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映画 【カムイのうた】 感想文

2023.12.9

「銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに」

このフレーズで知られる『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵さんの生涯を、史実を元にして描いた映画。
アイヌ神謡集は、アイヌに伝わるカムイユカㇻ(神謡)を、アイヌ語の音と日本語の訳で書き記した本。

映画は、アイヌ神謡集の序文のナレーションから始まる。

 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.

『アイヌ神謡集』より一部抜粋

続きは青空文庫にもあります(※1)。

序文に沿って流れる映像は、北海道の動物たちや植物、旭岳の壮大な姿。美しい上川の自然が「私たちの先祖の自由の天地」という言葉に実感を与えてくれる。
そしてその映像は、序文の変化とともに様子を変えていく。
和人がこの地を手中に収める事で、変わることを余儀なくされるアイヌという立場。

本編では、逃げようのない和人の罪とも向き合うことになる。
あまりにも過酷な同化政策、差別、嫌がらせをオブラートに包まずそのまま表現しているので、見る人によっては辛い気持ちになる映画かもしれない。
ただ実際にそういう事が起きていたという話はたくさん見聞きするし、今現在だってすべてが解決しているわけじゃない問題。
この映画からは、「私たちはそこから逃げないんだ」という意思を感じた。

そしてそういう世界の中で、知里幸恵さんがどう生きたのか。
この映画を通して、幸恵さんの情熱や覚悟に触れられた思いがする。
アイヌ文化もきちんと監修されているそうで、ちょっとしたことがきめ細やかに表現されているように感じた。
飲み物を床にこぼした時に「床のカムイ(映画では神様と言ってたけど)が喉乾いてたんだわ」と言う、というのは、アイヌにもルーツを持つ関根摩耶さんがラジオで言ってたエピソードだなぁと思った。

ただ、自分の中の知識の少なさから、どこがフィクションでどこがノンフィクションなのかの判断がつけられなくて、この映画のすべてを実際の歴史として学びにするのは少しあやういかもしれないと思った。
冒頭で『この映画は史実を元にしている』といった内容の文が表示される。
とはいえ、映画として成立するためにフィクションを織り交ぜた部分もあると思う。
現実に存在する人物に思いを馳せるときに、そのエピソードが現実が架空かによって、馳せられる人物像は変わりうる。

金田一京助氏の人物像が自分の中にあったものと少し違っていて、一応少しずつアイヌと北海道の歴史を学び始めているので、この映画で描かれている金田一像をそのまま受け入れて良いのかがわからなくて、実際のところを調べてみようと思ってまずはネットの海を探索してみたら、色んな人の色んな感じ方が当然あるようで、ますます混乱している。

映画では金田一氏が遺骨問題にまで踏み込んでいたけど、そこまで積極的な彼はフィクションなのかノンフィクションなのか、わからない。
フィクションかもしれないし、私が知らないだけでノンフィクションなのかもしれない。

遺骨問題というのは、明治〜昭和にかけて、研究のためとはいえ国立大の学者たちがアイヌのお墓から尊厳を無視してお骨を盗掘して所持していて、令和になった今もアイヌの当事者の方々にお骨がなかなか返還されず、いまだ解決していない問題。
海外に渡って外国の研究機関で保管されていたお骨が今年になってやっと返還された例もあった(※2)。

映画では、盗掘・所持していた帝大の教授に金田一氏が物申す場面がある。
実際に遺骨をそうやって持ち出していたのは小金井良精氏はじめ帝大の教授らなのは事実でありノンフィクションの部分。
ただ金田一氏がそういった教授らに抗議したという話を私は見聞きした事がなかったので、単に私が知らないだけなのか、それとも遺骨問題をたくさんの人に知ってもらいたいという願いを込めたフィクションなのか、わからない。
遺骨問題をたくさんの人に知ってもらうのはすごく大事なことだし、いいことだと思う。
ただ、もしこれがフィクションだった場合にこれをノンフィクションと捉えた場合、金田一氏はこんなにもアイヌという民族そのものに対して情熱を持っていたのかという印象になる。

とはいえ私は金田一氏のことを全然知らない。
これまでに知っていたのは、知里幸恵さんにカムイユカㇻの文字化を勧めて一緒にアイヌ神謡集を完成させたという事。けれども、同化政策に関しては『推進派』だったという事。
以前NHKの100分de名著という番組でアイヌ神謡集が取り上げられたときに、解説の中川裕先生がそうお話されていた(※3)。
そこから浮かび上がる金田一氏は、『多様性』という考え方からはかなり遠いところにいる印象だった。

北大の北方民族資料室の掲示で見たように、当時の学問としてはアイヌは『失われてゆくもの』とされ、無くなる前にそれを記録する事が命題だったという。
事実、金田一氏がいたからこそ幸恵さんはこの偉業を成し遂げる事ができ、現代に私たちがこうしてアイヌの文学を学ぶ事ができるのも彼の功績といえる。
ただ金田一氏もそうやって『失われゆくものの記録』と考えていたのだとしたら、映画でアイヌの存在を肯定している彼はフィクション?ノンフィクション?
本当の彼はどんな人だったんだろう。

これも堂々と言えた事ではないけれど、私は幸恵さんについて、これまでしっかり学んだ事がない。
なので、幸恵さんのお話もどのエピソードが史実でどのエピソードが創作なのかの判断ができない。
だけどこの映画に関しては、史実を元にした、と前置きしている事を考えると、幸恵さんについてはだいたい史実のとおりなんだろうなと思う。
幸恵さんが、ユカㇻの"意味の翻訳"だけでなく"リズム感も翻訳"するために、言葉選びや韻の踏み方にこんなにも気を配っていた事を初めて知って、すごく印象的だった。
それができる聡明さとか、この役目を全うできる人物に育つ事ができた環境とか、人との出会いとか、いろんな事が奇跡的に組み合わさってこの偉業が達成されたんだと思った。
『知里幸恵 銀のしずく記念館』に行ってみたいと思ったし、もっと幸恵さんの事を知りたいと思った。この映画はそのきっかけになった。
この映画を見て良かったと思う。
北海道史やアイヌ語・文化に興味がある人には凄く薦めたいと思った。

余談の感想。
北海道弁の使い方がとてもナチュラルだった。
北海道を舞台にしたドラマや映画を見るときは無理のある微妙な方言にムズムズするのが常だけど、この映画はびっくりするぐらい皆さん北海道弁が自然に口から出てきていて、地元の役者さんを起用したのかと思ったぐらい。
他の普通のドラマもこれぐらいナチュラルだといいのにと思った。

※1 青空文庫

※2 今年の5月のニュース

※3 100分de名著 アイヌ神謡集

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