ。「高く高く、と思う時って、どっしり構える気持ちも忘れたくない」「広い海に出ようとした時に、自分の中にストンと落ちるものを大切にしたい」と語っていた。夏のPuddlesにて、「人は上昇することを求められるけど、私は何気ない眼差しも大切にしたい」と語っていた彼女。このブレない信念が大好きなのだ。

ところで、私は彼女がちょっとうまく行かなかった時に「まぁそんなこともあるよね!」って言うのが好きだ。
それが今回も聞けた。高台のイントロを奏で始めてほんの数秒後、彼女の手が止まった。

上手くいかない出来事があったときに、いちいち落ち込んでしまいがちなので、それに動揺しないように言い聞かせてる節もあるんじゃないかなって思っていたりする。そんな彼女を見習って、私も最近上手くいかなくて心がざらざらしてしまうとき、「そんなこともあるよな」と言い聞かせるようにしている。

そして2回目。「あっ弾けない!」といって止まった。1回はやり直すことあっても、2回止まるってアーティストのライブであんまりないと思う。そこで彼女は「(私って)こんなにも脆い人間なんだよ、しかと見るがいい」と言い放った。

このとき、『完璧じゃないから君に出会えた』んだなと思った。完璧じゃないあなただから愛おしいし、惹かれる。人って完璧じゃないから愛おしいということを、彼女自身が体現している。

私が彼女だったら、自身最大規模の会場で映像収録だというのに、うまくやれない私は本当にダメだと思ってしまう。
社会人になって以降、「そこはうまくやってよ」と言われる機会が増えた。それを言われた時から「うまくやれないと社会人として低レベル」だと心のどこかで思ってしまっている。

そんな中、うまく誤魔化して勢いで押し通そうと思えば弾けたかもしれないけど、大切な曲だから、と「2回止まる」のが彼女だ。

それと同じ理由で、彼女がぽつりぽつりと紡ぎ出していく言葉が好きだ。一見とっ散らかっていて、「天然なのかな?」と思う人もいるだろう。
でも、彼女の頭の中にはたくさんの言葉が溢れていて、伝えるために試行錯誤していると思っている。

スラスラ言葉が出てきて、ハプニングにはスマートに対応できる人はたくさんいるだろう。彼女ももしかしたらそうなりたいと思った時もあったかもしれない。

それでも、そうならないことを決めたのだ。そして、「こんな部分を含めて私なんです」と言ってのける。それは彼女の曲の根底に宿っているメンタリティだ。そのメンタリティに私は何度も勇気付けられている。

彼女の生き様が好きという松田聖子さながらの感覚になる。そしてそれはどんな大きな会場になっても変わらないで貫いてくれるだろう。本当にずっとついていきたいアーティストだ。

彼女を見ていると何か自分でも創作してみたくなる。正確には、周りに喜びを与えてみたくなる。私は普段、「自分の姿を見せることが誰かに喜ばれるなんてありえないよ!」と思っている。
彼女は「私の作った曲をなんでみんなそんな聴いてくれるんだろうか」という疑問をたまに持つというが、それでも「私がピアノを弾くと、みんなが喜んでくれる」から前に立つのだという。
彼女に出会ってから、自分が能動的に何かしたことに対して誰かを幸せにする経験をしてみたいなと思うようになった。

歌詞がすごいのももちろんなのだけど、彼女の作るメロディが至高だ。孤独を描いてくれてるから好きというどなたかのXのポストを見て、激しく同意した。彼女の作るメロディは、思考が固まって身動きが取れなくなった時に、世界の見方を広げてくれる。イントロを聴くだけで心がときめく。

いつしかのオールナイトニッポンで、曲のコードやメロディを決めるときに「情緒」を捉えているといっていたのが印象的だった。彼女の情緒の捉え方が非常に繊細で、一筋縄にはいかない機微を捉えるから、ピタッの心のひだに寄り添うメロディが出来上がるのだろう。だから彼女の曲を聴いていると、彼女がそばで一緒にいてくれるような気がしてしまうのだ。

現に「音楽でいつもそばにいます」と言ってくれている。武道館の発表後に言ってくれた「武道館来られなくても、次があるから。そのまた次の次もあるし!私は音楽を続けていくので!」という言葉には、きっとリアルな場で会うことだけじゃないことも含んでいると思う。

彼女が音楽でそばにいてくれるから、明日も元気で生きていける。

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